ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

イカ墨汁

2011年03月11日 | 飲食:食べ物(料理)

 サギグスイ

 墨汁は、ボクジュウでは無く、スミジルと読む。沖縄の食い物の話をしている場合、たんにスミジルと言うと、イカ墨汁のことを指す。
 イカ墨汁はほとんどの沖縄料理の本に載っていて、その全てに「サギグスイ」であると書かれている。サギグスイ(下げ薬)、私はずっと「血圧を下げる」意味だと勘違いしていたが、正しくは便秘の薬、サギグスイの代表が、このイカ墨汁のようだ。

 イカは、沖縄ではシルイチャ(白イカ)と呼ばれているアオリイカを使う。刺身にしても美味しいイカだが、傷むのが早いので冷凍されたものや、鮮度が悪いものは刺身にはしにくいらしい。「釣りたてでないと」と、ある飲み屋の女将さんが言っていた。スーパーで並べられたものは、既に鮮度が落ちている。で、主に墨汁にして食う。
  丸ごとのシルイチャの場合は、先ず捌く。足と胴体を繋げている腱みたいなのがあるので、それを切ってから、足を胴体から慎重に引き抜く。足には口、目玉、ワタなどがくっついている。目玉の上に墨袋がある。取っておく。長さ3センチ前後の細長い卵型。表面が銀色に光っているので見つけやすい。慎重に扱わないと袋が破れて、手も、流し台も真っ黒に染まることになる。冷凍のものは破れやすいので、特に気をつける。
 どの料理本でも作り方はほぼ一緒。イカの胴体は皮を剥いで、ゲソと共に適当な大きさに切り、カツオ出汁の中に豚肉、ンジャナ(ホソバワダン)と一緒に入れ、材料に火が通ったら醤油と塩で味を調え、最後に墨を入れる。

  私の場合は、カツオでは無く昆布出汁。イカそのものの味を楽しむために豚肉は入れない。また、ンジャナの代わりにニラを入れることが多い。出汁の中に日本酒も加える。醤油と塩で味を調えるのは同じ。小皿に移しておいた墨袋に箸で穴を開け、それを汁の中に入れ、しばし泳がす。墨が溶け出て汁は真っ黒になる。箸先の袋は縮まって小さくなっている。袋は、食えるかどうか分からないので捨てている。スーパーで買う白イカのパックには、小さなビニール袋に入ったイカ墨が別途付いている。墨袋が破れて使えなくなった時の予備なのか知らないが、これもまた加える。濃い墨汁になる。濃い墨総理の濃い墨改革がウマくいくかどうかは不確定だが、濃い墨のイカ墨汁は間違いなくウマい。
 イカ墨汁を食った翌朝の雲子は黒い。けして病気では無い。イカ墨が消化されず出てくるのだ。私の住んでいるアパートのトイレは和式なので、黒い雲子をじっくりと眺めることができる。「イカを食ったんだ」という満足感が得られる。
 
 
 
 記:ガジ丸 2004.11.5 →沖縄の飲食目次


フーチバー

2011年03月11日 | 飲食:食べ物(材料)

 サギグスイ

 この時期(10月下旬)はもうそんなことは無いが、夏の間は暑さで、夜中何度も目を覚まし、朝は鳥や蝉の声がうるさくて早い時間に目が覚める。だいたい6月の梅雨明けから9月一杯まではそういう状態が続き、寝不足の日々を送っている。

 寝不足のせいかどうかは知らぬが、私の血圧は概ね、冬場は正常値だが夏場は高い。夏場の血圧は、医学の本によると「低高血圧症」という範囲に入る。ヒージャー汁を食ったり、飲みすぎたりなんかすると、「低高血圧症」という範囲を超えたりもする。
 10月に入って、さすがの沖縄も涼しくなった。これで例年なら、私の血圧も正常値に戻る頃となった。が、今年は台風の襲来数も異常だったが、私の血圧も異常である。寝不足では無いのだが、なかなか下がらない。ちょっと心配になって、先日、沖縄のとっておきのサギグスイ(下げ薬)を買って、食うことにした。サギグスイはフーチバー。

