⑥―1
いよいよ残された最後のテーマである"象徴"ということに移行するわけだが、これまでに何度もそのことには触れてきた。14の章名がそれぞれ何を象徴しているのかについても、ある程度は書いてきたつもりである。
だから最後にこの『別荘』全体を貫くモチーフとして、グラミネアとそれが放つ綿毛について触れることで、『別荘』についての考察を終わることにしよう。
グラミネアの由来については第2章「原住民」で詳しく語られている。マルランダは現在、グラミネアの繁茂する不毛の荒野と化しているが、何世代か前までは肥沃な土地であって、原住民達による農業も畜産も行われていた。しかし、ベントゥーラ一族の祖先の一人がある外国人から、簡単に栽培できる作物としてグラミネアを勧められ、その種を送られたのが最初だった。
その種があっという間に拡散し、マルランダ全体にグラミネアが拡がってしまったのだが、結局それは何の実りももたらさないものであった。それどころかグラミネアは、この土地に害悪をもたらしたのである。
「この土地の土壌がよほど性に合ったのか、異常なまでの繁殖力を示し、どん欲に発芽と成長と成熟を繰り返して次から次へと土地を浸食した結果、十年も経たないうちに、畑や雑木林を食い尽くしたばかりか、樹齢百年は下らなかった木々や、薬草類も含め、ありとあらゆる植物を絶滅に追いやってしまったため、辺りの景色や動物相が一変し、蓋を開けてみれば何の役にも立たないこの植物の飽くなき貪欲さに恐れをなした原住民たちは、相次いでこの地を去っていった」
この不吉な植物は夏の終わりにプラチナ色の穂をつけ、「秋風の訪れとともに穂の先から綿毛が飛び散って息苦しいほどの渦を巻き起こし、人や動物を完全に寄せつけなくなる」のだ。
一見マルランダの大地を象徴するかのように思われるこのグラミネアは、土着のものではなく外来植物であり、生態系だけではなく、動物や人間の生命をも脅かす存在なのである。
外来種としてそれまでの生態系を破壊し、あらゆる土着の生命を絶滅に追いやり、原住民を逃亡させたものといえば、征服者としてのスペイン人そのものではないか。グラミネアは"自然"を象徴しているのでは決してない。ましてや"敬うべき自然"などを象徴しているのではない。逆にそれは、侵攻と征服の"歴史"をこそ象徴している。
あるいはまた、旧大陸から新大陸へと持ち込まれた多くの疫病や、さらには"文明"をすら象徴しているのだと言うことができる。ドノソの暗喩は重層的であり、グラミネアはそのような象徴性を帯びている。
では綿毛は? 綿毛は季節ごとにマルランダを襲う災厄として描かれ、登場人物達はことあるごとに綿毛の襲来に対する恐怖の感情に襲われる。ドノソは何度も何度も、綿毛襲来の徴候を描いて最後の破局を準備する。
綿毛はグラミネアの災厄としての表れであって、であればそれもまた歴史の暴力性を強く象徴するものに他ならない。もしかしたらドノソの言う"語り"を主人公たらしめているものは、このグラミネアであり、それが放つ綿毛であるのかも知れない。『別荘』の最後の場面で、我々はそのことに気づくことになるだろう。
⑩―3
「誰が主人公なのか?」というテーマを切り上げる前に、もう一度第11章「荒野」におけるドノソの登場人物論に戻らなければならない。そこに重要なことが書かれているからである。
ウェンセスラオが主人公であることを否定した後、ドノソはニコラ・プッサンの絵を例に持ち出して、小説における主人公と絵画における主人公の類似性について書くのである。
「プッサンの絵なら、前景で戯れる子供たちは、肖像画に描かれているわけでもなければ、形式的な感情以外の感情や個性の枠に縛られているわけでもないから、現実に存在するいかなるモデルにも対応することがないし、彼ら自身、そして、彼らの興じる昔ながらの遊びとて、構図全体のピントとしてそのタイトルに使われてはいても、絵画の全体的表現においてはむしろ副次的な役割しか果たしていない。芸術家にとってより重要なのは、むしろ子供たちと周囲の相互作用であり、岩と谷と木々に始まって地平線まで続く光景が、金色を帯ながら、美しく、感動的に、そっと空から離れていくにつれ、そこに心地よい非現実的な空間が出来上がって、最終的に絵の主人公となる」
ドノソはここで、絵画にとって重要なのは登場人物ではなく、人物と周囲の風景との"相互作用"であると言っている。その絵画に出てくる登場人物達は「形式的な感情以外の感情や個性の枠に縛られているわけでもない」のであり、それこそドノソが『別荘』に登場させようとした人物像である。
