ウクライナのゼレンスキー大統領の存在と情報発信力が、世界を動かしつつある。
ゼレンスキー大統領は、コメディアン出身で政治経験の無さを危ぶむ評価が高かったが、亡命政権を樹立して国外から指導することを暗に求めた西側諸国の助言を退けて国内に踏み止まって戦争指揮を続けているが、この現実を見ると、政治家とは何だろうと考えざるを得ない。
同大統領はアメリカ議会でリモート演説し、バイデン大統領に対しては「アメリカ大統領は世界のリーダーで、世界のリーダーは平和のリーダーでなければならない」と叱咤し、議員に対しては「パールハーバー」「9.11テロ」を想起しろと迫った。クリントン氏以来の民主党が党是とする「戦略的忍耐」が武力による現状変更を迫る無法者には無力である現実を訴える言葉は、バイデン民主党の重い腰を動かし、武器供与本格化に転舵させる一因になったと思っている。
ゼレンスキー大統領の外国議会での演説・遊説要請は日本にも及んでいる。岸田総理を始め大方の議員は大統領の議会演説受け入れに同意もしくは好意的であるが、立民の泉代表は聊か趣を異にし、「私は日本の国民と国益を守りたい。国会演説の前に首脳会談・共同宣言が絶対必要だ。演説内容もあくまで両国合意の範囲にすべき。それが当然だ」とツイートしたらしい。この、意味不明の思考・姿勢が衆議院議員8期にも亘って国家の経綸を論じた政治経験のなせる業と見ればお寒い限りである。外国指導者の国会演説が政府の動向を縛るものではないことと、西側の経済制裁に同調したことでロシアが日本を非友好国に名指しし、キエフが累卵の危うさにある今にあっても、平時の首脳会談の段取り墨守が絶対という考えは、いかなる政治経験から導き出されたのだろうか。
両者を眺めると、一国の指導者にとって政治・外交経験の有無は絶対条件ではなく、経験は一種の阻害要因にしか働かない場合もあるのではないだろうか。ゼレンスキー大統領の言動を見る限り、指導者の絶対条件は、経験豊富なブレーン・官僚が提示した選択肢を「愛国心」で選択・実行できる決断力で十分であるように思える。
議院内閣制の日本にあっては経験の少ないゼレンスキー内閣が出現することはないが、少なくとも経験則に捉われず、時宜に応じて柔軟かつ適切な判断ができる指導者であって欲しいと願っている。
現在の日本にとっては、泉代表が首班の座に無く・立民が政権に対して大きな影響力を発揮できない弱小野党である事が、唯一の救いであるように思える。