  フーチバーとはヨモギのこと。あの野原に生えているヨモギ。それを一束、茹でて、ポン酢をかけてガシガシ食う。翌日、見事に血圧は下がり、正常値となっていた。恐るべき薬効。食べても美味しいし(本土のヨモギとは種が違うらしい。なお、植物としてのヨモギの話は沖縄の草木で述べる)、ゴーヤー、スヌイ(モズク)、シークヮーサーの次に来る沖縄の健康食は、フーチバーに間違いない!と思ったのだ。
 と、ここまで書いて、ウチナームン(沖縄物)を良く知っているに同僚に「サギグスイって血圧を下げる薬って意味だよね」と確認すると、「サギグスイは便秘の時の薬さあ。お腹の物を下すって意味さあ」という答えだった。で、さらに本で確認する。サギグスイは、体の老廃物を外に出す薬と書いてある。便秘もお腹に老廃物が溜まっているということなので、同僚の答えは当たっていた。ただし、フーチバーの効能は、高血圧に効くとあるので、上記の文の内容、全体的にはほぼ正しい。ので、訂正しない。

 フーチバーは、フーチバージューシ(雑炊)としてよく知られているが、味噌汁に入れても美味しい。本土のヨモギほどでは無いが少し癖があるので、肉や魚などと合わせた方が良い。牛汁、魚汁などに入れると肉や魚の匂い消しとなるばかりか、フーチバーそのものの癖も肉や魚に奪われて軽くなる。特に、匂いの強いヒージャー汁には欠かせない。すき焼きにも、春菊の替わりに私は入れる。とーっても美味しいと、私は思う。また、天ぷらでもいける。沖縄でフーチバーは野菜、どこのスーパーでも売られている。
 なお、沖縄語辞典によると、サギグスイはのぼせを押さえる薬とある。
 

 記:2004.10.29 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


ヒージャー

2011年03月11日 | 飲食:食べ物(材料)

 肉体労働者の好物

 家を建てる、その建築の途中、棟上の時にはヤマトゥ(倭の国)でも何らかのお祝いをすると思う。沖縄でもある。現代ではコンクリートの家が多いので、棟上のお祝いはスラブ打ちの時となる。大工さんたち工事に携わっている人々の他、親戚、友人知人らを呼んで、家の主が酒と料理を振る舞う。料理は、ヒージャー(山羊)丸ごと一匹。
  山羊一匹をつぶし、バラ肉の一部と睾丸を刺身にし、残りの全て(内臓も含めて)は煮て、汁物にする。ヒージャージルと言う。山羊の大きさにもよるが、一匹でどんぶり4、50杯分のヒージャー汁ができる。それだけの量ができる大きな鍋が各家庭にあるわけではない。山羊を養っている農家などから借りる。その大きな鍋にはシンメーナービという名前がついている。シンメーは、沖縄語辞典には無いが、たぶん、シン(千)メー(名)という意味。ナービは鍋で、シンメーナービは「千名分の鍋」となる。千名はもちろん、大きいということを象徴して言ったもので、実際の容積は50リットル前後。

 ヒージャーには目が無い、という人はいっぱいいて、ヒージャーの匂いを嗅ぎつけてやってくる。シンメーナービたっぷりのヒージャー汁は、ほとんど残らない。ヒージャーには目が無いという人には肉体労働者が多い。ヒージャーは滋養強壮の食物であり、夏、灼熱の太陽の下で肉体労働する人間には良い薬となるのだ。
  私のヒージャー初体験は高校生の頃、親戚の家の棟上祝いだった。驚いた。まったく雲子そのものの匂いがする。「人間の食い物では無い!」とまで思った。が、その後、何度か口にする機会があり、二十歳を過ぎた頃には平気になった。いまだに「旨い!」とまでは思わないが、普通に、豚汁を食うような感覚で食べている。
 初体験ではその臭さに閉口するが、2度、3度と試みるうちに、いつしかその臭さが癖となって好物になる。体に力を注入する必要のある肉体労働者の多くは、炎天下でもバテない体になるし、夜は女房に大サービスできるということで、大好物になってしまう。
 最近は棟上の祝いにヒージャーを振舞うということも少なくなり、慣習通りに一匹つぶしても多く余ってしまうようだ。ヒージャー大好き人口は減りつつある。
 
