すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ チェンマイの春・・・ インターナショナルなアジアの胎動

2005年10月22日 08時01分12秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

          チェンマイのインターナショナルスクールにて

 

 合掌の  チェンマイに明け  春の頃

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 タイ北部の古都チェンマイを訪れたのは3月頃だった。

 バンコクから飛行機で1時間あまり、さらに山間部を

バスで1時間以上かかったように思う。

 そこは、タイの植物に覆われたカナダのようだった。

 

 タイ各地に、欧米風のインターナショナルスクールが

たくさん作られている。

 98年頃からだという。

 もちろん、教えるのは欧米人であり、言語は英語であ

る。

 

 広々としたキャンパスに寄宿舎やスポーツ施設も整い、

伸び伸びとして勉強するのである。

 

 視察に熱心だったのはチャイナだった。

 確かに、タイの大学にもたくさんのチャイニーズが来

ている。

 環境がよく、学費が安く、インターナショナルだから

である。


 これに対して、日本は無関心といってよい。

 何しろ、アジアとして学んだのは、「中国」だけだか

らである。 

 タイもインドネシアも、ラオスも、カンボディアも、

マレーシアもブルネイもミャンマーも、歴史のある国と

して学んだことがない。


 ところが、欧米は、投資先としてのチャイナに危険を

感じてい、すでにリスクヘッジしているのだという。

 タイが欧米化の拠点として選ばれたということだろう

か。

 

 日本政府も教育機関も、もっと、タイ・インドネシア

には関心を持って、絆を太くしなければならない。

 そこにあるのは、食材だけではない。

 貴重な人材の宝庫であることを忘れてはならないので

ある。

  

 

 

 


 21世紀は東の国、日本が世界をリードする世紀となり

たいものである。

 

 

                   アメリカンスクールの寄宿舎

 

 

 ところが、どうしたことか。

 約束したはずの志は、引きこもりの少年のように、

から出ようとはしないのである。 

 日本インターナショナルスクールを作ろうとは思わな

いのか。

 いつまでもいじましく、欧米を引きずって、猿回しの

猿のように、手綱がつながっていないと安心できないだ

なんて・・・  

 

  


  チェンマイの    山を重ねて    春たずね    

                       

                   

 J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+  博多埠頭の秋波・・・ 鎖に閉ざされた港

2005年10月20日 07時35分12秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 白水郎(Ama)族の  統べし港の  秋波かな 

 

   馬糞 Bafun

 

  

 

 

白水郎族とは、那国の志賀島や宗像一体を治めた漁労

民であり、大陸に渡る船舶技術を支配した海洋技術者集

団である。

 志賀島からは、金印が発掘されたことで有名だが、万

葉歌の島でもある。

 当時の海運と海産の一大拠点であったろう。

 ちはやぶる 鐘の岬を 過ぎぬとも

        われは忘れじ 志賀の皇神


 

 志賀島といえば、荒雄の悲劇の歌が思い出される。


荒雄らを 来むか来じかと 飯盛りて 

             門に出で立ち 待てど来まさず

 

 

 万葉歌の志賀島

http://www1.ocn.ne.jp/~tokko/sikanosima/sikanosima.html

http://sawadas.cool.ne.jp/mikiyo/kahi/kahi.htm

 

 

 

九州人のルーツは南方のムー大陸の時代に遡る。

 海の民である。ベトナム人もルーツは同じである。

 ムー大陸は紀元前1万3千3百年前に、三段階に分か

れて海没する。


 そのとき船で逃れたムー人が、アジア文明の源流とな

って行く(大川隆法著「太陽の法」)。

 この説が最もよくアジアの体系を理解せしめる歴史観

である。

 文明のルーツは、チャイナではないということである。


 文明の灯がその後どのように日本に根付いたのかはわ

からない。

 しかし、紀元前8世紀頃の高千穂の国にははっきりと、

高度の文化を持って九州を統一していたことが神話に語

られていることからも推定されるのである。

 

 那国もまた、そうしたムー文明以来の海洋文明をもっ

ていたことであろう。


 

 

  

 ところが、現代では平凡な漁民に堕している。

 

