東京で桜が満開と報じられた。
かっては、この時期を迎えると新聞等で歳時記的に使用される引用句があったが、近ごろはあまり目にすることもなくなったように感じる。無学に等しい自分でも知っている語句を思い出すままに記すと。
・「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず(劉廷芝:代悲白頭翁」
自然災害等によって人々が大きな災難を被った際の慨嘆に使われていたが、今年は例年以上に身につまされる。昨年の桜の時期には、武漢コロナという禍はあったにしろ、プーチンという狂人は未だ本当の牙を剝いてはいなかったし、世間も大国ロシアが無法な戦争を仕掛け、ウクライナ国民が死生を彷徨う事態など思ってもいなかった。
・「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし(在原業平:古今和歌集)
ちょうど花見の時期に長期行動すると、母港に帰投した時には既に葉桜ということがあった。また、内地巡航という幹部候補生学校を卒業した初任幹部の慣熟訓練のための日本一周航海では、桜前線を追う航路となって、各寄港地で花見を満喫できたこともあった。「たかがサクラ、されど桜(花見酒)」と一喜一憂したものである。
・「春の海 ひねもすのたり のたりかな(与謝蕪村)」
舞鶴勤務では機関職域の自分も艦橋当直(操船指揮)を経験した。冬季の寒風に尖った波頭に比べ、黄砂に煙った春の海は穏やかで、避航すべき・注意すべき目標が無い時には不謹慎ながら立ったまま眠気に襲われるほどで、「のたり のたり」が実感できた。しかしながら、佐世保勤務では春と黄砂は天敵で、エンジンの吸気系統に装備されている「デミスタ装置」の目詰まりと洗浄に気を配らなければならず、早く黄砂の季節が終わることを願ったものである。
「年年歳歳花相似たり」とは言え、ポトマック河畔の桜は多くの米国人の目を楽しませるが、日本・ウクライナ外交関係樹立25周年として22都市に1,600本植樹されたとされるウクライナの桜は戦火に蹂躙され、千島桜(タカネザクラの変種)は日本人が目にすることも叶わずにひっそりと咲くのだろう。
桜、さくら、SAKURAに関する雑感を綴ってオシマイ。