「複数民家に現金や切手の入った茶封筒が投げ込まれている」ことをテレビが報じた。
そんなことがとネットで調べると、意外なことにこれまでにも全国各地で発生しているようで、それらの何れもが「誰が?」&「何のために?」は不明のままであるらしい。
興味を持ったのは、行為自体よりも「投函された人が警察に届け出たものの、警察は事件として扱う裏付けの法律がないことから静観している」という点で、法律整備が追い付かない先進の行為ならまだしも、古典的な行為であっても未だに法律が判断・対応しない・できないケースも有ることであった。
現在のところ、警察は投函した行為や投函した人に対しては静観せざるを得ないものの、投げ込まれた方が届けなかった場合や投げ込まれたお金を使った場合には、「占有離脱物横領罪(1年以下の懲役または10万円以下の罰金もしくは科料)」が適用されるとされているので、投げ込まれた方も”棚から牡丹餅”としてはならないようである。また、ネットの弁護士は、投げ込み者から後日「間違って投函した」や「金額はもっと多かった」などのクレームを付けられて新たな犯罪に拡大する可能性も有ると警告している。
施設にランドセルなどを贈る伊達直人(タイガーマスク)氏の行為は有名であり、先ごろは数億円の私財を故郷に寄付した篤志家もおられる。
今回の報道には投函者と思われる監視カメラ映像が添えられていたが、初老域以上の方であるように思うと同時に、行動自体も「自治体や確かな団体に寄付する程の額でなく」、「使途不明の胡散臭い団体に寄付するよりは手っ取り早い慈善行為を」と執られたのかも知れないと思える。
そう考えれば、同様な行為は「幾ばくかの余裕があるが、相続する人もいない」や「慈善のために遣いたいがどうして良いか分からない」などの理由から、高齢社会の日本では今後ますます増えるのではないだろうか。
明日の米にも事欠く自分でも、まだ削れる支出は有るだろうし、それを慈善行為に費やすことも可能だろうに、さしたる慈善をしないのは何故だろうか。
慈善の意思と慈善行為の難しさに心乱された朝であった。