 志賀島に通じる港は博多港(ベイサイド)だが、地震

に見舞われ、その復旧もままならない。

 その運営会社は倒産に直面して寂れている。

 これが九州の都、博多の港かと思うほどに過疎化して

いる。


 港には、地下鉄も電車もモノレールもない。

 過疎地を結ぶバスとタクシーだけである。 

 港を観光地にしようという発想はあったが、港にステ

ージを作るわけでもなく、人を集めようという導線の工

夫もないままだった。

 港に足りないものは・・・。

 足りないものは、海の民としての誇りと人材であろう。

 

 

 

                                      Bafun

 

 

 

 

 

  

 

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+ 地震の玄界島・・・ 「玄界島から激励の言葉を」 逆境はチャンスの顔である   

2005年10月17日 07時30分44秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 原爆の   時計を重ね   地震島

      馬糞 Bafun

 

 

  

 

 玄界島は今も地震の時を刻んで止まった古時計のよう

瓦礫のままだった。

 

 

 

 

 数年ぶりに玄界島にわたってみた。

 渡船は波頭にぶつかって揺れた。

 2005年4月の地震から半年たった今でも、全島崩

壊をさらしていた。

 切り立った宅地の坂道には瓦礫の山が氷河のように迫

っていた。

 

 

 

 

 漁師たちは仮設住宅に単身赴任して漁に出ている。

 漁協の長老は過労で著しく体調を崩していた。

 

 玄界島支援イベントを企画した取材で、

 漁協の代表にインタビューをした。

 

 「玄界島から激励の言葉を・・・」

 「私たちは激励される側なのに、なぜ・・・」 

 ・・・

 

 彼らは逆境と同時にチャンスの中にいたのに・・・

 逆境は、彼らの独占物ではないというのに。

 与える愛こそは、逆境の中に真価を発揮するものであ

る。

 

  

 

 

 チャンスは逆境の顔をしてやってくる・・・

 
                  
   

 J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 由布高原の馬・・・ スポーツ立国論

2005年10月14日 07時11分32秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 里馬の  尻温かき  由布の秋

   馬糞 Bafun

 

  

 

九州やまとの国のスポーツ立国論

 

 福岡県を中心に、九州には数多くの乗馬倶楽部がある。

 馬とともに生きる人々がおり、そこに喜びを得ている

乗馬人がいる。

 何とも優雅で、スポーティーな文化ではないか。

 もっともっと、気楽に乗馬を楽しめる国づくりをした

いものだ。

 

 運動会の一環として、市民乗馬大会をやってはどうか。

 宮崎を会場として、乗馬、マリンスポーツ、セパタク

ロー、グランドゴルフやゲートボール、野外バスケット、

女子野球、2万歩ウォーキング・・・

 

 温泉観光地は、スポーツと温泉を楽しむというコンセ

プトで、乗馬、水泳、バスケット、ウォーキングなどを

楽しむ生涯スポーツまちおこしを進めるべきである。 

 ウォーキングについては、都会でも歩くことが楽しく

なるような康歩道つくりを進めたい。

 

 九州やまとの国は、生涯スポーツを国是として育てた

いと思う。


 日本国の再建には、経済・財政再建ともに、国民の精

神的復興が欠かせない。

 子供たちの心に広がりつつあるスラムや砂漠は、財政

赤字より深刻である。

 心の緑化を進めなければならない。

 

国家百年の計

 教育は常に改革されなければならない。

 教育こそは、国家再建の重要な柱である。

 教育の柱とされるべきは、正しい競争の原理である。

 

 正しい競争とは、無限の発展を生むものである。

 故に、弱肉強食であってはならない。足の引っぱり合

いであってはならない。スポーツマンシップこそは、正

しい競争の精神である。

 

 もう一つの教育の柱は、感謝と、思いやりと、自助努

力を養う宗教教育である。武士道精神が見直されている

のはそのためである。

 宗教教育も、武士道教育も、体育教育を通じることが

有効である。


 そのためには、スポーツマンシップと正しい信仰を持

った人材が必要である。

 競争は切磋琢磨であり、神聖でなければならないから

である。

 スポーツマンシップ教育による、清々しい精神、競技

を通した切磋琢磨の精神、コミュニケーションの楽しさ、

鍛えられてゆく健康の楽しみこそは、国家再建の柱とさ

れるべき目標である。

 

