雨降りを 水玉模様に 濡れて行き
馬糞 Bafun
今朝は梅雨らしい雨降りである。
博多祇園山笠の力雨というべきか。
いよいよ、明日から7月、博多祇園山笠が始まる。
山笠を走らせるのは 「お櫛田さん」である。
櫛田神社といえば、軍神を祭る博多の一柱である。
「走らんか」というその気迫が、ただの祭りに終わっ
て欲しくはないものだ。
武の精神よ、甦れ!
日本国を、半島や大陸の侵略から守らなければならない。
日本は、これからの新しい繁栄のために、世界に対し
て使命を持つ国に他ならないからである。
武の精神とは独立の気概であり、使命感である。
【政教分離の堕落と腐敗】
公明党の書記長、委員長だった矢野氏が創価学会の度
重なる脅迫、恐喝等の犯罪や不法行為に対して提訴して
いる。
その告発本をみて、そういえば、竹入元委員長も抹殺
されたのだったなあと思い出した。
ただ、こうした、組織の恐怖政治の問題を、「政教分
離原則」の問題にすりかえてはなるまい。
問題の本質は、公明党や、その支持母体のリーダーの
俗物性と組織の反社会性から来る問題である。
そもそも、政教分離原則は政治の本質、宗教の本質を
見失わせる悪魔のささやきと言うべきものである。
ヨーロッパは今でもキリスト教世界であり、ドイツキ
リスト教民主同盟にせよ、イギリス、スイス、オースト
ラリア、オランダ、スウェーデンなど、キリスト教民主
党を持つ国はたくさんある。
アメリカもキリスト教国であり、大統領宣誓に聖書は
欠かせない。
イスラム教国は、それだけで悪い政治が行われている
国だとでも言うのか。
宗教を排除するチャイナはよい国だとでも言うのか。
見よ、マグナカルタを!
『国王といえども、神と法の下にあり』というではな
いか。
これが、民主主義のルーツである。
政治とは、神の心を心として愛と正義を実現する国家
統治の精神があってこそ、国民の信頼を得られるもので
ある。
人による人の支配としてはなるまい。
そのためにこそ、政教一致でなければならないのであ
る。
そういうと、国家神道の政教一致で日本は戦争に猛進
したではないか、などとばかばかしく言う輩がいる。
政教一致だったからこそ、日本は強かったのだ。
戦争への突入は、反省すべきこともあるだろうが、日
本の威信をかけた戦いであったことは間違いがない。
神と共に戦ったからこそ、美しくもあり、悲しくもあ
った。
その責任は、国民もまた神と共に負うべきものではな
かったのか。
ただし、国民には、神と悪魔の区別がつかなければな
るまい。
その程度の良識は必要である。
いつまでも政治音痴、宗教音痴でいては、国が危うく
なる。
政教分離原則は、悪魔の「憲法」であると知らなけれ
ばならない。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi