20日21日、議員有志の会で米沢市に行って来ました。
直江兼続公とお船の方のご位牌を預かる東源寺とういうお寺でご住職から興味深い話を伺いました。
兼続公の葬儀はとても質素なもので、戒名も○○○○居士という四文字だったそうです。
名門上杉家の家老職を努め、幾多の危機からお家を守り、領民のために尽くしてきた人にしては・・。
それは主君上杉景勝公の意志だったのか?
お船の方はじめ家族の意志だったのか?
実は、兼続公の意志だったのではないか、というのが、ご住職の(推測ではあるけれども)考えでした。
東国の名門ではあるが、ときの権力者徳川家に敵対した上杉の家老職であることや、直江状で反旗を
翻した本人であることから、質素なものにするよう、お船の方への遺言として、四文字の戒名とすること
や簡素な葬儀とするように、意志を伝えたのではないだろうか?その意志に主君景勝公やお船の方が
応えたということであろうという話であった。
当然、徳川幕府も兼続公の葬儀をどのようにするのか、みていたはずでもあろうというのである。
そして、兼続公没100回忌において、米沢藩は盛大な法要を営み、院殿号を追加した戒名に改めたというのである。
話変わってガイドさんの話では、上杉家が徳川幕府の命による米沢への移封前の米沢地域の人口は
わずかに800人であり、上杉家家臣とその家族3万人が移り住んだことにより、その礎が築かれたとの
ことである。
上田庄に比べれば圧倒的に広い大地を前に、兼続公や景勝公は何を思ったのだろう。
領地領民を守るためにとられた地域づくりや産業育成、防衛のための細やかな戦略は、厳しく
計画的であることが、様々な史料や研究家の方々の話を聴くたびに明らかになる。
身近なところから歴史を知り、学び、考えることはとても楽しく、大切なことかもしれない。
東源寺 龍師火帝の碑(治水工事の碑)
直江兼続公とお船の方のご位牌を預かる東源寺とういうお寺でご住職から興味深い話を伺いました。
兼続公の葬儀はとても質素なもので、戒名も○○○○居士という四文字だったそうです。
名門上杉家の家老職を努め、幾多の危機からお家を守り、領民のために尽くしてきた人にしては・・。
それは主君上杉景勝公の意志だったのか?
お船の方はじめ家族の意志だったのか?
実は、兼続公の意志だったのではないか、というのが、ご住職の(推測ではあるけれども)考えでした。
東国の名門ではあるが、ときの権力者徳川家に敵対した上杉の家老職であることや、直江状で反旗を
翻した本人であることから、質素なものにするよう、お船の方への遺言として、四文字の戒名とすること
や簡素な葬儀とするように、意志を伝えたのではないだろうか?その意志に主君景勝公やお船の方が
応えたということであろうという話であった。
当然、徳川幕府も兼続公の葬儀をどのようにするのか、みていたはずでもあろうというのである。
そして、兼続公没100回忌において、米沢藩は盛大な法要を営み、院殿号を追加した戒名に改めたというのである。
話変わってガイドさんの話では、上杉家が徳川幕府の命による米沢への移封前の米沢地域の人口は
わずかに800人であり、上杉家家臣とその家族3万人が移り住んだことにより、その礎が築かれたとの
ことである。
上田庄に比べれば圧倒的に広い大地を前に、兼続公や景勝公は何を思ったのだろう。
領地領民を守るためにとられた地域づくりや産業育成、防衛のための細やかな戦略は、厳しく
計画的であることが、様々な史料や研究家の方々の話を聴くたびに明らかになる。
身近なところから歴史を知り、学び、考えることはとても楽しく、大切なことかもしれない。
東源寺 龍師火帝の碑(治水工事の碑)