また登場人物だけでなく、「彼らが興じる昔ながらの遊び」(プッサンのどの作品なのか同定できないため、どんな遊びかは分からない)もまた「副次的な役割しか果たして」いない。この遊びを無理に「侯爵夫人は五時に出発した」と結びつける理由はないだろう。むしろ登場人物のポーズや動作のすべて、小説にあってはその言動のすべてと捉えておけばよい。
ドノソがこの後に次のような結論を用意している以上、登場人物とその言動が"副次的"であり、むしろそれらの"相互作用"を構築することで「心地よい非現実的空間」が達成されると言いたいのだと理解すべきだろう。ドノソの結論とは次のようなものである。
「同じように、小説においても、実は純粋な語りこそが主人公なのであり、最終的には迸るこの一連の言葉の波が、登場人物、時間、空間、心理学、社会学を打ち砕いていく」
「純粋な語り」とは絵画で言ったら何に該当するのだろうか。多分"描き方"としか言いようのない何かであろう。絵画は絵の具で描かれるが、それは小説が言葉で書かれるということとはかなり違う真実を示しているのではないか。
小説は言葉だけで書かれ、「言葉の作り出す世界のみに存在可能な象徴的存在」を生み出すが、絵画は絵の具だけで描かれるのではない。絵画は"描き方"としか言いようのない何かによっても描かれるのだが、それは人間にとって本質的な"言葉"を内包しないでいることはできない。
ドノソはだから、絵画を、しかも風景画家であったプッサンを例に持ち出すべきではなかったと思う。絵画の成り立ちと小説の成り立ちは言葉をめぐる要素において同一ではないからである。
しかしドノソが「純粋な語りこそが主人公」と考えたことは正しいことだったと思う。小説、あるいは文学こそは、純粋に「言葉の作り出す世界」においてのみ存在するのであり、言語によって語られたものはすべて「非現実的空間」に置かれるのであるから。
「言葉の波が、登場人物、時間、空間、心理学、社会学を打ち砕いていく」というドノソの言葉には若干の誤りがあるように思われる。ドノソの"語り"は少なくとも登場人物に関しては、読者だけでなく作者にまで感情移入することを強いたではないか。私ならこう言うだろう。
「言葉の波が、登場人物、時間、空間、心理学、社会学の現実的根拠を打ち砕いていく」。しかし現実的根拠がないことが、小説的リアリティの欠如を意味するのでないことをドノソはよく知っていた。
⑩―3
「誰が主人公なのか?」というテーマを切り上げる前に、もう一度第11章「荒野」におけるドノソの登場人物論に戻らなければならない。そこに重要なことが書かれているからである。
ウェンセスラオが主人公であることを否定した後、ドノソはニコラ・プッサンの絵を例に持ち出して、小説における主人公と絵画における主人公の類似性について書くのである。
「プッサンの絵なら、前景で戯れる子供たちは、肖像画に描かれているわけでもなければ、形式的な感情以外の感情や個性の枠に縛られているわけでもないから、現実に存在するいかなるモデルにも対応することがないし、彼ら自身、そして、彼らの興じる昔ながらの遊びとて、構図全体のピントとしてそのタイトルに使われてはいても、絵画の全体的表現においてはむしろ副次的な役割しか果たしていない。芸術家にとってより重要なのは、むしろ子供たちと周囲の相互作用であり、岩と谷と木々に始まって地平線まで続く光景が、金色を帯ながら、美しく、感動的に、そっと空から離れていくにつれ、そこに心地よい非現実的な空間が出来上がって、最終的に絵の主人公となる」
ドノソはここで、絵画にとって重要なのは登場人物ではなく、人物と周囲の風景との"相互作用"であると言っている。その絵画に出てくる登場人物達は「形式的な感情以外の感情や個性の枠に縛られているわけでもない」のであり、それこそドノソが『別荘』に登場させようとした人物像である。
また登場人物だけでなく、「彼らが興じる昔ながらの遊び」(プッサンのどの作品なのか同定できないため、どんな遊びかは分からない)もまた「副次的な役割しか果たして」いない。この遊びを無理に「侯爵夫人は五時に出発した」と結びつける理由はないだろう。むしろ登場人物のポーズや動作のすべて、小説にあってはその言動のすべてと捉えておけばよい。
ドノソがこの後に次のような結論を用意している以上、登場人物とその言動が"副次的"であり、むしろそれらの"相互作用"を構築することで「心地よい非現実的空間」が達成されると言いたいのだと理解すべきだろう。ドノソの結論とは次のようなものである。
「同じように、小説においても、実は純粋な語りこそが主人公なのであり、最終的には迸るこの一連の言葉の波が、登場人物、時間、空間、心理学、社会学を打ち砕いていく」
