もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

犯罪者と公務の執行に思う

2022年07月05日 | 社会・政治問題

 アメリカで、逃走を図った黒人の交通違反者が、追跡した警官から60発近い銃弾を浴びせられて死亡したことが報じられた。

 報道では、逃走犯が拳銃を車内に残していたことから、丸腰の犯罪者を射殺したことと8人もの警官による斉射に焦点が当てられている。
 公務執行者に甘いとの指摘を覚悟して書けば、銃社会のアメリカでは「警官に過剰な反抗をすれば射殺されるおそれがある」ことは、犯罪者を含めて国民の常識ではないだろうか。それでも逃走を図ったのは直接容疑の交通違反以外にも捕まりたくない犯罪を犯していたのではと考えられる。また、大量発砲の原因は追跡した警官が一人の指揮官に率いられたチームではなく別々のパトカーに分乗した混成チームであったことも大きいと思う。
 アメリカでは犯罪者若しくは警察の追跡を逃れようとする者は銃を携行している可能性が高いので、警官が自己防衛のために先制発砲することは避けられないように思えるとともに、経験未熟な警官であれば、一旦引き金を引いた後にはパニック症状的に弾倉を撃ち尽くすことは十分に有り得るように思える。
 一般的に、公務執行者にあっても人間に向けて銃を発射するためには射撃訓練で標的紙を狙うのと違って「強固な使命感」若しくは「ある種の狂気」が必要とされる。1970(昭和45)年に起きた「ぷりんす号シージャック事件」は、犯人を狙撃(射殺)解決した事件として日本で唯一の事件であるが、狙撃を担当した警察官はオリンピックも夢ではない射撃能力を持っていたが、狙撃を命じた指揮官等は一様に「警官が本当に犯人を撃てるかどうか」を真剣に案じたとされている。
 現在ではシューティングゲーム等の蔓延で、発砲忌避(躊躇)のハードルは下がっているのかも知れないが、銃社会のアメリカはさておき日本では未だ警官が不用意に対象者を射殺したり全弾を撃ち尽くす事態は発生していないが、外国人による銃器犯罪の多発等によっては正当防衛(専守防衛)の鉄則が崩れ去ることも起こり得るように思っている。

 アメリカの事件と時を同じくして、日本で歩道に乗り上げて児童等に軽傷を負わせた高級外車の運転者が、徒歩で逃走したことが報じられた。まだ、ひき逃げの疑い濃厚な運転者は特定されていないが、なにやら交通事故以上に加重される行為を隠したい思惑があったのではと勝手に邪推している。
 我がPCにも「別件逮捕のタネ無し」とは大見得を切れぬところであるが。老い先短いながら我が身を正して生きて行こう。