ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

シメサバ

2019年01月23日 | 飲食:食べ物(料理)

 美味しくても独り

 例年そうだが、南の島の沖縄の冬は短い。ただでさえ短いのに今年は寒くなるのが随分遅れた。一昨日からやっと冬らしい気温(最低が15度ほど)となった。
 今住んでいる私の住まいは広いので、独りでいるという心の寂しさも加わってか、さらに、腰痛が治らないという将来不安も加わってか、元気だった頃に比べると寒い日は寒さをより強く感じる。であるが、寒くなると飲兵衛の私には楽しみがいっぱいある。
 酒好きの私は酒なら何でも持ってこいなのだが、そんな中でも最も好む日本酒が、寒くなるとより旨くなる。「今宵の晩酌は日本酒だ」となると、その肴も楽しみとなる。漬物とか刺身とか、豆腐と野菜が主体で魚介が少々の鍋料理、移動販売をしている豆腐屋さんの生湯葉(とても旨い)など。どれも手間がかからないという利点もある。

 腰痛になる前、畑仕事に追われる前までは心にも時間にも余裕があったので、いくらか手間のかかる肴も自作していた。手間がかかる肴は概ねパン、シチューなどのワイン用だったかもしれないが、日本酒用で手間がかかるのも作っている、例えばシメサバ。
 シメサバとは、明鏡国語辞典によると、「締め鯖」と漢字表記し、「新鮮なサバを3枚におろして塩を振り、よく身を締めてから酢に浸したもの」のこと。手間はかかるのだが寒くなって、「日本酒飲みたいなぁ」と思った時はよく作った。
 よく作っていたので写真もあるだろうと探したらあった。2008年11月に作ったものと2012年2月に作ったもの。2008年というと首里石嶺に住んでいて、まだ会社勤めをしていてバリバリの肉体労働者。前年に母が亡くなっており、週末は実家へ行って1人暮らしの父にパソコンを教えている頃。母の一年忌が済んで気持ちものんびりしているある日、シメサバを作って独り日本酒を飲んだみたいである。
 2012年というと、前年に宜野湾市のワンルームアパートに越していて、勤めている会社が時短で週休5日となり、空いている日は親戚の土地(30坪ほど)で農作業をしている頃、2年前に父が亡くなり誰も住まなくなった実家の整理処分に動き回っている頃。そんなある寒い日に、心身の疲れを癒すためにシメサバを、2008年の時よりもずっと丁寧に作って、独り日本酒を飲んだみたいである。・・・いつも独りだなぁ。
     
     
     
 こんなこと書いて「今宵は日本酒」となりそうだが、今日は休肝日、残念。しかし、明日は市販のシメサバを買って日本酒にしよう、と考えただけで幸せになる。・・・独りだけど。
     
     

 記:2019.1.23 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


カラオケボックス

2019年01月21日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 唄の島のカラオケ

 先日2019年1月16日、久々にカラオケボックスなるものへ行った。どれくらい久々かと日記を調べると、その記述があった。以下はそれ。

 2010年12月、十数年ぶりにカラオケ屋に行き1曲歌った。十数年前に行ったのはカラオケスナック、そこのお嬢さんに「オジサンがオジサン臭く無く、しかも、若者ぶっているようには見えず、なおかつ、若い女性に受ける歌は何か?」と訊いて、「スピッツならいいんじゃない」と言われていたので、その日歌ったのは『空も飛べるはず』。
 『空も飛べるはず』は声を張り上げないと歌えない歌であった。それが失敗だった。たった1曲で翌日喉を痛め、そのついでに風邪もひいてしまった。ということで、オッサンにスピッツは背伸びであったと悟る。「若い女性に受けよう」などと不純な理由がそもそも良くない。歌うのであれば、自分が歌える範囲の歌を選ぶべきであったのだ。

 日記は以上。その時、「唄は日頃から練習しておきゃなきゃ」とも悟ったのだが、元々カラオケ嫌いなので、その後もカラオケする機会はほとんど無く、一昨年の夏、知人のGさんに誘われて、また、友人たちに誘われてカラオケスナックへ2度行っているが、その時も私は歌ってはいない。店にいた若い女性とユンタク(おしゃべり)しただけ。
 カラオケ嫌いの私が久々にカラオケボックスなるものへ行ったのは、親戚の新年会がカラオケボックスだったから。「大きな声を出すことは体の健康にも認知症予防にもいい」と誘われ、「独り暮らしは認知症になりやすい」とも聞いていて、「そういえば最近、物忘れが酷くなっているなぁ」と自覚していて、「カラオケやってみるか」となった。
 カラオケガラパゴスの私は、歌うとカラオケ機械が審査し点数が出ることは知っていたが、音程の評価、ビブラートの評価が出たり、あんまり下手糞だと途中で曲が終わるなどという遊びがあることは知らず、「えー、何でだよー」などと思ったりして、まあまあ楽しめた。機械に評価されて楽しむということに多少の違和感もあったが、健康に良く、認知症予防になり、楽しめるのであれば「老後の趣味はカラオケでいいかも」と思う。
     