「純粋な語り」とは絵画で言ったら何に該当するのだろうか。多分"描き方"歳か言いようのない何かであろう。絵画は絵の具で描かれるが、それは小説が言葉で書かれるということとはかなり違う真実を示しているのではないか。
小説は言葉だけで書かれ、「言葉の作り出す世界のみに存在可能な象徴的存在」を生み出すが、絵画は絵の具だけで描かれるのではない。絵画は"描き方"としか言いようのない何かによっても描かれるのだが、それは人間にとって本質的な"言葉"を内包しないでいることはできない。
ドノソはだから、絵画を、しかも風景画家であったプッサンを例に持ち出すべきではなかったと思う。絵画の成り立ちと小説の成り立ちは言葉をめぐる要素において同一ではないからである。
しかしドノソが「純粋な語りこそが主人公」と考えたことは正しいことだったと思う。小説、あるいは文学こそは、純粋に「言葉の作り出す世界」においてのみ存在するのであり、言語によって語られたものはすべて「非現実的空間」に置かれるのであるから。
「言葉の波が、登場人物、時間、空間、心理学、社会学を打ち砕いていく」というドノソの言葉には若干の誤りがあるように思われる。ドノソの"語り"は少なくとも登場人物に関しては、読者だけでなく作者にまで感情移入することを強いたではないか。私ならこう言うだろう。
「言葉の波が、登場人物、時間、空間、心理学、社会学の現実的根拠を打ち砕いていく」。しかし現実的根拠がないことが、小説的リアリティの欠如を意味するのでないことをドノソはよく知っていた。
⑩―2
しかし前にも触れたように、ウェンセスラオは『別荘』の主人公として再び帰ってくるだろう。『別荘』の草稿の段階では、ウェンセスラオとアガピート、アラベラがアマデオの肉を食べた後、「忽然と荒野に姿を消し、以後二度と物語に戻ってこないことになっていた」はずなのに、ドノソは方向転換を行うのである。
なぜか? それには二つの理由がある。一つは「何度かこの小説を書き直すうち、再び私はこの登場人物、ウェンセスラオに惚れ直し」たという理由であり、もう一つについてドノソは次のように書いている。
「この小説の最初の草稿を書き終えた後に、予期せぬ事件が起こった。私の生涯にも関わるこの事件のせいで、ウェンセスラオを再登場させて彼に中心的な役割を負わせ、人食い人種となった後に直面した事態を最後まで生き抜いてもらわざるをえなくなったのだ」
この「予期せぬ事件」というのが何であるかは分からないが、おそらく私生活上の事件なのであろう。妻マリア・ピラールのアルコール中毒と妻との不和が伝えられているが、そのことがドノソの方向転換とどう関係しているのかも分からない。しかし、ドノソが「ウェンセスラオに惚れ直した」という理由だけでも十分だし、それが現実的な根拠を持っているのだとしたら、なお結構ではないか。
それでなくても『別荘』の物語は、ウェンセスラオを中心に展開してきたのであるし、物語の展開そのものがウェンセスラオを主人公にすることを要求していたのだから。
確かに「私の意図を達成するための道具」にすぎないものに対して、作者が「惚れ直す」などということは、ドノソの小説論からして許されることではないのかも知れない。しかしドノソは小説の終盤で、ウェンセスラオを初めとする登場人物に対する強い愛着を隠すことなく吐露している。
「現実を芸術と混同しないと心に決めていたにもかかわらず、登場人物との別れが私には非常に辛く、本来なら、今は理由こそうまく説明できないがどう考えても「私の物語」である「この物語」をここで終わらせてしまうべきなのに、「彼らの物語」を締めくくることなく――実際には私が書く以外の物語など彼らにはありえないのだが――幕を閉じる気にもなれないため、こうしてその心の葛藤まで取り込んでしまった」
一見ドノソは自らの小説論に対する違反について反省の弁を述べているように思われるが、本当にそうなのだろうか。この文章の直後に、ドノソは読者に対し次のように問いかける。
「読者の皆様は、ここに描き出した想像空間――名残惜しいこの空間――や登場人物と、私が感じるのと似たような感情的絆を結ぶことができただろうか」
この言葉は彼の小説論の中核をなしていた「読者の想像力と作者の想像力を一つにする瞬間」という言葉と相同ではないか。しかもドノソは、その瞬間が「本物の現実を装うところからではなく、現実の「装い」が常に「装いとして」受け入れられるところから生じる」と書いていたではないか。