 ところが、教育の現場では体育が軽視されてきた。

 特に小学校では体育の空洞化が著しい。

 小中学校の体育教育の再構築こそは、国家百年の大計

となろう。

 文武両道の教育に戻さなければならない。

 

スポーツマンシップを知らない者を、教員に採用して

はならない。

 体育のできない教師は三流である。教育現場から去れ。

体育教師を目指す者たちよ、体育以外にも専門分野を

持て。

 知性において侮られることがないように、努力せよ。

 国家百年の計は、体育教育の再興にかかっている!

 

 ああ、馬はただ、走ることが好きである。

 

                

J.D.Subunroco.

 

 

 

 

 

 

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+ 挙式・・・ 男女関係を神聖にする国づくり

2005年10月10日 10時01分00秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 若き日を  神統べたもう  挙式かな

   馬糞 Bafun

 

 

 

 結婚式に呼ばれた。

 神父が披露宴の始を司った。

 新しいスタイルだ。

 やはり、親が涙し、新郎新婦も泣いた。

 集った人たちもジーンと泣いた。

 

 結婚式もまた、神への感謝と誓いであると思う。

 男と女の関係でありながら、神聖である。

 男に神が宿り、女に神が宿る。

 男と女の縁は、本来神聖なものである。

 

 仏性、神性を見失った男と女は限りなくおぞましく、

限りなく傍迷惑となる。

 人間の品位とは、心の仏性、神性に由来するのだ。

 

 結婚して後も、神聖なる妻を愛し、

 仏性やどす夫を誇るべきである。

 それが夫婦の絆の原点というべきものであろう。

 

 女よ、本来の神聖なる女性の原点に返れ。

 男よ、女の神聖なるを敬うべきである。

 男よ、女よ、陰湿な地獄の獣(ケダモノ)となってはな

らない。

 

 教育者よ、そのことをこそ、教えるべきである。

 それとも、政教分離に反するというか。

 日本を自己中心で下品な国にしてはなるまい。

 

 神国日本に抵抗があるならば、

 仏国土日本をこそ、創建しようではないか。

          

                         

J.D.Subunroco.  

 

  

 

 

 

 

 

  

 

 

 

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+ おくんちの朝・・・ 祭りの定め 

2005年10月09日 09時40分28秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 諏訪の坂  神もごったに  おくんちし

   馬糞 Bafun

  

 

 

 

 今日は、長崎くんちのフィナーレである。

 もう20年来見ていない。

 くんちの頃は、朝夕がとても冷える。

 その緊張感の中、あの狭い諏訪神社の階段踊り場で

「コッコデショ」と傘が踊る。

 何とも異国情緒な奉納祭りである。

 

 秋は祭りやイベントのシーズンである。

 しかし、祭りとイベントは似て非なるものである。
 

 祭りは神聖であるが、イベントは社会的娯楽か宣伝行

事にすぎない。

 祭りはアートであるが、イベントは商業広告である。

 祭りは神のブランドであるが、イベントは商品ブラン

ドである。

 

 祭りと呼ばれているものの中に、祭りではないものが

ある。

 同様に、芸術といわれるものに地獄のものがまぎれて

いる。

 神のブランドをもたないものを祭りというべきではな

い。


 祭りの本源は、神降しの儀式である。

 神を迎え、神を見送る祭礼なのである。


 博多祇園山笠は神聖な祭りの緊張感と芸術性があるが、

 博多どんたくにはそうしたものがない。

 だから、どんたくは心に響くものがない。

 

 昨年はギリシャの原点に返ったはずのオリンピックで

あったが、中身は祭りではなく、イベントと化していた。

 近代オリンピック生みの親であるクーベルタン男爵は

そうした区別をしていただろうか。

 古代オリンピックはオリンポスの神々の前に奉納され

た祭典であった。


 肉体と精神の調和、自制と相手尊重のスポーツマンシ

ップがオリンピックの精神である。

 神聖な祭りであったからこその精神ではないのか。

 

