2月23日、BS朝日の「ザ・偉人伝」で、今年、「アジアの歌姫」として日本中を虜にしたテレサ・テンの没後30年を迎えることを記念してか、「テレサ・テン30年目の歌声」という特別番組が放送された。2時間近くにわたって、日本の歌姫に触れた幼少期から日本でのデビュー、国外退去、「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」の3部作の誕生、あまりにも早すぎる旅立ちと波乱万丈の42年について、エピソードも交え、かなり詳しく紹介してくれた。せつない女心を美しくも情念を感じさせる声で歌い上げ、アジア全域を魅了したテレサ・テン。その透き通った歌声は、想像を絶する波乱の道のりを歩んだ人間だからこそ出せる、唯一無二の歌声なのかもしれない。
番宣では、戦後の影響が色濃く残る時代に、台湾、中国、日本など同じアジアながら文化の違う国で、それぞれの国民を魅了してやまなかったテレサ・テンの没後30年を迎えるにあたり、その足跡と彼女の耐え難いほどの壮絶な人生を辿り、アジアの懸け橋となった歌声の魅力に迫るとあった。また、テレサと親しかった歌手、ジュディ・オングさんが彼女との思い出を、そしてテレサにあこがれ続ける俳優、檀れいさんが想いを語っていたが、歌声の魅力については全く同感であった。同じ台湾出身のジュディ・オングさんについては、番組後半で彼女の半生についても取り上げて紹介していた。
偉人伝展開の概要は、下記の通りであった。
●日本の歌姫に触れた幼少期――中国大陸出身の両親が戦後、台湾に渡り、各地を転々とするなかで生を受けたテレサ。ラジオから流れてきた美空ひばりの「リンゴ追分」が幼心に刺さり、歌手を志す。テレサは家計を支えるため、中学を2年で退学し、13歳で歌の道へ。
●瞬く間にアジアのスターへ――台湾テレビの専属、中国テレビの専属などを経てその人気はアジアに拡大。18歳で東南アジアツアーを開始し、1972年、19歳で香港10大スターに選出される。翌年、日本デビューを果たし、「空港」で日本レコード大賞新人賞を手にする。
●日本からの国外退去――東南アジアでの人気を不動のものにしたテレサを予期せぬトラブルが襲う。不正なパスポート取得を理由に1年間の国外退去処分がくだる。日本での活躍が期待されるなか不運に見舞われてしまう。
●恋人との別れと「つぐない」の誕生――しかし、テレサの苦境は彼女の歌が打ち破っていく。彼女の人気は留まることが無く、見事、復活。日本では「つぐない」が大ヒットするが、この曲はテレサが恋人と別れ、歌い続ける道を選んだがゆえに生まれた作品だった。
●あまりにも早過ぎる旅立ち――荒木とよひさ作詞、三木たかし作曲による「つぐない」を皮切りに、テレサは二人が手掛けた「愛人」「時の流れに身をまかせ」などヒットを連発し、日本での人気を不動のものに。しかし1995年、42歳という若さでこの世を去ってしまう。
番組の中で、「ふるさとはどこですか」という曲にまつわり、福島県の三島町とのエピソードが詳しく報じられていたが、テレサの第二のふるさとであったようで、興味を覚えた。ネットでは、ゆかりの地マップが公開され、昨年11月には歌碑も建立されたようなので、近い内に是非とも訪れてみたい。
この番組でテレサ・テンの魅力をたっぷり味わうことができたが、何と翌日の24日には、NHK総合で、1985年12月15日にNHKホールで行われたテレサ・テンの伝説のコンサートのリマスター版が約1時間40分にわたって放送された。録画しながら視聴したが、全編を通じて視聴できたのは初めてであった。彼女が憧れていたNHKホールでのコンサートが実現した1985年当時は、自分自身、ドイツのフランクフルトに駐在していたので、ライブどころかテレビでも見たことがなかったので、コンサート模様が視聴できたことは嬉しい限りであった。
「時の流れに身をまかせ」(1986)や「別れの予感」(1987)がヒットする前のコンサートであったが、彼女の2枚目のレコードの「空港」(1974)から始まって、最後は「愛人」(1985)がフィナーレを飾った。その間、彼女の日本語でのヒット曲やカバー曲に加え、中国語や英語の曲もいろいろ紹介され、全部で約30曲にわたりテレサの美しい歌声を楽しむことができた。没後30年とは、ひしと時の流れを感じるが、テレサの魅力は永遠に自分の中で生き続けている。
NHKコンサートの一部(ウェディングドレスで歌う「愛人」):https://www.youtube.com/watch?v=Qwq8pBbs8mw