沖縄旅行の際には、必ずひとつ沖縄戦関連の史跡をまわることにしています。
今回は豊見城市にある旧海軍司令部壕に行ってきました。
ここは、第二次世界大戦での沖縄戦の際に、日本海軍の司令部があった所です。県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦。当時の過酷さの爪あとが今でも生々しく残っています。

階段を降りていくと、内部は迷路みたいに入り組んでいました。通路自体はせまいのですが、距離が長いため、かなりの広さに感じられます。ただ、この壕内でなくなった死者は4000人とも言われていて、それだけの人数がこもっていた事を想像すると、かなり息苦しいものを感じます。実際、待機スペースでは、その狭さのため全員が立ったまま睡眠をとっていたそうです。

不謹慎を承知で、迷路みたいな内部は、少年心を思い出しワクワク気分になれます。しかしそんな気分も、至る所に残る当時の面影の生々しさに、すぐに散々に打ち砕かれました。



手榴弾自決の破片のあとや、多くの兵士が息を引き取ったであろう救護スペース、司令官らが自決した司令部跡などなど。
中でも印象に残ったのが、地上との出入り口。ここから外に向かって、追い詰められた日本兵が最後の突撃をしたそうです。その場面を想像し、自分に重ねあわせると、胸の中がなんだかモヤモヤします。

日ごろ、沖縄のおもしろおかしい部分を(リスペクトをこめつつ)ネタにさせてもらっている手前、こういう側面もしっかり勉強するのが礼儀だと思うし、こういう悲惨で過酷な爪あとを見たときに得られるモヤモヤした感情は、定期的に補充しないとすぐになくなってしまいます。道義的なことや思想的なことはよくわからないけれど、そのモヤモヤは結構大切なものなのだと思うのですよ。
戦争の怖さを十分わかった気になっていても結局は他人事にしか感じられていない事への気づきと、今自分が生きている世界観のはかなさが、細胞レベルで体感できる、そんなスポットです。