 神なき競争は弱肉強食への歯止めがないが、神の前に

する競争はお互いが磨きあう切磋琢磨である。

 人間社会がイベント社会になると弱肉強食に堕落する。

 見よアメリカを、見よおぞましきチャイナを。

 イベント社会の悪相が現れている国である。


 アメリカには神聖さが残っているが、

 チャイナの神は共産党の牢獄につながれている。

 およそ神聖とは縁遠い下品な国柄である。

 

 神なき国は滅びるのみである。近づいてはならない。

 日本の政治もまた、本来のまつりごとを忘れ、

 イベントとしての政争を演じてはいないか、反省せよ。

 神なき政党、それが、共産党であり、社民党であり、

 その親戚の民主党の本質である。

 

 神なき政治は、力を権威として、人が人を支配する政

治となるであろう。

 

 経済もまたしかり。

 本来の経済は経世済民の神聖な使命を本源とした。

 ところが、今日の商業経済は風俗営業を入れたイベン

トであり、欲望の闘争に堕落している。

 それが、経済の崩壊と社会の無法化に連鎖している。


 神仏から離れるとき、人は下品になり、堕落が始まる。

 長いデフレ経済が続く間、天変地異がやむことはない

であろう。

 われわれは、仏神の前に謙虚になって反省しなければ

ならないのではないか・・・。

 諸悪の根源は神を追放した人間の傲慢にある。

 不幸の根源は、人間の自己中心。

 心から、仏神を追い出してはならない。

                   

      

  J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+  よーぐるとの土曜日に・・・ 神功皇后の活躍と系譜

2005年10月08日 08時05分32秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 ヨーグルトの  ブルーベリーな  土曜かな

   馬糞 Bafun

 

 

 

 稲穂は美しい。

 黄金の国ジパングといわれたのは、茅葺の家並みと輝

く穂波だったのではないかと、聞いたことがある。

 穂波といえば、福岡から巡礼の山篠栗の峠を越えた盆

地にその地名がある。


 5世紀初頭の三韓征伐で有名な神功皇后に由来する地名

あるらしい。

 「ああ、なんて美しい穂波であることか・・・」と。

 

 福岡には神功皇后にまつわる伝説が数多い。

 宮地嶽神社の裏山の山頂にも、三韓征伐の勝利を神功

皇后が祈ったとされる記念碑がある。

 木々に覆われて、朝鮮への海を見通す景観はなくなっ

ているが、神功皇后を身近に感じられる場所である。

 

 こうした神功皇后の伝承は、日本の歴史教科書からは

削除されているらしい。


 三韓征伐に対するコリアの反発を恐れてのことであろ

う。

 なんとも卑屈な国になったことか。

 教育の罪は重い。


 

 神功皇后について興味深い著作がある。

 渡部昇一先生の『日本史の真髄(古代・貴族社会篇)』

(PHP研究所刊)である。歴史に感動を覚える名著で

ある。

 久しぶりに読み返してみると、あらたな発見があった。

 神功皇后は仁徳天皇のおばあさまにあたる。

 その神功皇后は、日本武尊の子、仲哀天皇の后と書か

ている。日本楽府の記述であるらしい。

 

 ちなみに、仲哀天皇は、熊襲征伐の戦で流れ矢にあた

り、戦死する。

 夫の戦死を受けて、神功皇后が熊襲の後ろ盾となって

いた三韓の征服に成功するのである。三韓征伐から引き

上げて産み落とした仲哀天皇の子供が応神天皇である。

 

 日本武尊は、那国の媛であり、妻となった弟橘媛と共

に九州やまとの国から東征して日本を統一するが、新し

い都に帰還する直前で病死する。

 その後転生して、山県有朋として、近代日本の軍事を

司った。

 

 日本武尊の後をついで、奈良大和朝廷初代の皇位に即

位したのが弟、成務天皇である。

 4世紀初頭の人物である。


 二人の父は景行天皇であるが、ここまでは、佐賀やま

との都である。景行天皇は、九州やまとの国(いわゆる

邪馬台国)の女王、日向(いわゆる卑弥呼)の弟の系譜

(孫)に属する。



 神功皇后にとって、九州は故郷でもあったということ

である。 

 このころの日本を探索することは本当に楽しいことだ。

 古き良き秘史、万葉の時代である。

                        

 J.D.Subunroco. 

