ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

生き物語

2011年03月04日 | 通信-社会・生活

 全国的に寒いようだが、沖縄も昨日から寒い。いつものんびりと模様替えをする私が今回は珍しく、先週末に毛布、冬用ブルゾン、電気ヒーター、布団乾燥機などを仕舞ってしまった。冬用ブルゾンは3着あり、幸いにもまだ洗濯の済んでいない1着は仕舞っていなくて、外出時はそれを着て寒さを凌いでいる。ただ、外気温と差の無い部屋の中では、寒さに耐えながら飯を食い、酒を飲み、パソコン作業などしている。
 私は飯を食う時、酒を飲む時、パソコン作業をする時は概ねテレビ、またはオーディオを点けている。テレビは、飯を食う時、酒を飲む時は「観て」いるが、パソコン作業をしている時は音を聞いているだけで、あまり「観て」はいない。あまり「観て」いない弊害が時々ある。聞き違いがある。聞き違いしたまま、間違った情報が頭に残る。

 芸能界にはあまり興味が無く、テレビドラマは観ないし、音楽番組もまったく観ない。なので、芸能情報に疎いし、特に若い芸能人やミュージシャンを私は知らない。上記したようにテレビの音は聞いているので、芸能人やミュージシャンの名前は耳に残る。
  「生き物語」という名の音楽グループがいることも知っている。このように、「えっ」と思う面白い名前だと記憶に残るみたいだ。「生きる物語か、何か深い感じだな、もしかしたら、生き物の語りってことかもしれないな、それでも深いな」と思った。
 「生き物語」と私には聞こえた音楽グループが、何年前から活躍しているのかは全く知らないが、何人のグループなのか、男なのか女なのかも知らないが、私が、私の聞き違いであったことに気付いたのはつい最近、ほんの2、3週間前であった。
 でもさ、自分で言うのも何だが、「生き物語」って名前はなかなか良いんじゃないのと思う。いろいろ想像が膨らむ名前だと思う。「いきものがかり」って「生き物係」ってことだろうか?近所の小学生に聞いて、そういう係があることを知ったが。
         

 もう一つ、「めざましテレビ」の大塚さん、に限らず他のアナウンサーも、「あい、すずき」と、「あい」と「すずき」を分けたような発音するもんだから、鈴木功とか、鈴木伊代とかを私は想像してしまった。しかし、テレビ画面に映った文字は「icezuki」と見える。これは当然、少なくとも私は、何も迷わず「アイス好き」と読む。

 「朝から今までいったいどこ行っていたんだ!」と刑事課の課長が、うっかり刑事(私のような者)を怒鳴る。夕方の捜査一課の室内でのこと。
 「街のアイスクリーム屋さんを回っていました。」
 「アイスクリーム屋?・・・何で?」
 「犯人はアイスクリーム好きみたいなので。」
 「何で犯人がアイス好きと判ったんだ?」
 「投稿者名がicezukiとありましたので、へへっ。」
 「バカモン!良く見ろ、iの前にaが付いている。」
 「あっ、ホントだ。だけど課長、これで絞り込みがしやすくなりました。犯人はAアイスという銘柄が好きなんです。Aアイスを置いてある店を探せば・・・」
 そんなこんなで、うっかり刑事は見当違いの捜査を続けるのであった、とさ。
         

 記:2011.3.4 島乃ガジ丸


ウズラマメ

2011年03月04日 | 飲食:食べ物(材料)

 斑模様の豆

 宜野湾の畑には昨年、ラッカセイを植えて、たくさんの収穫を得た。アパートの畑ではほぼ毎年エダマメを植え、収穫している。アパートの畑ではまた、大家が植えたシカクマメがあり、「自由に取って良し」と許可を得、自由に取って食べている。
 宜野湾の畑には今年新たにインゲンマメ、ウズラマメを植えているが、ラッカセイもエダマメもインゲンマメもウズラマメもみなマメ科の植物で、食用の豆である。そう、私の食糧自給計画に豆は欠かせないのだ。カンショには多くの栄養成分が含まれ、炭水化物とビタミン、ミネラルはカンショだけで足りる。カンショに足りないのは塩と蛋白質だけらしい。塩は海に行けばある。蛋白質を得るには?と考えて、豆ということ。

 芋と豆さえあれば何とか生きていけるという考えで、宜野湾の畑の大半は芋と豆で占められている。30坪ほどしか無い小さな畑なので、今はまだ生きていけるだけの量は生産できないが、いつかはもっと広い畑を借りて、「芋と豆だけ生活」を確立したい。
 もちろん、食べ物は美味しくなければならぬという信念を持っている私なので、芋も豆もいろんな料理法を試している。ただ、残念ながら芋も豆も私の料理の腕を発揮することはあまり無い。何故なら、芋も豆もそのまま焼くだけ、蒸すだけ、煮るだけ、揚げるだけで十分美味しいので、手の込んだ料理をする必要は無いのである。