つまり、作者がフィクションに徹することによって、また読者がそれをフィクションとして受け入れることによって、「読者の想像力と作者の想像力を一つにする瞬間」がもたらされるのであれば、ドノソは『別荘』においてそのことを十二分に実践したのであって、作者が登場人物に感情移入してしまうということ、あるいは読者が"作者の道具にすぎない"登場人物に感情移入してしまうということは、決してリアリズムのもたらす悪癖などではあり得ない。
⑩ー1
ドノソは『別荘』の中で何度も顔を出して、物語に介入したり、小説論をぶち上げたりしているが、彼がもっとも書きあぐねたという第11章「荒野」の途中で、物語を中断してまで「誰が主人公なのか?」、あるいは「登場人物とは何か?」という議論を行うところがある。ドノソは突然こんなことを言い出すのである。
「究極的にこの物語は、ウェンセスラオを主人公にしているわけでもなければ、現実離れした言動を繰り返す現実離れした子供たちの誰か一人に焦点を当てているわけでもない。また、四人の子供たち(ウェンセスラオ、アマデオ、アガピート、アラベラ)が互いに助け合って、すでに何度も描写した広大なマルランダの荒野へ逃亡者として乗り出そうとしているこの段階に至っても、この物語を通して子供たち同士の関係を観察、分析するつもりなど私にはまったくない」
読者は小説のかなり初めの頃から、ウェンセスラオこそ主人公だと思って読んできたのに、ドノソはそのことを否定するのである。ドノソはいったい何のためにそんなことをするのだろう。読者の焦点を迷路に迷わせることにしかならないではないか。
確かにドノソは四人の子供達の関係を分析するようなことはしない。なぜなら、彼らを初めとする登場人物達は「現実に存在するいかなるモデルにも対応することがない」からなのだろう。つまりドノソの小説における登場人物は、リアリズム小説における登場人物とは決定的に違っているということをドノソは言いたいのだ。
問題は"登場人物論"に関わってくる。次の第12章「外国人たち」の冒頭で作者であるドノソは、あろうことか登場人物の一人シルベストレと町で出会い、二人でバーに入って『別荘』の原稿について議論を交わすのである。なぜこんなとんでもない場面を挿入するのかといえば、ドノソは「期せずして写実主義に頼ることがあり、刺々しく見えることはあっても心地よいこの調子に甘えたりする」ことがあるのに対して、"アイロニー"をもって応えるためであるらしい。ドノソはそこで「この期に及んで本当らしさの誘惑に屈し」たくないからだというのである。
リアリズムの誘惑はいつでも魅力的である。それに屈してしまえば、物語は"本当らしさ"をたやすく獲得することができるからである。しかしドノソはそのことに抵抗しようとする。だからこそシルベストレとの議論などという、あり得ない場面が挿入されてくる。ドノソはリアリズムへの抵抗の痕跡をそこに残そうとしているのである。
ならば、"登場人物"とは何者であるのか? リアリズム小説における登場人物と、ドノソの小説における登場人物との違いは何か? ドノソはその問いにきちんと答えている。以下のくだりである。
「この本の基調、この物語に独特の動力を与えているのは、内面の心理を備えた登場人物ではなく、私の意図を達成するための道具にしかなりえない登場人物なのだ。私は読者に、登場人物を現実に存在するものとして受け入れてもらおうとは思っていない。それどころか私は、言葉の作り出す世界のみに存在可能な象徴的存在――何度も同じ言葉を繰り返すが、生身の人間としてではなく、あくまで登場人物――として受け入れてもらったうえで、その必要最小限だけを提示し、最も濃密な部分は隠してしまおうと思っている」
一見主人公と思われたウェンセスラオも、「私の意図を達成するための道具」にすぎない。だからドノソはウェンセスラオが主人公であることを否定するだろう。
しかし"道具"という言い方はかえって逆に、リアリズムの正統性からの反論を受けかねない用語である(たとえば社会主義リアリズムにおける登場人物が、作者のイデオロギーを達成するための道具であるというような意味において)。だからドノソはそれを「言葉の作り出す世界のみに存在可能な象徴的存在」と言い換えないではいられないのである。
③―3(⑥含む)
ここまでくれば、⑥のテーマとしていた「侯爵夫人は五時に出発した」が、何を意味しているのかについては容易に分かるだろう。この言葉はアンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』の中で、ポール・ヴァレリーが小説の書き出しとして「自分にかんするかぎり、「侯爵夫人は五時に外出した」などと書くことはいつまでもこばみつづけたい、と私に確言したものだった」と伝えているところから来ているもので、ヴァレリーはリアリズム小説に典型的な、紋切り型で陳腐な表現としてこの言葉を使ったのである。
