笑点でお馴染みの桂歌丸さんが7月2日、81歳で亡くなるという悲報が入ってきた。笑点は昔から欠かさず見ていたので、残念の一言である。病気がちで、司会を降りた後も、点滴を打ちながらも高座を務めるほどの落語家魂に感服していたが、ついにその時が来てしまったかという思いである。
桂歌丸さんとは、1986年2月、ドイツのフランクフルト在任中、お会いする機会を得た。これは、フランクフルト在住の日本人向けに、落語の会のイベントを行ったもので、歌丸さんと三笑亭夢楽さん、桂歌春さんという3名の落語家さんと奇術の美江子さんの計4人の芸人さんをゲストに招いたものである。
当時、歌丸さんは、TV番組「笑点」の出演で超多忙であったが、録画撮りをいっぱいやってから来たと話していた。この落語名人会は、地元の日本人にとっては、大変人気のあるイベントで、当日も、250~300人位の日本人が集まった。小さなお子様を預かるというサービスも提供したため、若い奥様も多数かけつけた。
当時の歌丸さんは、計算してみるとまだ49才であったが、年の割には老けている印象であった。落語や大喜利のシーンは、皆さんもテレビでお馴染みだと思うが、楽屋では、大変物静かで、冗談など言うことなく、じっと出番を待っている印象であった。
歌丸さんは、本人も化石と周りに言われていたが、化石収集が趣味の一つであったようで、フランクフルトの街を散策中に、化石の専門店を見つけ、しばしお店に釘付けになっていたことをよく覚えている。
落語の会が終ってから、関係者が集まって中国レストランで打ち上げを行った。打ち上げの後は、希望もあって落語家さん3人を夜の街に案内した。落語家にとって、夜の街の視察は、芸の肥やしになるとのことで、積極的に行っているようであった。テレビではできないが、寄席では色っぽいネタもいろいろやるとのことであった。
とにかく、日曜の5時半から笑点を見ることが習慣で、長い間、歌丸さんに楽しませてもらったが、長い間本当にお疲れさまでした、ゆっくりとお休みくださいと言いたい。ご冥福を心よりお祈りいたします。
写真は、打ち上げパーティ(前方右から2人目が歌丸さん)
桂歌丸さんとは、1986年2月、ドイツのフランクフルト在任中、お会いする機会を得た。これは、フランクフルト在住の日本人向けに、落語の会のイベントを行ったもので、歌丸さんと三笑亭夢楽さん、桂歌春さんという3名の落語家さんと奇術の美江子さんの計4人の芸人さんをゲストに招いたものである。
当時、歌丸さんは、TV番組「笑点」の出演で超多忙であったが、録画撮りをいっぱいやってから来たと話していた。この落語名人会は、地元の日本人にとっては、大変人気のあるイベントで、当日も、250~300人位の日本人が集まった。小さなお子様を預かるというサービスも提供したため、若い奥様も多数かけつけた。
当時の歌丸さんは、計算してみるとまだ49才であったが、年の割には老けている印象であった。落語や大喜利のシーンは、皆さんもテレビでお馴染みだと思うが、楽屋では、大変物静かで、冗談など言うことなく、じっと出番を待っている印象であった。
歌丸さんは、本人も化石と周りに言われていたが、化石収集が趣味の一つであったようで、フランクフルトの街を散策中に、化石の専門店を見つけ、しばしお店に釘付けになっていたことをよく覚えている。
落語の会が終ってから、関係者が集まって中国レストランで打ち上げを行った。打ち上げの後は、希望もあって落語家さん3人を夜の街に案内した。落語家にとって、夜の街の視察は、芸の肥やしになるとのことで、積極的に行っているようであった。テレビではできないが、寄席では色っぽいネタもいろいろやるとのことであった。
とにかく、日曜の5時半から笑点を見ることが習慣で、長い間、歌丸さんに楽しませてもらったが、長い間本当にお疲れさまでした、ゆっくりとお休みくださいと言いたい。ご冥福を心よりお祈りいたします。
写真は、打ち上げパーティ(前方右から2人目が歌丸さん)