初夏の雨 法輪重ね 蓮の池
馬糞 Bafun
梅雨真っ盛り。
梅雨前線が停滞しているという日々である。
昨日は雨の中、朝から山笠の棒洗いが行われていた。
いよいよ、山笠の準備が始まった。
今年の力水は天から注がれるのではないか。
激動の時代といっても、一見穏やかに時が過ぎてゆく。
一見穏やかではあっても、人の心の闇の深さよ、とも思う。
心の闇が、街を汚し、海を汚し、殺伐として敵対的な仕草や服装身
なりを広げている。
個性の時代というのは闇から始まるものだろうか。
人は何のために生きているのか。
試練の中で、魂修行をするために生きている。
これが原点である。
意に染まない仕事も、試練である。
いったい自分は何をするために生きているのだろうかと思えるよう
な仕事もあるだろう。
しかし、すべては、魂修行のメニューとして揺るがない意味を持っ
ている。
だがしかし、魂修行の課題がわかっていなければ、単なる苦痛、罰
にしか思えないかもしれない。
しかし、修行とは、縛りではない。
自分で選び、進化させることができる。
進化とは、人の役に立つという働き甲斐を発展させることである。
苦痛な仕事があれば、そこからどうやったら同僚たちを救うことが
できるだろうかと考えることもできる。
どんな仕事にも、記録を伸ばす喜びはあるのではないか。
どんな仕事にも、ここまでは達成したいという目標を持って挑戦す
ることはできるのではないか。
達成したら、次の仕事に挑戦することも許されるのではないか。
魂修行のメニューとして、さまざまな仕事がある。
そう思えば、仕事から不平不満を追放することができるのではない
だろうか。
【 今求められている学校とは何か 】
文武両道の学校
いじめ犯罪のないスポーツマンシップ、フェアプレイの学校
本気で勉強をやり直せる、本物の授業をする学校
国際人教育としての基礎教養が学べる学校
主権国民としての基礎知識が学べる学校
自分の国に誇りと使命を感じられる学校
人生は人格向上のためにあると納得できる学校
子供の時代は、さまざまな可能性の種を蒔く時代であると分かる
学校。
決して、文部科学省が認可する学校が、求められている学校の要
件なのではないということである。
梅士 Baishi