ドノソもまた、反リアリズムの立場から「侯爵夫人は五時に出発した」という言葉を子供達の遊びの名称としたのである。この遊びが現実逃避のための、あるいは現実を覆い隠し、そのことによって年下の子供達を手なづけるための遊びと位置づけられているのであるならば、それはリアリズムというものが「いつでも接触可能なもう一つの現実を構築しようという」形式に他ならないからだ。
ドノソは『ラテンアメリカ文学のブーム』の中で、「模写の基準、しかも《われわれのもの》であると立証できるもの――社会問題、民族、風景など――を模写するという基準」こそが、伝統的なリアリズム小説の物差しであったと語り、それこそがラテンアメリカ文学を衰退させた要因であるとも言っている。
つまりリアリズム小説は現実の模写、あるいは現実の代用物にすぎないと彼はそれを批判するのである。「いつでも接触可能なもう一つの現実」がそれであり、「侯爵夫人は五時に出発した」という遊びは、そうしたものを与えるにすぎない。それは現実の代用物を与えることによって人々を支配する手段にしかすぎないのである(⑥のテーマおわり)。
チリのクーデターをリアリズムによって書いた小説家も存在する。寺尾隆吉によれば、同じチリの作家ホルヘ・エドエワーズが1978年に書いた『石の招客』がそのような作品で、今日では『別荘』とは「比肩すべくもない凡庸なリアリズム小説」でしかないと寺尾は言っている。
またガルシア=マルケスの"魔術的リアリズム"の方法を真似て、イサベル・アジェンデ(同じチリの作家)が1982年に書いた『精霊たちの家』もあるが、"魔術的"という部分を大衆化させることによって、ベストセラー作家となったこの作家のことを、ロベルト・ボラーニョ(この人もチリの作家)は「へぼ作家」と切り捨てている(ボラーニョについては超大作『2666』を読み終え、この作家の力量に圧倒されたばかりなので、彼の言うことは信用に値すると思っている)。
「読者の想像力と作者の想像力を一つにする瞬間は、本物を装うところからではなく、現実の「装い」が常に「装いとして」受け入れられるところから生じるはず」であるという言葉は、ドノソの反リアリズム論の中核をなしている。
フィクションがフィクションとして受け入れられるところからしか「読者の想像力と作者の想像力が一つになる瞬間」はやってこないのである。だからドノソはゴシック小説的枠組みまでをも利用して、徹底したフィクションをこそ造り上げようとするだろう。
ドノソの作品はすべて完全なフィクションとして構築される。ラテンアメリカ文学が反リアリズムへの運動に由来するとしても、この人ほど徹底してフィクションに拘り続けたのは、他にガルシア=マルケスしかいないかも知れない(マルケスでさえ時にジャーナリストとしての顔を見せるのであるが)。
ドノソは『ラテンアメリカ文学のブーム』の中で、自らの"奇妙な制約"について次のように語っている。
「小説ではないもの、小説について述べていない、小説とは関係がないものを読むことは――私の知性にこんな奇妙な制約があることを告白しておかなければならない――私にとっては実体がなく、色褪せ、図式的で、時間の浪費のように思えてならない。私が過去を理解するのは――もちろんそうしているわけだが――なによりもこれまで読んできた小説に照らしてである。そして現在について理解できることといえば、科学的、報道的な究明よりも、小説の暗示的な世界から、ずっと多くのものを私は得ているのである」
ドノソはフィクションによってしか過去も現在も、あるいは未来をも理解することのできない人間なのであり、ここまで徹底した作家を私は一人も知らない。そしてこのドノソの言葉は、小説にしかできないことがあるということを再確認させてくれるものでもあるのだ。
③―2
だから「読者が実体験とこの小説を混同」しないようにするというドノソの試みは、「この話は作り話にすぎない」という緒言によってではなく、ドノソが繰り出す現実にはあり得ない途方もない物語や、現実にいるはずもない登場人物などによって達成されるのであり、それはまた、次のような方法意識に支えられているだろう。先の緒言に続く部分である。
「この物語を読む際に起こる融合――私が言いたいのは、読者の想像力と作者の想像力を一つにする瞬間のことだ――は、本物の現実を装うところからではなく、現実の「装い」が常に「装いとして」受け入れられるところから生じるはずであり、その意味でこの小説は、本当らしさを通して別の現実、現実世界と併存し、それによって、いつでも接触可能なもう一つの現実を構築しようとする小説とは、根本的に違う方向を目指している。」
