合唱の練習後、ふと、合唱は車の運転に似ていると思いました。
車に乗って公道を走るには、様々な、ことが必要になります。
まず、車の運転法を知って上で、公道の様々な表示、標識、信号をみながら、横断歩道では、対向車の動き、歩行者の動き、他車の動きも瞬時に判断しなければなりません。
公道を走るのには、色々な情報を瞬時に判断して、車を走らせたり、止めたり、人を乗せたり、
信号を確認したり、標識を見たり、歩行者の動きに注意したり、街中では、店の様子も、視野に入ります。
関係あるか、ないのかも瞬時に判断しなければなりません。
救急車などがサイレンをならして近づいたら、道をあけなければなりません。
並行して走る車の動きも、見逃しては、危ないこともあります。
合唱も、様々な楽譜の上の情報と指揮者からの情報、そして、一緒に演奏する、すべての
人との、情報のやりとりを、瞬時に判断しなければなりません。
「歌う」という行為だけ、楽譜を見ている。指揮者を見ている。
それだけでは、成り立たないのです。
「暗譜して初めて(演奏の)スタート」なのです。
しかしながら、生き物の情報は、瞬時で変わります。
基礎の暗譜が不完全だったり、間違って覚えていたりということも、ありがちなのが、怖いところです。
「一人が間違って暗譜していた」
「うろ覚えだったので、歌っている人を参考にした」
ということは、ありがちな事です。
日本語の歌には、間違って暗譜するというのが起こりがちなのです。
歌詞がすぐ言えるので、音符をしっかり覚えようとせず、歌詞を覚える方に気をまわして、音符などの情報が、あやふやだったり、間違って記憶してしまったりということになりがちなのです。
「以前、歌ったことがある」という団員が時折います。
そういう人は、ある程度歌詞を覚えているので、記憶のままに歌うことになります。
それが、音符が間違って記憶してたり、無意識で編曲していることも、おこりうるのです。
時々は、楽譜を確認するとか、録音を確認するとか、聞き比べるとかが必要になるかもしれません。
落とし穴は、わかりにくいところに潜んでいます。
わかりにくいところだから、見過ごしことにもなるのでしょう。