 友人の八百屋や近所の地産地消コーナーがあるスーパーにウズラマメがあり、たびたび購入している。ウズラマメは莢から豆を取りだした状態でパック入り、または袋入りで売られていた。が、数ヶ月前、莢付きウズラマメがスーパーにあった。それを見て、ふと閃いた。「莢ごと焼いてみよう」と。豆は莢の中で蒸し焼きになる。それはきっと美味いに違いない。で、やってみる。予想通り、それはとても美味しかった。
 
 ウズラマメ(鶉豆):豆類
 マメ科の一年草 インゲンマメは中央アメリカ原産 方言名:なし
 名前の由来は広辞苑に「豆は白地にウズラの羽の斑紋に似た褐紅斑がある」とある。本種はインゲンマメの一品種で、同じく斑の入った虎豆という品種もある。
 インゲンマメというとサヤインゲン(莢隠元)がすぐに思い浮かぶ。サヤインゲンは莢ごと茹でたり天ぷらにしたりして食す。インゲンマメの中でそういったものを軟莢種といい、本種のように成熟種子が食用となるものを種実用種という。種実用種は他に大福豆(白餡の材になる)や金時豆(沖縄ぜんざいの材となる)などがある。
 栽培に関わることでもインゲンマメは分けられる。ツルありインゲンとツル無しインゲン、サヤインゲンは概ねツルあり、本種は概ねツル無し。その他、春蒔き種と秋蒔き種があるようだが、ウズラマメは(私の場合)冬に蒔いて、春に収穫する。
 ツル無しインゲンである本種は、高さも30~50センチほどにしかならない。花は葉腋から花茎を伸ばし、1個付ける。色は淡い紫、開花期は12月に蒔いて2月頃。莢の中には4~10個の豆が入る。熟すると豆にも莢にも褐紅斑が入る。
 

 記:2011.2.19 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


現実的ゲーム

2011年03月04日 | 通信-社会・生活

 学生の頃、ゲーム屋さんでバイトしていたことがある。インベーダーゲームの余韻がまだあった頃だ。ゲーム機のマスターキーを持っていたので、暇な時は只で遊んでいた。
 その頃は、只だから遊んでいたし、只で無い場合でも、友人たちから「ゲームしに行こうぜ」と誘われて、たまにはゲームセンターにも行っていた。
 それから数年後、従姉の子供がファミコンを購入し、ファミコンなるものがあるということを知ったが、私はやらない。従姉の子供が父親のパソコンで「信長の野望」とかサッカーゲームをやっていたが、それにも参加しない。大学卒業後沖縄に帰ってから、私はたぶん、ゲームセンターへ行ったことが無い。パソコンを購入して最初の頃はマージャンゲームに興じていたが、それもすぐに飽きてしまった。

  ゲームとは「遊戯。勝負事。競技。試合。」と広辞苑にある。コンピューターゲームはこの内の「遊戯、勝負事」ということであろう。この「遊戯、勝負事」の面白さを私は知らない。新発売のゲーム機を買うために徹夜で並ぶなんてニュースを見ても、それほど熱中することか?と不思議に思うだけ。画面の中の勝負事に「勝った、負けた」と大騒ぎすることにも、「だから何だっていうんだ?」と思うだけ。
 と言いつつ、じつは私は一昨年までコンピューターゲームをたびたびやっていた。一昨年12月に会社のパソコンがウィンドウズ7に替わるまでは毎年何度もやっていた。こっちはでも、現実的ゲームだ。パソコンが故障して、それをいかに直すかというゲーム。故障したパソコンを自分で修理して回復させたことが何度もあるが、その時は嬉しい。ついにお手上げとなり、パソコンが死んだ時は残念であった。
         

 現実的ゲームと言うと、私の場合は10年に1回しか訪れてこないが、恋愛もその内の一つになる。「ゲーム感覚で恋愛しているからフラれてばかりいるんだ」と言われるかもしれないが、この場合のゲームは「試合」、それもオリンピックのような大事な試合、人生の大勝負となる。なので、毎度毎度、真剣に試合に臨んでいる。しかし、奮闘努力の甲斐も無く、勝負に破れて、深い悲しみに沈んでいるだけのこと。
  さらに言えば、日常の生活でも現実的ゲームはそれこそ日常的にある。例えば、畑の作物が順調に生育し、収穫できるかなんてのも私にとっては大きな勝負だ。植付時期が間違っていたとか、堆肥の混ぜ方が悪かったとか、その都度その都度反省し、次はこの手を使おうなどと新しい戦法を考え、再チャレンジしたりする。
 毎日の料理も勝負と言えば勝負となるが、これはリスクが少ないので、ほとんど緊張感のない現実的ゲーム。私は料理がまあまあ上手であり、私の舌は許容範囲が広いので、たいていは美味いと思う。美味ければ合格、で、勝率はたぶん8割を超える。

 大政奉還すれば命は救われる。しかも、財産があるのでその先の生活も心配無い。ならば、多くの民の命を救うためにその地位を失っても、それは負けでは無い。むしろ、誇っても良い棄権だと思う。砂漠の狂犬は、民衆との命のやり取りを「遊戯。勝負事。競技。試合。」と捉えているのかもしれない。しかし、私の考えでは既に勝負はついている。民心が離れた時点で現実的ゲームは終了している。「お前は既に負けている」だ。
         

 記:2011.3.4 島乃ガジ丸