 

 

 

佐賀大和朝廷

卑弥呼(日向女王)・・・父:山高之命 母:桃日

大日之命(卑弥呼の弟)・・・ 卑弥呼が38歳で薨去の後再婚

景行天皇・・・ 大日之命の子(天駆之命)

日本武之尊・・・ 九州を出て、東征する。新しい拠点を奈良の地域にする。

 

奈良大和朝廷

成務天皇・・・ 日本武尊の弟。初代奈良朝廷の皇位に即位。

仲哀天皇・・・ 日本武尊の子。九州で戦死。

神功皇后・・・ 仲哀天皇の后。宇美八幡にて、応神天皇を出産。

応神天皇・・・ 仁徳天皇の父。

仁徳天皇・・・ 大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)。

        皇位継承に、菟道稚郎子(弟)と譲り合う美談あり。

 

 

 

 

 

 

 

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+ テントウムシに秋陽上がり・・・ テントウムシのデザイン性  新聞尊重から傲慢の時代へ

2005年10月04日 06時09分48秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  日向ぼこ  テントウ虫の  秋陽かな

        馬糞 Bafun

 

  

 

 テントウムシはすばらしいデザインの虫である。

 一体、どのようにしてデザインしたのだろうか。

 進化論という偶然論で説明のつく問題ではない。

 

 同じ環境に多様な進化が偶然に現れるというのは、ま

さに偶然だというのだろうが、テントウムシのブランド

に対して失礼であろう。

  

 21世紀は多彩なブランドを楽しめる時代になるだろう。

 個性の時代はデザインの時代でもある。

 多様性とは、偶然の産物ではなく、

 魂の多様性によるものである。

 魂の多様性とは、美意識の多様性でもある。

  

 

 新聞配達の音

 午前4時15分21秒、博多一番鶏が第一声に『オッペケ

ペー』と時を告げた。

 鳥目は朝には強いらしい。

 鶏めの体内時計が狂っているのではないかとも思った

が、新聞配達のそれとわかるバイクのこなれたエンジン

音が、小走りしている。


 朝の音である。

 苦学している、学生の朝である。

 朝こそは付加価値の時間である。

 

 

 新聞の無価値

 小さい頃、朝刊を踏んだりすると母にしかられた。

 ばちがあたるよ、と。

 だから、新聞は神様が書いたインテリジェンスに感じ

られた。 

 

 母は尋常小学校しか出ていないが、向学心が強く、

働きに疲れながらもよく本を読んでいた。

 
 倹約の生活の中にも、子供のためには世界文学全集や

百科事典などを買ってくれた。

 クリスマスプレゼントなどは、本が多かったように思

う。

 

 しかし、今の新聞に崇高さなど少しも感じない。

 朝刊のにおいには懐かしい新鮮さを感じるが、

 新聞代は、テレビ番組表と分厚いチラシ広告の値段で

ある。

 ごみを包むには惜しげのない紙でもある。

 実際、新聞を取らなくなると、

 古新聞の山に困ることはないが、ごみを包む紙に不自

由する。

 

 インテリやくざのジャーナリストたち

 日本のジャーナリズムは政府と戦って、国益を損なう

ことを手柄と勘違いする傾向がある。

 一言で言えば、官僚エリートに対するコンプレクスの

塊である。

 彼らにとっての民主主義とは、強きをくじき、弱きを

あざ笑う悪口雑言にほかならない。

 総会屋同様、インテリやくざである。

 

  だから、国民は、歴史を学び、良書を沢山読んで、

スコミに対する批判力を身につけなければならない。

 それが、民主主義を支えることになるだろう。


 マスコミ支配という危険な独裁を『民主主義』と勘違

いしてはならない。

 匿名の偽インテリが、世論になりすまして、ハッカー

のように青白い含み笑いをしているのである。

 

 読書の秋に、毒キノコを食べないようにしよう!