 
 ヒージャー
 山羊のこと。山羊汁、山羊刺しとして食す。正統派の山羊汁は匂いがキツイので、訓練が必要だが、山羊刺しはくせも少なく、初めての人でも何とか喉は通る。
 正統派と書いたのは、正統派でないものが最近は多いらしいから。じつは、数ヶ月前に安里駅の近くの山羊屋さんで山羊汁を食った。匂いが薄かった。観光客向けなのか、BSE対策なのか知らないが、中身を見ると内臓類が入ってなかった。旨さ半減だった。
 山羊汁には山羊の肉の他、血圧上昇抑えにフーチバー(よもぎ)、またはサクナ(ボタンボウフウ)等が入っている。正統派の山羊汁は、表面にたっぷりと脂が浮いている。その脂が血圧を上げるらしい。その脂はまた凝固点が高く、山羊を食べているときは水を飲んではいけない。胃の中で脂が固まり、激しい腹痛を起こすそうだ。アルコールの混じった水分ならいいとのことで、ウチナーンチュは、たいてい泡盛水割りを飲んでいる。

 記:ガジ丸 2004.10,1 →沖縄の飲食目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


ブタ

2011年03月11日 | 動物:哺乳類

 沖縄の古い民家、例えば、国指定重要文化財となっている中村家住宅などを訪ねると、屋敷の中に豚を養うであろう一角を見ることができる。中村家住宅は300年くらい前の建物だが、そんな大昔まで遡るまでもなく、私が子供の頃、ほんの4、50年前だって、豚小屋のある家はさほど珍しいものでは無かった。当時、私の家は那覇市三原という、現在のモノレール安里駅から徒歩10分とかからない場所にあったが、そんな街中でも豚小屋を見ることができた。識名園から徒歩10分とかからない那覇市繁多川に伯母一家が住んでいたが、伯母の家は山羊、鶏、アヒル、そして、豚を飼っていた。
  子供の頃、それほど身近な動物だった豚だが、今は全く身近では無い。確かな記憶では無いが、私はここ20年ばかり豚さんの姿を見ていないと思う。動物としての豚を紹介しようと思って、写真を撮らなきゃあと思って、あちこち散歩をしている最中も「豚小屋ねぇかなぁ」と意識しながら歩いていたのだが、見つからない。
 「昔は豚小屋なんてどこにでもありましたよねぇ」と、行きつけの散髪屋で、髪を切って貰いながら親父に訊いた。「あー、あったよ。石嶺は田舎だったからなぁ、すぐ近所にもいくつかあったよ。」とのこと。私の記憶は正しかった。
 
 某スーパーで仕入れ担当の親分をしている友人のKYに、「豚さんの顔が見たい。昔はあちこちで豚さんに会えたんだが、今は、田舎を散歩していても、牛や山羊や鶏は見つかるが、豚はまったく見えない。どこに行けば会える?」と訊いた。
 「昔みたいに個人が小規模で養っている豚はもういない。今の養豚はある程度の規模を持った養豚場に集約されている。だから、養豚場へ行けば豚はいる。しかし、養豚場は個人が勝手に入ることはできない。口蹄疫の問題があるからだ。」とのこと。
  その数日後、友人の脱サラ農夫KSに、「そっちの畑の近くに養豚場ってないか?」と訊いた。「あるよ、畑から車で5分とかからない場所だ。」ということで、さっそく、その場所へ出かけた。養豚場はあった。しかし、門があり、門は門扉で閉じられていて、中に入ることができない。豚舎はまた、そこから2、30メートルは離れていて、豚の姿どころか、鳴き声もよく聞こえなかった。警戒は厳重なようであった。