これこそドノソが真に言いたかったことであり、読者に対する宣言であるのに他ならない。このような宣言を小説の中で行うことがいかに異例であるにせよ、この途方もない物語の中にそれを仕込んでおかなければ、作者の気が済まなかったのだろう。
この宣言はある種の小説論として論争的な性格を帯びざるを得ない。だから次のような結論が導き出されることになる。
「フィクションでありながらフィクションでないように見せかけるような偽善は、私に言わせれば唾棄すべき純潔主義の名残であり、私の書くものとはまったく無縁であると確信している」
これはアリアリズム小説に対する全否定の言葉として読まれなければならない。「フィクションでありながらフィクションでないように見せかけ」、「本当らしさを通して別の現実、現実世界と併存し、それによって、いつでも接触可能なもう一つの現実を構築しようとする」小説など、ドノソにとっては許し難いものであった。
こうした反リアリズム的主張はドノソが1972年に書いた『ラテンアメリカ文学のブーム』に、自伝的要素を入れながら全面展開されている。ドノソは自分たち以前のチリの文学に伝統的リアリズム以外の何ものをも見いだせなかったし、彼らを師と仰ぐことなどとうていできずに呻吟していた。
ドノソが学んだのはヨーロッパの新しい作家達、サルトルやカミュ、ギュンター・グラス、ロレンス・ダレルであり、フランスのヌーボーロマンの作家達であり、アメリカのサリンジャー、ミラー、ゴールディングなどであり、ラテンアメリカの伝統に学んだのではまったくない。ドノソは書いている。
「今日のイスパノアメリカ小説(ラテンアメリカというとポルトガル語圏のブラジルをも含むが、スペイン語圏のアメリカを意味している=筆者)は、そもそも混血として、イスパノアメリカの伝統(スペイン的ならびにアメリカ的な伝統という意味で)を知らずに出発したのであり、そのほとんどがそれ以外の文学的源泉に由来している」(内田吉彦訳)
そしてドノソはそれを「父親の不在」「親のいない孤児の感覚」と表現している。ドノソのこの言葉は、いわゆるラテンアメリカ文学のブームを担った作家達のほぼ全員に当てはまるのであり、反リアリズムとしてのラテンアメリカ文学の由来というものを正確に言い当てている。
そして、ドノソの眼を決定的に開かせたのは、メキシコのカルロス・フエンテスが1958年に書いた『空気の澄んだ土地』(2012年に現代企画室から『澄みわたる大地』の邦題で出版)であった。ドノソはこう書いている。
「カルロス・フエンテスのこの小説には締まりも簡素なところも、また事実を記録したところもなく、逆に、人種や、嗜好や、ことばや、形式の、あらゆる不合理の統合、包摂であった。作為的なものが自然なるものを凌駕し、創造がリアリズムを支配し、小説以前の統一などには一切囚われず、強力な個人の見方を優先させたものであった」
ドノソは何年もの間『夜のみだらな鳥』を書きあぐねて苦しんでいたが、フエンテスのこの作品を読むことによって、小説完成への道を切り開くことができたのであった。「作為的なものが自然なるものを凌駕し、創造がリアリズムを支配」する作品として、我々は今日『夜のみだらな鳥』と『別荘』の二大傑作を読むことができるのである。
③―1
まだ③と⑥⑦⑩のテーマが残っている。③のテーマは⑥⑦⑩のそれと複雑に関連しているから、③について書くことで三つのうちのいくつかは消化されてしまうかも知れない。
③のテーマとは何であったか? それは作者がいたるところに顔を出して、「この話は作り話にすぎない」ということを何度も繰り返すのはなぜかというテーマであった。ドノソは第1章「ハイキング」のベントゥーラ一族の図書館に関する説明の部分で、最初に作中に介入してくるが、第2章「原住民」の冒頭という大変早い段階で「この話は作り話にすぎない」ということを明言している。ドノソは次のように書くのである。
「私の物語もここまでくると、こうして作者が頻繁に読者の袖を引っ張って自分の存在を知らせ、時の経過や場面転換といった些細な情報を文面に残していくのは文学作品として「悪趣味」ではないかとお考えの方も多いことだろう。
この場を借りて取り急ぎ釈明させていただくと、私がこうしたことをするのは、この文章があくまで作り物にすぎないことを読者に示すというささやかな目的のためだ。こうして時折私が口を挟むことで、読者とこの小説との間に距離を保ち、そこに開示される内容が単なる作り事にすぎないことを明記しておけば、読者が実体験とこの小説を混同することもなくなるだろう」