 

 

 構造改革の仕上げは、マスコミの再教育再編と民主的

コントロールの制度化である。

 郵政改革は行政縮小への第一歩であるが、同時にマス

コミ改革を進めなければ、いよいよマスコミ独裁が本性

をむき出しにしてくるだろう。


 官僚は、マスコミを抑制する権力でもあるからだ。

 

 マスコミは、民主主義の擁護者のように振舞っている

が、実は最も危険な独裁権力であることを忘れてはなら

ない。

 

 ジャーナリストへの警告

 天罰が下る前に、国益を害し、不幸を食い物にするよ

うな悪口憎言をやめよ。

 罪を反省して悔い改めることである。

 

 反省とは汚れた心を掃除することである。

 まずは、雑巾を持って、穢れた職場を掃除することか

ら始めるとよい。

 テントウムシのように、ぴかぴかに。

              

             

 J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 仮の世の花・・・ 主役交代の映画つくり

2005年10月02日 19時13分15秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 仮の世の  天空高き  山に咲き

   馬糞 Bafun

 

 

 

 高原の花、何の花?

 わからない。

 九重高原の短い秋に、神秘な淡い紫の花を咲かせよう

としている。

 名も知らない花の悟りが、今、開こうとしている。

  

 「佐川ですけど、今から伺っていいですか」

 ドアが開くなり驚いた。

 配達してくれたのは、かつての上司だった。

 荒っぽい会社だったが、短い間にずいぶんと勉強にな

った。

 

 一世風靡した会社だったが、十年以上も前に倒産した

という。

 そういえば、九州でも名の通った中堅大手企業が、

くつも倒産した試練の時代ではある。

 

 本来優秀と思っている社員も、からっきし逆境には歯

が立たない。

 いったい何が変わったのか。


 今はまさに変化の時代である。

 連続的変化ではなく、デジタルな変化である。

 千変万化というような激動なのである。

 戦略なくしては、飲み込まれる時代だ。

 

 この変化は、国単位で、民族の単位で、主役が交代し

つつあるということだろう。

 欧米からアジア・オセアニアの時代に移行しつつある

のだ。



 そのあだ花となるのがチャイナであろう。

 Made in Chainaの安い商品をばら撒い

て、世界経済を大混乱に陥れた。

 貧困とは、えげつなく奪い合うものだ。

 
 チャイナの赤い星が落ちるとき、21世紀の繁栄が始

まる。

 欧米は大きな過ちを犯した。

 それは、非情な民族差別観に基づく植民地政策であり、

神の逆鱗に触れて余りある黒人奴隷政策である。


 その毒素が、欧米を衰退させているのだ。


 民族の坩堝となったアメリカは、崩壊しつつ世界に君

臨するのだろう。

 その命を支えているのは、闘争心をあおる、チャイナ

とイスラムである。

 

 日本はアメリカの傘下で豊かになったが、やっと手が

届くようになったかつての憧れ、欧米を、洗練された未

来だと錯覚している。

 新しい時代は、始まっているのに。

 日本・東亜・オセアニアの時代が小学生のように成長

しているのに。


 

 

  

 マクロ的には主役交代という激動が起こっている。

 ミクロ的には、大衆消費者が個性に目覚めてわがまま

になった。


 このわがままに適応できない企業は、立ち行かなくな

る。

 「そんな大変なこと、コスト的に合わない」と切り捨

てる人は、会社をだめにする人である。

 


 わがままに応えることこそ、成長のチャンスである。

 有用の人材は、やれる理由を創意工夫するものである。

 それが、チャレンジャーである。

 

 この世は仮の世ではあるが、

 仮というのは、実体がないということではない。

 いわば、映画作りをしているようなものだ。

 感動の作品作りに、人生をかけるほかはない。



 恐怖、被害妄想、被害者意識、報復、支配・・・。

 そうした暗黒を吹き払って、多忙な発展を始めたいで

はないか。

 新しい、アジア・オセアニアの時代を作ろう!

                            

 J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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