 それから一ヶ月ほども経って、仕入れ担当親分から連絡があった。「仕事で養豚場へ行くことがあ る。俺と一緒なら豚に会える」と彼は前に言っていて、その連絡であった。彼は行かないが、彼の部下が行くので「彼と一緒に」ということであった。
 その部下、Yさんから事前にメールがあった。私への質問だった。「最近、外国に行った事はありませんか?また他の畜産関係の農場に出入りしていませんか?かぜやインフルエンザにかかっていませんか?家族にインフルエンザがいませんか?」といった内容。その全てに「いいえ」でないと、案内はできないらしい。厳重である。

 全てが「いいえ」であった私は、Yさんに案内され て、豚舎を見学することができた。豚さんの顔を見るのはおそらく十年から二十年以上ぶり。豚さん達は相変わらずの顔をしていたが、何か、昔の豚さんとは印象が違う。どこだ?体つきだ。
 「私が以前によく目にしていた豚とは体格が違いますね、スマートですね。」
 「昔は残飯などを与え、豚が栄養過多になって、健康状態も肉質も悪かったのですが、現在では配合飼料によって豚の肉質や健康が管理されています。」とYさんは言う。
 そう、豚は雑食性で、昔は餌とするために農家の人が家々を回って残飯を集めていた。そういう 光景は私が中学生の頃まではよく見かけた。

 ブタの餌というと、戦前までは人糞だったと『沖縄身近な生き物たち』にある。トイレの下にブタを飼い、人が糞をすると、それをブタが食べる、そのトイレのことをウヮーフール(フールが便所の意)と言う。ブタの餌が人糞であったことも、ウヮーフールというものがあったということも、戦前を生きた父母から私は聞いている。
 ブタは食用として世界に広く飼育されている。沖縄でも日常に欠かせない食材。倭国が仏教の普及で肉食が禁じられていた頃も、仏教の教えは無視して沖縄はブタを食った。その頃は庶民の日常食ではなく、盆正月などの特別食だったらしいが。
 沖縄にブタ肉料理は数多くある。赤肉や脂を食い、顔も食えば、耳も食い、内臓も食って、爪先まで食う。戦後は庶民の日常食となり、ブタに感謝している。
 
 イノシシを家畜化したもので、沖縄では17世紀頃から養豚が広がった。
 
 私が子供の頃は、豚の餌は残飯だった。そのせいか、豚は臭かった。
 
 私が子供の頃は無かったと思うが、もっと昔、豚の餌は人糞だった。
 
 現在、豚の餌は配合飼料で、匂いも和らいだらしいが、やはり臭かった。
 
 臭いと言っても、たぶん昔ほどでは無い。十分我慢できる。
 
 口蹄疫の関係であまり近付けなかったが、触っても構わない程の臭さ。

 ブタ(豚):ウシ目の家畜
 イノシシ科の哺乳類 イノシシを家畜化したもの 方言名:ウヮー
 ブタの名前の由来は資料が無く不明。イノシシを家畜化した後にブタと名前が付いたと思うが、シシ(イノシシの古い呼び名)がブタとは革命的な変化だ。何事があったのか興味が湧く。あるいは、「太いシシだなぁ」とどこかの誰かが仰って、「太い」が「フト」→「ブタ」と変化した、なんて、単純な話なのかもしれない。
 方言名のウヮーは、鳴き声からだと私は思う。ブタの鳴き声、倭国では「ブー、ブー」のようだが、沖縄のブタは「ウヮー」と鳴く。少なくとも私にはそう聞こえる。
 『沖縄大百科事典』に、沖縄への伝来はいつごろか不明で、甘藷(サツマイモ)を栽培するようになって庶民の生活が安定した17世紀ころから養豚が広く普及したと記述されている。『沖縄身近な生き物たち』も同様の記述があった。
 イノシシを家畜化した結果、野山を駆け回るイノシシとは体型が異なっていった。運動せず食べてばかりの人が太るのと同じようになった。太って、皮下脂肪が増えた。きっと運動能力も低下している。ただ、嗅覚はイノシシと同じく鋭いとのこと。
 肉は食肉として、世界で広く食されている。皮は皮革製品に利用される。多くの品種があって、沖縄ではアグー(純粋種はごく少ないらしい)豚が有名。