 歌って昼食食べながらの新年会ということで、カラオケボックスに着いたのは午前11時であった。駐車場には既に10台以上の車が停まっていて、数人の客が受付フロアにいた。数人の客は全て年配の方であった。同行のH子によると、昼間の時間はお年寄りが多いとのことであった。やはり、カラオケは楽しくて健康になるということらしい。
 唄の島と呼ばれることもある沖縄、古くから芸能は盛んで、庶民の間でもサンシン弾く人がいて、モー(毛:広場という意)アシビ(遊び)という、今で言う合コンのようなものがあって、若い男女が歌って踊って仲良くなるという風習もあった。沖縄民謡はずっと廃れることなく、今でも歌われ、今でも新曲民謡がどんどん作られている。
 そんな沖縄なので、また、お年寄りの集まりなのであればカラオケで歌われるのも民謡が多かろうと思った。確かに、部屋には民謡だけをラインナップした本が特別にあった。しかし、廊下を歩いている時に漏れ聞こえる歌に民謡はなく、私たちのボックス、男女6人いたが、午前11時から午後6時まで民謡は1曲だけしか歌われなかった。
 沖縄大好きの私としては少し寂しい気もしたが、でもいいのだ。大事なのは年取っても楽しみがあるってこと。大声出して歌えば楽しく元気になる。唄の島のウチナーンチュは演歌を歌い、歌謡曲を歌い、昔を懐かしみ、よく笑って元気を得ているみたいである。
     

 記:2019.1.21 ガジ丸 →沖縄の生活目次


幸せになる映画『食堂かたつむり』

2019年01月18日 | 通信-音楽・映画

 最近(2019年1月)、幸せ気分になる映画を2本観た。「映画館で」ではなく図書館から借りたDVDで。年末に借りた映画『食堂かたつむり』を7~8日に、その後借りた映画『海街diary』を9~10日にと4日連続の映画鑑賞。2時間続けて画面を見続けることがきつくなったので1本の映画も2日に分けてとなっている。
 家でDVDを観る時はのんびりと、心をリラックスさせ、明日の予定などぼんやり考えたりして、ほぼ間違いなく酒を飲みながらだが、8日は休肝日だったので飲まずに観た。飲まずに映画に集中した。そうまでして観たのは翌9日がDVDを図書館へ返す日だったから。そして、『食堂かたつむり』がどうしても最後まで観たい映画だったから。
 7日、『食堂かたつむり』の前半を観て、私の心は幸せ気分に包まれた。恋人に裏切られ、ショックで声が出なくなり、金も無ければ仕事も無い。田舎の母の元へ帰るが、母とは元々上手くいっていない。再会した母も元の母でやはりギクシャクする。などと、幸せ状況ではないのだが、良いことが少しずつあり、何となく愛を感じる。
 8日、『食堂かたつむり』の後半を観る。後半は愛がいっぱいになる。観ている私も幸せ気分になる。「愛が欲しいなぁ」と思う。私の周りに愛はあまり無い。
     

 9日、図書館へ行ってDVD『食堂かたつむり』を返し、「幸せ気分をもう少し味わいたいなぁ」と思ってDVDのコーナーを眺める。洋画ではなく邦画のコーナーを眺める。派手な映画ではなく小津安二郎作品のような淡々とした映画。タイトルからその内容を想像し、いくつか手に取って見る。で、選んだのが『海街diary』という作品。
 酒の肴を準備し、シャワーを浴び、豆腐を食い、ビールを飲んで一息ついて、8時頃からDVDを観る。『食堂かたつむり』は普通でない(不幸な)母娘関係のお話で、少々メルヘンチックな手法で幸せを持ってくる。それに対し、『海街diary』は同じく普通でない(不幸な)母娘関係のお話であったが、その母娘は淡々とギクシャクし、淡々と許し合った。春の縁側の日向のようなほんわかした空気、そんな幸せ気分を感じた。
     

