岸田総理が、日本学術会議改正案の今国会上程を見送ったことが報じられた。
日本各術会議については、菅前総理が委員候補6名の任命を拒否して以来耳目を集め、「学問」とは全く縁のない自分も「そうだったんだ!!」と興味を持ったものである。
学術会議法の改正案は、委員候補の選定に外部の有識者を参加させることが目玉とされているが、政府から独立した法人にすべきとした自民党PTの改革案とは大きく隔たっているために自民党内でも不満な内容であったらしく、さらには、その改正案すら上程を見送ったことに対して党内からは、「野党の圧力に屈した」との反発が伝えられている。
委員選定の過程に外部の有識者が関与する改正案について学術会議側は、「学問の自由が奪われる」と紋切り型の反対意見を主張しているが、学術会議が実際の研究・学問の場であるならばその主張は認めるべきであろうが、研究機関・教場を持たずに半ば親睦団体化しているように思えることや、「デュアル・ユースを含む軍事研究忌避」が一部学問の自由を奪って日本の基礎研究を後退させている現実を思えば、素直には頷けない。
特に、離任者の推薦で後任候補を半ば自動的に選任することは、学問・研究者の派閥化に繋がって異論の新規参入を拒むという、学問の自由を自らが否定しているように思える。
この辺の実情は、自民党幹部の「この法案以上には譲れない」、「これでだめなら民営化だ。学術会議は自滅の引き金を引いている」とのコメントに示されているように思える。
法案上程の見送りに対して、立民・共産は勝利宣言に近いコメントを出しているが、そのいずれもが学術会議の必要性や功績を擁護するものではなく、単に政局・政争の勝利としていることを観れば、法案上程見送りを歓迎する側にとっても、学術会議は無くてはならない存在ではないように思える。
日本学術会議会長の梶田隆章氏は、ニュートリノ物理学の第一人者としてノーベル賞・文化勲章の栄典を得ているが、「名選手必ずしも名監督たり得ない」を地で行っているように思えてならない。
今後は、自分の様な無学納税者にも、「異論にも開かれた」、「行動・提言・業績が目に見える」新しい学術会議に再建・再生して欲しいと思うと同時に、もし現行体制の変更が本当に学問の自由を侵すものであるならば、学者として・最後の学術会議会長として薛を全うして欲しいものである。