ここでは少なくとも二つのことが言われている。作者が作中に介入するという「悪趣味」は、物語を本当らしく見せないということ、そしてそのことが読者を現実と虚構とを区別して考える方向に導くだろうということである。
かつてゴシック小説や恐怖小説は、その物語が現実にあった事実であると主張することに多くの労力を費やしてきた。「この物語は私が体験したことであるから事実である」とか、「この物語は私の信頼すべき友人が語ったものであるから事実である」とかいう言説がそれである。
あるいはまた、奇跡的に発見された古文書や手記が作りものではなく、いかにも権威あるものであることをくだくだと証言し、それらの文書に真実を語らせるといった方法も駆使された。しかし、ゴシック小説や恐怖小説の読者がそれが真実の物語であるなどと、思っていたということ自体疑わしい。読者はそれが真実であると信じる振りをする作法を身につけていたにすぎない。それは今日でもミステリー(推理小説)が、それが真実の物語であると思われていないにも拘わらず、読まれ続けていることと同じことである。
ドノソはそのような方法あるいは作法に、真っ向から反対してみせる。しかし最初から「作り話にすぎない」と言っておくことで、「読者が実体験とこの小説を混同」しないようにするという試みは、はたして成功するのであろうか。
その問いに答える前に、もう一つ問うておかなければならないことがある。『別荘』を読んでそれが作り話ではなく、現実の物語であるなどと考える読者は存在するのだろうかということである。子供達が非現実的な会話を続け、起こりそうもない事件が夥しく語られ、存在しそうもない人物が多数登場し、異なる集団の間に異なった時間が流れるなどという物語を、今日誰が真実の物語だなどと思うだろうか。
だから、「作り話にすぎない」などという緒言は言わずもがなの発言であって、あってもなくても同じ結果しかもたらさない。それはどのような結果なのであろうか。
実は読者は、作者であるドノソが「作り話にすぎない」と何度繰り返そうが、『別荘』の世界に没頭していくことを妨げられない。『別荘』の多くの登場人物達、とりわけアドリアノやウェンセスラオ、あるいはアラベラが存在しそうになくとも、彼らに感情移入しないでいることはできないし、大きな感動なしにこの物語を読み終えることなどできはしないのである。
だから、ドノソがここで本音で語っているのかどうかということも、疑ってかかっていいのである。「作り話にすぎない」物語を「作り話にすぎない」物語として、冷静に読めるものなら読んでみろという、読者への挑戦がそこに含まれていないとは言い切れない。
⑨
『別荘』という小説で読者にとって最もショッキングなことは、親達がたった一日ハイキングに出掛けている間に、別荘に取り残された子供達の間では一年もの時間が経っているという驚くべき時間構造である。
第一部では子供達はまがりなりにも親達と時間を共有しているのに、第二部ではそうではない。こうした時間のギャップが明らかになる場面を、ドノソは第二部の最初の章、第8章「騎馬行進」でものの見事に描いている。
親達はハイキングを終えて帰還の途につくのだが、いつも休憩を取る礼拝堂の廃墟で、彼らはカシルダ(16歳)とファビオ(16歳)に出逢う。カシルダは金箔を盗み出す計画の首謀者であったのだが、マルビナ(15歳)に騙されて、ファビオとともに置き去りにされてしまったのである。
一年という時間の経過を示す証拠としてドノソは、ファビオとカシルダの間に子供ができたという設定にしている。しかしその赤ん坊も親達には人形にしか見えないだろう。リディアは言う。
「なんて恰好をしているの?」彼女は言った。「ここで何をしているのよ? ちょっと目を離すと、すぐに悪さを始めるんだから。この衣装は何よ? もう人形遊びなんかする歳じゃないでしょう。恥ずかしいわよ、さあ、寄こしなさい」
カシルダはぼろ服の間に隠そうとした。
「人形じゃないわ。私の息子よ」
「はい、はい」宥めるようにリディアは言った。「大事な息子なのね。「侯爵夫人は五時に出発した」の遊びすぎでそんなぼろ人形が本物の赤ん坊に見えるのよ。あなたはもうそんな歳じゃないでしょう」
そしてその赤ん坊は井戸の中に投げ捨てられてしまう。その後、人形を捨てたフアン・ペレスはそれが本物の赤ん坊であったと証言するだろう。つまり、親達は子供達の間に一年が経過していることを認めようとしないのである。どちらの時間が本物なのか? カシルダは親達に向かって叫ぶ。
「あんたたちのハイキングの時間こそ偽の時間だったのよ!」
ところでドノソは長い放浪生活に別れを告げ、1971年にスペイン東部の小村カラセイテに居を構えている。美しい景色に魅せられたというから、きっと世の中のことをすべて忘れて小説に没頭できる理想的な環境だったのだろう。
