ミラノを早朝に発ってパドヴァで乗り換え、到着した Bassano del Grappa
バッサーノ デル グラッパ。
ブレンタ川にかかるアンドレア パッラーディオ 設計の木製の橋↑と、
グラッパで有名、それからホワイトアスパラとグラッパ焼きという陶器。
そんな大雑把な情報しか知らなかった私ですが、
この街はもっともっと知りたくなることがいっぱいあったのでした。
到着後、降り出した雨にも負けず、街歩きに出かけた私たち、
なぜなら ようやく着いたこの街に たった1泊で別れを告げて、
パドヴァに移動しなけらばならなかったから・・・
うん、それもあるけれど、
雨にぬれずに済むポルティコにも助けられてお店を覗けば、
なんと魅力的なお店の多いこと!
その中で、私たちが泊まった100点満点のB&B(また後程詳しくご紹介)のすぐ隣に
すてきなマダムのいる紳士服のブティックがありました。
ショーウインドウにあった麻のシャツブラウスに一目ぼれ、
ダンナのお土産にと買い求め、マダムと少しおしゃべりをしました。
↑ Asolo アーゾロの街
「どの街が好き?」という話になり、
マダムは「そりゃ、Bassano del Grappaが一番よ。Veneziaもいいけど、
私はAsoloが好き。ここからも近いのよ。」と。
旅に出る前、偶然にもそのAsoloの写真をお気に入りのブログで見て
「行ってみたいな」と思っていた私は仲間に相談。
そして全員一致でタクシーで行ってみよう、ということになりました。
4人で割り勘だからこんな場合便利なのです。
B&Bの若きオーナーの紹介で翌日タクシーが迎えに来てくれました。
ずっと降っていた雨もいつしか上がり、青空が見え始めました。
運転手さんも優しくて、話がはずみました。
「そうだ!街を出る前にちょっと通ってもらえませんか?
Viale dei Maritiri という通りへ。」
「え?行きたいの?」
「はい、ガイドブックに載ってるの 。」
「了解」
↑ Viale dei Martiri
なるほど!グラッパ山を正面に、パノラマが広がってそれはそれはいい眺め。
「ガイドブックに載ってたキノコ型の木もかわいいねえ」
(写真左端に見えているのがそれ)
山をバックに写真などを撮っていたら、運転手さんが質問してきました。
「どうしてここへ来たかったの?」
彼のさっきまでとはちょっと違う真剣な目の動きに、「あれ?どうしよう」
と思った私。
とっさに「友達がここを薦めてくれたの」と言ってしまいました。
「どうしてこの通りがこの名前になったか知ってる?」
「いいえ、知らない」
「なら 教えてあげるね。実は1944年、9月、ここでレジスタンスの若者31人が
絞首刑されたんだ。ここにある木すべてを使って。
ほら、その印に名前と日付、写真もあるんだよ。
それ以来、ここを「殉教者の並木道」Viale dei Martiri って呼ぶようになったんだ。」
「ええ~っ、そんな恐ろしいことがあったの!何も知らなかった。」
全身に鳥肌がたった私、運転手さんが示したその木に仏教式に
手を合わせ、お祈りしたのでした。
ショックもショック。
それってまだ100年もたっていないじゃない!
それにうかつにも「Martiri」を人の名前かなんかだと思っていたけれど、
その時思い出したのです。
去年 ロザンナ先生と街歩きしていて偶然みつけた「中浦ジュリアン」を
お祀りしていたローマのトラステヴェレの教会をちゃんと調べたときに、
何回も出てきた「殉教者」=「Martire」という言葉。
知っていた言葉だったのです。
日本に帰って、すぐ調べたのがここ Viale dei Martiriのこと。
なんと、当時の写真まで残っているのです。
(検索すればすぐ出てきますが悲しすぎます。)
そこには 以前からキノコの形に刈られたあの木々がありました。
そんなむごい事実がなければ、本当に美しい場所なのに。
今日はこの旅で一番気にかかった「こと」についてお話しました。
つい この間起こった戦争、
それを、過去のことと言ってしまうことはできません。
行ってみて、聞いてみなければわからない話ってありますよね。
ネットの検索ですが、画像だけでも悲惨さが伝わってきます。
ただ受け止めるのが辛くなってしまいますが・・・