共産党の田村智子議員の政権批判を新聞で読んだ。
主張は、22日の参院予算委員会の締め括り質疑で、「ロシアのウクライナ軍事侵攻は、安倍元総理のすり寄りがプーチン大統領を増長させた結果で、当時の岸田外相にも非あり」と過去の外交の総括と反省を求めたものとされている。
確かに安倍元総理は、平和条約・北方領土返還交渉に弾みを付けたい思惑からプーチンとはファーストネームで呼び合う蜜月関係にあることを強調していたが、軍事弱小国の、更には足枷の多い日本国総理の言動がプーチンの意思決定に大きく影響したと観るのはどうだろうか。
田村議員は、プーチンが「ウクライナに軍事侵攻しても、日本は最低でも中立・あわよくばロシア支援に回り、自衛隊は動かない」と判断したと云いたいのだろうが、自分としては、世界を相手にすることになる軍事オプションを選択したプーチンの思考プロセスと決定マトリックスに日本という項目があったとしても、それはアメリカ・EU・NATOに比べれば極めて小さい比率であったであろうと考える。
おそらくであるが、この主張・印象は今後ともに繰り返され、一部の賛同を得て増幅され、参院選の頃には「安倍・自公政権が、ウクライナ事変の遠因」という印象が半ば定説的に流布されることになるのかもしれない。
今回のコロナ禍では、当初「武漢ウィルス」や「中国ウィルス」と呼ばれていたが、東洋学園大学の櫻田淳教授が「”何かを・どのように呼ぶか”は政治の最も原初的な営みであり、武漢ウイルスと呼び続けなければ、やがてウイルスの起源は消え失せる」と警鐘を鳴らしたように、2年足らずのうちにWHOの提唱する「COVID19」や「新型肺炎」という呼称に置き換わり、今では原産地である中国・武漢の影は曖昧模糊になりつつある。
この伝に従えば、共産党のパフォーマンス、若しくは観測気球と観るべき「自公政権がウクライナ事変の引き金を引いた」というプロパガンダも、やがては広く信じられ、更には今次の参院選が政党要件を満たすかどうかの瀬戸際にある社民党にとっては絶好のキャッチフレーズになることすら絵空事ではないように思える。
繰り返しになるが、日本の国力・軍事力は世界を動かすほどのものではないと思っている。