もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

ウクライナと士気

2022年03月16日 | ロシア

 ウクライナでは依然として激しい戦闘が続いているが、国民の「自分の国を守るために戦う」という戦意は旺盛で、狂った強国に立ち向かっている。
 伝えられるところでは、これまで銃器・戦闘とは無縁であったであろう五輪メダリストが、救急救命士が、ミス・ウクライナが、続々と入営若しくは抵抗組織に加わっている。また、直接に銃器を入手できない人々も、対戦車障害物「拒馬」を作成し、土嚢でバリケードを作り、タイヤをパンクさせる「鉄菱」を作り、火炎瓶を準備し、と様々な形で抵抗に参加している。
 一方、平然と非戦闘員を無差別攻撃するロシア軍について「士気の低下・喪失」と分析する意見がある。

 日本の一般社会では、一般的に組織構成員の士気を高めるために「給料を上げる」とか「福利厚生を充実させる」との言葉が使われるが、自分では「真の士気とは、正義・大義を自覚した理性的な自律心」にほかならないと思っている。日本的な功利的な手段では「短期的もしくは一時的に士気らしきものを高揚させる」ことは可能であっても、何らかの理由でそれらが与えられなくなった場合には霧散霧消しかねない危うさを持っているように思える。規律と命令に依るロシア軍と、自発的に抵抗するウクライナ国民を見る限り、士気とは何を由来とし、何のために際立つのかを今一度考えることが必要であるように思う。

 ウクライナ軍民が団結して抵抗している傍らで、略奪行為や食料の争奪など戦闘被害者同士の中での「弱肉強食」の寒々しい事例も伝えられている。戦争・戦場の常とは云え、霞を食っては生きられない人間の生存本能にも起因する原初行動で、理性・士気だけでは完全には補えないことであろうが、士気の高揚はそれらを局限させることはできるように思う。

 ロシア侵攻前に「日本でも民兵の育成を考えるべき」と書いた際には、自分の周囲からも「時期尚早。国情・民情にそぐわない暴論」との意見が少なくなかったが、ウクライナの現状を見ると、侵略者に抵抗しつつ治安を維持するためには国民の士気と士気に裏付けられたスキルを高く保つことが必要であるように思うことに変わりはない。
 これまでの通り、聊かの功利で社員を繋ぎとめるだけで良いのか、銃器を扱えるのは悪か、防衛は自衛隊と米軍に任せて高みの見物でよいのか、を真剣に考えるべきではないだろうか。