 記:2011.1.25 ガジ丸 →沖縄の動物目次


お疲れ様いろいろ

2011年03月11日 | 通信-政治・経済

 部屋にデスクトップパソコンがある。基本ソフトはウィンドウズXP、買ったのは2004年12月、それまで使っていた98より格段に速く、故障もほとんど無く、「頼りになる奴」と、私は大いに満足し、「98なんてもう二度と使えないぜ」と思った。
 今使っているノートパソコンは去年1月に買ったもの、基本ソフトはウィンドウズ7。XPに比べると、格段に速いし、フリーズなんてことも全く無い。以来、「XPなんてもう使えないぜ」となって、デスクトップを使う機会はずっと減った。テレビを観る、DVDを観る、オーディオに繋いで音楽を聴く、などのみとなった。
 そのデスクトップが2月の初め、DVDを観ている途中、突然、動作を止めた。私はそれまで自分のXPノート、職場のXPデスクが故障するのを何度も見ているが、何の前触れもなく突然画面が消えるのは初めての経験。自分の、職場の、友人知人のパソコンの故障したのを修理して回復させたことも何度かあるが、今回はできなかった。
 「今回はこれまでと違う」と思い、専門家である友人に見せた。友人はしばらく修理を試みたが、やはり、「御臨終です」であった。「お疲れ様」と私は手を合わせた。

 私は、社民党は、その党首が可愛いので時々贔屓にはしているが、民主党を支持しているわけでも、自民党を支持しているわけでも、社民党を含め、他のどの政党を支持していわけでもない。いわゆる、無党派層である。また、二大政党制を支持しているわけでもない。ただ、政権交代が起きる政治体制であって欲しいとは思っている。
 政権交代が起きる可能性が常にある、となれば、政党は常に緊張感を持って政治に向き合うに違いない。政権交代を何度か繰り返していけば、どの政党も同等に官僚と付き合えるに違いない。どの政党も国民との距離がより身近になるに違いない。
 「総理がそう頻繁に替わっては国の信用問題」なんて言うが、そんなのは些細な事。極端に言えば、毎月、総理が替わったってしょうがないと私は思っている。今は過渡期なんだと思う。過渡期は大いに揺れていいのだ。どんどん揺れて、揺れるだけ揺れたら、その内揺れは収まる。収まるまでのスピードが早ければ早いほど国民は助かる。
 我が身の名誉を優先して、権力の座に長く居座ってはいけない。長く居座って変革のスピードを遅らせてはいけない。退くことは悔しいかもしれないが、流した無念の涙は明日の日本の肥しとなるに違いない。「あんな時代もあったねと、いつか笑って話せるわ」と中島みゆきも昔歌っていたぜ。私からは、「お疲れ様」と言ってあげよう。

  坂上二郎さんが亡くなったと今朝のめざましテレビでやっていた。子供の頃大笑いしたコント55号、その後、ドリフターズ、ひょうきん族、昨今のお笑いブームまで、私はお笑いが好きなのでその多くを観ているが、「死ぬほど笑った」という経験はコント55号以来無い。私の笑いの感性はコント55号に育てられたと言っても良い。坂上二郎、大好きだった。「お疲れ様、そして、ありがとう」と言いたい。
 一方、数年前沖縄の米国総領事であったお偉いさんが更迭された、というニュースを昨日やっていた。彼は沖縄でお偉いさんだった頃、「金も力も無いくせに煩い奴らだ、大人しく言うことをきかんかい!」みたいな態度の人であった。彼なら「さもありなん」というような発言での今回の馘首、彼に対しては、「お疲れ様」は微塵も無い。
          

 記:2011.3.11 島乃ガジ丸