衆院憲法審査会委員の山尾志桜里氏(立民)が、審査会での議論を進展させることを提言している。
憲法審査会の議論は、立民の枝野代表を始めとする野党(維新を除く)執行部によって停滞させられている現状を見れば、山尾氏の提言は極めて妥当なものと考える。一般的に憲法改正と云えば「第9条の改正」と短絡的に思われているが、日本国憲法には、教育(私学助成や教育無償化)、性差別、福祉、人権、在日外国人・・・等々、先進国の憲法に比して、科学技術や人権保護意識の進歩・変革から取り残された後進性が指摘されている。特に、危機管理条項に関しては致命的ともいわれ、日本国憲法の規定では有事の際に対処できないとまでいわれているので、憲法や憲法改正について論議するのは国会議員の責任であると思う。また、立憲君主制(天皇制)反対の立場を採る共産党・社民党にとって、憲法審査会での改憲論議は絶好の機会であると思うのだが、枝野氏に引きずられてか・世論に忖度してか及び腰に終始している。野党指導者は、醜悪な酔態は別にして、丸山穂高議員のように所信を明らかにする必要があると考える。予算委員会では「お花見問題」でもちきりであるため憲法審査会委員の多くも多忙?と思い調べてみたが、両委員会委員に重複指名されている議員は5名であり、憲法審査会の自由討議が2年間も行われていなかったのは、国会と委員の怠慢であるのは間違いのないところである。些か旧聞に属するが、一昨年、憲法改正と国民投票法の現状視察のため、憲法審査会委員が欧州視察を行ったことがある。帝国憲法制定に当たり、伊藤博文公以下の視察団を派遣して欧州各国の憲法を調査したが、当時に比べて通信網や情報手段が格段進歩している現状では、眉唾の視察ではなかろうか。憲法の”どの部分”が現実と乖離し、”どのように改正すべき”なのかを国民につまびらかにすることが憲法審査会の使命であると思うのだが。勿論、憲法審査会が「現行憲法には改正すべき点がない」と結論付けるのも選択肢の一つではあるが、9条を拡大解釈して自衛力を整備したように憲法を恣意的に解釈・運用するという”ゴマカシ”は、早晩に頓挫するのは自明である思う。
日本の現状と世界の趨勢に沿った憲法を次代に託すのが我々の責務である限り、山尾議員が提言するように、憲法審査会の議論だけは継続して欲しいものである。山尾氏の”いささか緩い下半身”に比し”健確な上半身”が野党の頑迷に風穴を開けて、憲法論議が国会の場で活発化することを期待するものである。