ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が来日された。
先日まで「法王」とされてきたが、今回の来日を機に日本政府が尊称を「教皇」とすることに統一した(11月20日)。初めて知ったことであるが、これまで「法王」と尊称されて来たのはバチカンの大使館が「ローマ法王庁大使館」という名前で届出がされていたためであり、国名変更等の特別な理由が無い限り変更が認めらないという理由で法王という尊称を正式な呼称としたことによるらしい。「法王」の尊称は、ローマ法王に限らず他宗教の指導者も使用することや、後白河上皇が「法皇(ほうおう)」と尊称されたいたこともあって、かねてから日本カトリック教会が「教皇」と尊称することを求めていたものである。事のついでに、ローマ教皇は全キリスト教徒の頂点に立つのかも学習した。ローマ教皇はカトリック教徒の頂点には君臨するが、正教会(ギリシャ正教会または東方正教会とも呼ばれる)ではコンスタンティノポリ総主教座が全世界の正教会における筆頭格とされているが、各国の正教会にもそれぞれ総主教がおり彼らに対して上位に立つというわけではなく、一種の名誉称号で世界中のカトリック教会組織のトップに立つローマ教皇のような権威はないようである。また、プロテスタントにあっては、もともと宗教者の階級を否定していることから最高指導者は置かれていない。更に事の序であるが、呼びかけに使われる「閣下」と「猊下」の違いも調べてみた。「閣下」は、高官に使われる敬称であるが誰に使用するかは特に定めはなく、国家元首・閣僚・大使・領事・少将以上の軍人(将官)に使われ、「猊下」は、高位の聖職者に対する敬称で、ローマ教皇や枢機卿・仏教ではダライ・ラマをはじめとした高位の僧侶に使われるとされていた。
「法王」が「教皇」になり、「承久の変」が「承久の乱」になり、「大化の改新」が「乙巳の変」になり、というように我々世代の常識や知識は、段々と古びていく。新しい発見や掘り起しでやむを得ないことかもしれないが、実に切ない思いがする。それにもまして科学技術の進歩は顕著で、つい20年前には主流であったダイヤル式電話を扱えない若者の存在が報じられている。しかしながら、アポロ計画で人類が月に降り立ったのはライト兄弟の初飛行からわずか66年後であったという事実を知って、我々の親世代も技科学技術の大変革期を乗り越えていることを思えば、泣き言で済まされるものではないだろう。知識・常識の変革「何でも来い」と根拠のない啖呵を切って”終演”。