そこでは『別荘』における親達の場合のように、時間はゆっくりと流れるだろう。それに対して故国チリではクーデターに象徴されるように、時間は恐ろしいほどのスピードで進んでいくだろう。
『別荘』における親達と子供達の時間のギャップは、おそらくそのような現実的な背景を持っていると私は思う。ドノソは自分の周りでは一日しか経っていないのに、故国では一年もの濃密な時間が経過していることに1973年9月11日に気づいたのである。
そのような現実的背景を別にしても、この時間のギャップという物語構造は『別荘』という小説に大きなダイナミズムを与えている。もしこの時間構造がなかったら、『別荘』には空間的な条件しか残らないことになるからより平板なものになっていただろう。
これがなければウェンセスラオがたった一日の間に大人へと変貌していく姿を、現実感をもって描くことなど不可能だったはずである。
④―5
さて次に原住民達の集団について取り上げなければならない。原住民の存在と、別荘を取り囲むグラミネアの荒野の存在は深く結びついていて、この作品の歴史的あるいは風土的なバックグラウンドを形成しているように思う。
原住民が何を表象しているかということについては、何も考える必要などないと思われるかも知れない。原住民というのは文字どおり先住民であって、インディオであるとすればそれで問題は終わってしまうからである。
しかし、チリはアルゼンチンやウルグアイと同様に、先住民が少なかった地域で、現在でもインディオはほとんど居住していないし、1973年の時点でも同じことである。だから、現実にインディオが多く存在していて、ピノチェトのクーデターの時に何らかの役割を果たしたなどということはあり得ない。
ではなぜドノソは『別荘』に、しかも不可欠の要素として原住民達を登場させたのだろうか。それがチリ人の人種的記憶に関わる要因を持っていると考えることはできる。現在でもチリとアルゼンチンにはマプチェ族という先住民が90万人ほど住んでいるというが、彼らはインカ帝国やスペイン人の侵略に対して長く抵抗を続けたという。
2009年のCIAの調査によれば、チリの人種構成はメスティソ(白人とインディオの混血)が95・4%で大半を占め、インディオはわずか4・6%にすぎない。しかもメスティソは自らを白人として意識しているという。つまり混血であっても、白人の血の占める割合が圧倒的に高いのである。
だから『別荘』に登場する原住民は、歴史的記憶に関わるものなのであり、アクチュアルなものではない。それは15世紀から17世紀にかけて行われた、スペインによる中南米への侵略と征服の歴史的記憶に関わるものなのである。
『別荘』の原住民は、かつては食人の習慣を持っていたが今は文明化され、そうした習慣を捨て去っているとされているが、それにしてはこの作品の中で彼らは裸で生活しているし、豚の生贄の儀式のような習慣は捨ててはいない。
しかしアドリアノによれば、それはベントゥーラ一族への抵抗の姿勢なのだ。原住民達はベントゥーラ一族の収奪に対する抗議として、彼らの衣装も装身具もすべて脱ぎ捨てて、現在では裸で生活しているというわけだ。
彼らは抵抗の姿勢として一種の"先祖返り"を行っているのである。またチリのような緯度の高い地域で裸で生活することなどできるはずもなく、ドノソの原住民はチリだけでなく中南米全域に跨る先住民達の歴史的イメージによって創造されているのだ。
そのことが『別荘』に歴史的な奥行きと地理的な広がりを与えていることを指摘できるだろう。『別荘』がピノチェトによるクーデターに触発されて書かれたのだとしても、ドノソの射程はスペイン人による中南米への侵略、虐殺、征服と苛酷な支配の歴史にまで及ぶことになる。だから、『別荘』はチリのクーデターを素材とした、単なる政治小説に納まることはないのである。
最後に外国人達の集団が残されている。第12章「外国人たち」でベントゥーラ一族は、外国人達にその地所を高く売りつけるために、別荘に招待することになっている。そのためにはハイキングに出掛けた一日の間に、別荘で起こったこと、使用人達の軍団による支配と、一部の子供達による抵抗は知られてはならない事実である。ベントゥーラ一族はそれをひた隠しに隠そうとするのだが、最後には外国人達と手を組んだマルビナの策略によって、すべてを失うことになるだろう。
外国人達の集団は極めて現代的なアメリカ資本を表象するものと言えるだろう。チリの政変などものともせず、チリのブルジョアジーの利害などおかまいもなく、彼らはすべてを簒奪するだろう。