goo blog サービス終了のお知らせ 

もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

ウクライナ政治決着に思う

2022年03月27日 | ロシア

 「ウクライナ市民を救うために政治決着を」という声が日増しに高まっているように思われる。

 戦前の日本では、多くの国民、とりわけ知識人の多くが国策を論じ・挺身する場合は「死は或いは泰山より重く、或いは鴻毛より軽し(司馬遷)」を信条とし、学徒兵を含む多くの特攻隊員は、日本国の悠久のために一身を鴻毛の軽きとして捧げた。
 しかしながら、戦後においては「一人の生命は地球よりも重い」が日本基準になったようで、福田赳夫内閣は1977(昭和52)年のダッカ事件で超法規的処置としてハイジャッカーの要求を容れ身代金 600万ドルを支払うとともに収監中の赤軍幹部等6名を釈放・出国させたが、この判断は、「テロ犯とは取引しない」が世界基準で無かった当時でも、日本=弱腰との非難が浴びせられたように記憶している。
 現在、ウクライナに政治決着を求める声もダッカ事件第二章の感が深いが、この背景には日本が連合国(アメリカ)占領から復興し得たという経験もあるように思える。一般的には勝者の占領は懲罰・簒奪が主で、そのことから言えばアメリカの占領政策は世界史上でも極めて寛大であったとされているが、日本から「魂」を抜き去ったことは懲罰以上の重きをなしているのではないだろうか。
 先日のブログで「ウクライナの歴史はロシア帝国とソ連の簒奪・苛斂誅求の歴史」と書いたが、身命を賭して抵抗を続けるウクライナ国民の平均的な意識は「今、100人の生命を救うために政治決着として寸土を割譲することは、その地に暮らす数万人の命と将来を見捨てることである」と云うものであろうと推測している。
 ウクライナに一時的な領土割譲を認める形で停戦し、臥薪嘗胆して将来的に領土回復を目指すというのは、寛大(一面では)なアメリカ占領を経験則としているから言えることで、既に戦後におけるロシア人との入れ替えに備えて市民の強制移住に着手していることを思えば、プーチン・ロシアの支配地域における将来は明らかであるように思える。

 自分には、抵抗するウクライナ軍民と大東亜戦争時の特攻隊員の心情は、同じであるように思えてならない。
 かって衆院議員であった丸山穂高氏は、「歴史上、戦争に由らずに領土回復した例はない。北方領土回復のためには対ロ戦争しかない」と主張した。世界的に見て正しいと思える分析・主張も、世界史的に稀有な「戦争に由らない沖縄復帰」を経験している日本では囂々たる非難を浴びた。
 国を守ること、国を失うこと、いま最も真剣に考えなければならないのは、日本人であるように思う。