統一時地方選挙が終了し、自民微増、立民微減、維新躍進、共産激減の民意が示された。
更に、同時に実施された衆参5選挙区の国政選挙では、自民4勝・維新1勝となり、いわゆる保革一騎打ちとなった大分選挙区では、341票の小差ながら自民新人が元社民党代表というビッグネームの立民候補に競り勝つという結果になった。
標題に掲げた「戦略の失敗は戦術では挽回できない」は、軍事のみならず全ての勝負の鉄則であり、選挙でも政党・候補者の主張(戦略)に賛同が得られなければ、候補一本化・選挙協力・連合一本化などの選挙戦術ではカバーできないことを示している。
共産の激減は、前時代的のみならず中国共産党が現在進行形で示している民主集中制による危険性が露わになったためにコアな支持者すら失ったことであろうが、弱小政党であり問題視する程ではないだろう。
しかしながら、政権交代を標榜する立民の微減・退潮傾向は歓迎はするものの深刻であると思う。
杜甫は「春望」で「国破れて山河在り」と詠い、芭蕉は「夏草や兵どもが夢の跡」と詠み、兵事・争乱は武人興廃の無常ではあっても大自然と国民生活は悠久としたが、現在のウクライナ事変や中国の一体一路債務漬け戦略を観れば、杜甫・芭蕉と雖も「一旦国が破れれば何も残らない」ことを筆にしたであろうと思う。
立民の政治姿勢は綱領・政策・国会活動を観る限り杜甫・芭蕉的発想に近く、常套句である「戦争をしない国」も内実は「戦争できない国」であるように思える。軍隊を廃止した国として「9条を守る会」が手本とする小国コスタリカですら有事には国軍を編成することを憲法に残しており、テロ掃討活動では隣国の軍隊と共同作戦に従事できる装備を持った武力警察を保有している。
自衛隊の装備を削ぐことが「戦争しない国への第一歩」として抑止力整備に待ったをかけているが、それは「戦争という最終手段を以てしても国民のアイデンティティは守る」という近代国家観が欠如していることに他ならないと有権者は見切っているように思える。
今回の選挙につて立民や共産は一様に、候補一本化や選挙協力などの戦術要因を挙げて政党戦略を束ねる執行部の責任はないとしているが、国民は、党執行部の首など求めてもいないし関心もない。
自分の様な平均的有権者が唯一求めるのは、「真に日本を守るのは誰か・どの政党か」であると思うので、今後とも如何なる選挙戦術を駆使してもお花畑戦略が改められない限り、立民の躍進・政権交代は無いと思うし、維新の躍進を観れば野党第一党すら危ういように思える。