野茨を 払いて入り もみじ山
梅士 Baishi
今日は11月の晦日、30日である。
今年も残すところ一ヶ月となった。
この一年のイノベーション課題に対してスパートをど
うかけるかが問われる。
ウォーキング&ランの体力課題は順調に進んでいる。
昨日は北風びゅーびゅー、時々雨という冬日和だった。
足腰が達者になると、山歩きが楽しくなる。
登山靴があると、冒険的な獣道も平気である。
蜘蛛が姿を消したのを幸いに、早速藪を突き破って裏
ルートの紅葉狩りに挑戦した。
しかし、人の行かない獣道は手ごわい。
早速、野茨の刺に足をからまれて負傷した。
といっても、ごあいさつ程度の手ごたえである。
結局、昼飯抜き5時間の放浪だった。
リュックを探ると、干し芋が二枚残っていて助かった。
山歩きに非常食は欠かせない。
写真と俳諧の組み合わせは、ライフワークとして定着
している。
電子書籍時代には自分の著作という位置づけができる。
俳諧は馬が馬糞を落としながら歩くイメージである。
毎年雑草が季節の花を咲かせるように、四季への共感
の花を咲かせる。
写真のように、一瞬の共感と連想を俳諧の言霊で表現
するのである。
俳諧で大切なことは四季の味わいが奏でる感嘆と、五
七五という音律が奏でる音感である。
この季節や音感を無視するものは俳諧とは別のもので
ある。
山歩きをしながら共感する情景を撮影し、俳諧をたれ
るという心豊かな遊びを多くの方々に楽しんでいただき
たいと思う。
撮影はマニュアルモードに変えている。
カメラによる光の表現は難しいが、だから楽しいとも
いえる。
撮影しながら山歩きをしていると、アートのセンスが
磨かれるような気がする。
なんでもない風景に見えるところでも、立ち止まって
いると、次々と美しい造形を発見する。
人の住まない山にも山鳥たちが賑やかだ。
突然、森の中でドシンという音がして驚いた。
まさか、ヤシの実が落ちるわけでもない。
イノシシだろうか・・・。
突進してきたら牛若丸のようにひらりと身をかわそう
と思ったが、結局、姿はなかった。
雨が降ってきた。
竹を傘にし、大きな木立を軒先にして伝い歩いた。
自然の呼吸が心地よい一日だった。
最後はお風呂にゆったりとつかって、電車に乗って帰
ったのだった。
【 日本を盟主とするムー文明の再興について 】
フィリピンを襲った戦後最大の台風ハイエンだが、そ
の霊的な背景を探る霊言が刊行された。
台風がしゃべるわけではなく、これを統括した神霊が
あったのではないかという前提での試みだったと言う。
現れたのは、かつてのムー大陸圏を治める海神であっ
た。
創造的破壊を任とする荒神である。
実に面白い内容だった。
大陸プレートの巨大な動きのような歴史の動因が感じ
られる内容でもある。
単なる出版物などではない。
奇跡の時代であるからこそ知りうる神秘でもある。
折角購読しても、ただの読み物でもあるかのように軽
薄では罰当たりなことである。
「ムー・ポセイドン」というべきその竜神は、フィリ
ピンの神でもあるらしい。
荒神だから、経済は専門外のようで、フィリピン経済
は貧しい。
しかし、スペインに続くアメリカの植民地になり、独
立したとはいえ、今は中国の植民地にされようとしてい
る。
是に対して竜神は怒っているのである。
もっとも、単純にムー文明圏を再興するべきことには
ならない。
ムーも神の怒りを買って海底に沈んだのだから。
神々の戦略は、日本を盟主とする新しい海洋文明を創
始することである。
その課題は、科学文明が進んでも、唯物論に陥ること
なく、神の科学文明を起こすところに狙いがある。
形骸化したキリスト教やイスラム教のイノベーション、
民族差別と植民地経済の大罪を犯した欧米の罪の清算、
そして、宇宙時代にふさわしいエル・カンターレ文明の
確立、これが人類に問われている試練であり、巨大神霊
の使命であると考えられる。
その初手として、唯物論国家中国の横柄を許してはな
らない。
尖閣諸島空域における戦闘を避けてはならない。
中国包囲網と断固とした対戦が、悪魔の国中国を葬る
ことになるだろう。
日本は、官民上げて、その聖なる責任を果たすべきで
ある。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党