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もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

野田市児相の処置に対する検証委員会の報告書を読んで

2019年11月27日 | 社会・政治問題

 今年1月に起きた、千葉県野田市立小4年女児の虐待死事件に対する県検証委員会の報告書が公表され、「一時保護の解除など一連の行政機関の対応は不十分かつ不適切。ミスがミスを呼び、リスク判断が不十分なまま漫然と推移した末に起きた必然的な結果」と結論されている。

 一連の事件を構成する個々の事象に関しては置くとして、総じていえば「公務員の倫理観と責任感(使命感)の欠如」であると思う。財政逼迫の現状から公務員数は削減されて現場が慢性的な人手不足の状態であることは理解できるが、この先倫理観と責任感が欠如した人間をいかに投入しても、同様の事態は改善されないと思う。児相担当者の行動は、個人情報保護と両親の親権を過大に評価するという姿勢を隠れ蓑にして、課せられた職責と職分を放棄したもので、「不作為の罪」は免れないのではないだろうか。自衛官(特別職国家公務員)には、「頑張っても短期に昇給や昇任は得られない」、「短い期間で管理者が交代するために自分が正当に評価されていないのでは」という風潮があるが、おそらく一般職公務員も同様であろうと推測する。これは、長いスパンで人事管理するという公務員制度に起因する宿命であり、これに打ち勝って職責を全うするためには「より強い使命感」が求められる。自分は、このことを納得するために「(公務員は)自己満足の社会」と思い定めて勤務した。古語にも「天知る、地知る、己知る」とあるように、自分の行為の成果と勝(敗)因を最も知り得るのは自分である。自分に恥じない・後悔しない行動と判断で職務を処理するならば、そう間違った結果は出ないものと思う。野田市児相の対処で最も危ういのは、女児の一時保護を解除したことであると思う。テレビで放映された会見からの感想であるが、「一時解除は所内会議の決定」とされていたことである。会議の雰囲気・討議内容・結論がどんなものであったにせよ、決定したのは会議の主催者であり決定によって生じた事柄を含めて、全ての責任は主催者が一手に負うべきである。また、決定事項を児相の判断として決裁したであろう者も、会議の主催者と同等の責任から免れ得ないことは言うまでもない。大東亜戦争を通じて、下士官が優秀な日本軍・士官が優れたアメリカ軍、という評価があったが、これは日本軍・日本人の行動の原点を端的に表しているもので、使命感は個々の現場作業員まで横溢で、和を貴しとする管理者は現場の決定に従えば大過なく業務を遂行できるという安易なボトムアップの考えである。しかしながら、現場の倫理観と使命感に陰りが見えた現代社会では、管理者の判断で業務を処理するトップダウンによって組織を正常に維持することが求められているのではないだろうか。

 今回の事象について、ネット上には児相の責任者に対して「殺人未遂」を適用すべきという書き込みも散見されたが、全ての不祥事に対して責任の所在と取り方を声高に問うメディアは沈黙しているように思える。しかしながら、倫理観と使命感に劣る公務員によって引き起こされた「不作為の罪」は、もっと糾弾されてしかるべきではないだろうか。