興味深かったのは、
日本人の宗教性。
現実生活と混ざっているという話。
脳死の息子との十一日間の対話。
色々考えさせられた。
「私の人生はこれに賭けた」と言えるもの。
身内や、親しい人が亡くなると、身近な者は、
「天国にいる」
「極楽に行ってる」
「そのうち会える」
「星になった」
「心の中にいる」
等と言って慰める。
自分の神話を見つける義務と課題を持っていると著者は書いている。
天国や極楽を信じていなければ、それは言えなくなる。
星になった、心の中にと言う人も、それを信じているから言える。
どれも、信じていなければ絶句することになる。
「千の風になって」という歌が少し前に流行った。
「その墓に、わたしはいません」という歌詞が共感されたのか、合唱曲でもよく演奏された。
仏教国の日本人は、人が亡くなると墓に埋葬する。
説教言葉には、「草葉の陰で泣いている」「先祖に顔向けができない」などと使われることもある。
仏教は生活に深く浸透しているものの、意識的に深く信仰している日本人は減ってきている。
よって、墓場の存在から使者の魂の存在、死後の行方などについて、様々な考えをする人が
増えてきているのかもしれない。
自分としては、墓は墓、位牌は位牌。
魂は、少し疑問に思っている。
家には6枚の写真が飾られている。
墓があるのは5人。散骨が一人。
自分も、死んだら海への散骨を希望している。
仏教や神を信じる日本人。
独自の神話を持ち始めているということなのかもしれない。
「日本人」という病
これからを生きるために
河合隼雄
静山社文庫