 半年以上も前から頼まれていた薬草表作り、あれこれ試行錯誤して後、「よし、こうしよう」と考えがまとまり、その一部をプリントアウトして、『食堂かたつむり』を観る数日前の1月4日、依頼主のH爺様に会って「こういう風なものでいかがでしょう?」と打診した。「おー、上等です、これで行きましょう」と承諾を得る。そうなるであろうと予想はしていたが、まずは一安心する。その時、H爺様から「お礼です」といってスコッチウィスキーを1本と、おつまみになる食い物を少々頂いた。そして、
 「これ面白いので観てみて」とDVDを頂く。タイトルは『スノーデン』、H爺様からおよその内容は聞いて興味を持ったが、重そうな、いろいろ考えてしまうような作品のようだったのでまだ観ていない。H爺様からは他にも「私はもう観ないから」と、西部劇など昔の名作映画も5本頂く。私は要らないのだが、腰痛となって謙虚になった今の私はお礼を言って有難く頂く。しかし、やはり不要。その5本は数日後に友人に譲る。
 私は中学から高校にかけて映画少年で、その頃映画をたくさん観ている。特に西部劇は大好きだった。しかし今は、年取って腰痛となって気弱になった今はドンパチ映画より心穏やかになる映画を好む。『食堂かたつむり』、『海街diary』はそんな作品でした。

 記:2019.1.18 島乃ガジ丸


不安定な後ろ盾

2019年01月16日 | 通信-政治・経済

 日本国からすると「国を守るために必要、他府県で受け入れるところは無いので沖縄に押し付けたい」、沖縄県民からすると「沖縄にこれ以上の基地強化は止めてくれ」と意見対立している辺野古の新基地問題。その是非を問う県民投票が近く実施される予定。
 県民のほとんどが新基地建設反対であれば国も少しは考えてくれるのではないかと、あるいは、国際的な人権団体などが注目してくれるのではないかと知事と知事のブレーンたちは考えているのかもしれないが、しかし、県民投票に反対する首長のいる自治体がいくつか(一昨日もうるま市が協力しないとなった)あり、一部の県民が投票に参加できないことになるとラジオのニュースから聞いた。県民投票に反対する首長側の反対理由の1つは選択肢が「反対、賛成」の2つしかないということ。ただ反対だと普天間基地の固定化に繋がりかねない、普天間基地撤去のためには「やむを得ない」という選択肢、あるいは「分からない」という選択肢があってもいいじゃないかとのこと。

 県知事側のどこに頑固者がいるかしれないが、何故2者択一に固執しているのか私には疑問。先方の望み通り選択肢を3つ4つにしても良かろうと思う。「何が何でも反対」にしなければならない理由は何なのか?たとえ三択にして3つめを「どちらとも言えない」にしたとしても、それでもおそらく新基地建設反対は過半数を超えると私は思う。
 もう1つ疑問がある。いや、その前に誤解が無いよう言っておくが、私は辺野古に新基地を作ることについてはずーっと反対の立場である。その上での疑問。
 県民投票の設問は「辺野古米軍基地建設のための埋立てについて賛成か反対か」のようである。この設問の中で「のための埋立て」は不要だと私は思う。埋立と基地建設は別個の事。埋立てという言葉を入れたことがもし、きれいな海が好きな人、自然保護に熱心な人を取り込もうとしている手段なのであれば、あまり気持ちいいものではない。
 デニー知事にはもっと自信を持ってもらいたい。自然保護を棚に上げて新基地建設の是非だけ問うてもきっと大丈夫。選択肢に「どちらとも言えない」を加えてもきっと大丈夫だと私は思う、そう期待している。そして、不利な条件が多少あったとしても堂々と真っすぐな態度で前へ向かっていく。その方が多くのウチナーンチュの心を捉えるはず。県民投票の結果がどうであれウチナーンチュの多くが知事を支えるはず。
     

 隣近所の国々とのちょっとした諍いを大げさにして、ケンカして、この先大丈夫か?と不安になるような今の日本。北朝鮮とは噛み合わないかもしれないが、韓国、中国、ロシアとはこれまで何とか上手くやってきたではないか、何かあったとしても大げんかになる前に上手く収めてきたではないか、何故、今ギクシャクしているのか。
 さらに、「何ていう国なんだ日本って」とフランスからも思われているようである。韓国と仲違いし、中国、ロシアとも仲が悪くなる。隣近所から嫌われてしまう。隣近所からどうでもいい国と思われてしまう。「遠くの親戚より近くの友」という諺があるが、近くに友がいなくなる。何かあった時、遠くの友に助けを求めようと思った時、日本が友と思っているアメリカは後ろ盾となってくれるだろうか?・・・アメリカのリーダーが今のままならそれは怪しい。今のアメリカは不安定な後ろ盾だ、見捨てられるぞ日本。
 その点、デニー知事を支える後ろ盾は大丈夫、ウチナーンチュには情けがある。
     

 記:2019.1.16 島乃ガジ丸