厚労省が「人生会議」の普及・啓発のために作成したポスター・HP画像が1日で回収・削除されたことが報じられた。
人生会議?。字面から何となく想像できるものの、詳細を知らなかったので、ネットを頼りに勉強した。人生会議の名称(愛称)は1年も前(1918年11月30日)に厚労省が決定・公表されていた。要旨は「人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合う取り組み」とされ、11月30日(いい看取り・看取られ)を「人生会議の日」とすることも併せて発表されていた。要は、「死に方を真剣に考えよ」ということであるが、老人はもとより壮年者も考え・形として意思表示する必要があるということと思う。飲み屋談義では「チューブに繋がれてまで生きたくない」と云う声が大半であるが、果たして本気であるかどうか分からないし、家族同意の意見かも分からない。終末を担当する医師は、家族の同意がない限り延命治療を打ち切ることは許されないので、生命維持装置によって長期間生き続けるケースがあるのかも知れない。延命治療に関して、終末医療については家族の経済的負担や精神的な負担を軽くするための常識的な線引きがあるのだろうが、働き盛りの突発的な事態にあっては本人の意思が確認できない場合混乱することもあるだろう。さて、自分の人生会議であるが、家族は遠隔地に点在、主治医と呼べるほどの医師もおらず、ケアにはまだ間があると考えており、とても膝を交えて会議(話し合い)できるような状態にない。この状態には、程度の差はあっても多くの人が置かれているのではないだろうか。とすれば、自分の意思を書面にして家族に託すというやり方で済ますしかないと思うので、どのような書式にすれば有効な意思表示とみなされるのかと調べてみたが、厚労省のHPからは見いだせなかった。厚労省は、ここまで終末医療に関して仏を作ったのであれば、医療・ケアチームを持たない無精者が意思表示でき、なおかつ本人の意思と認定される書式(魂)まで提示してくれないものだろうか。
最後に、厚労省のポスター・HP画像が1日で回収・削除されたことについてであるが、反対意見の多くが「生々しすぎる」、「(既にその状態にある)家族や遺族に対する配慮に欠ける」というものであるらしいが、本来「死」とは残酷なものであり各方面に「配慮」して訪れるものではないと思う。確かに小藪千豊氏の写真、脈拍が止まる瞬間を思わせるイラストはインパクトがあるが、それだからこそ自分のような無精者を動かしたものと思うし、その数は「不快」と感じる人の数十倍・数百倍に達すると思う。厚労省は、ポスター作製等に7千万円の軽費を掛けた様であるが、反対者の出現・撤去・報道を考えれば、優に広報成功(元を取った)とほくそ笑んでいるのではと思うものである。