もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

北別府学氏を偲んで

2025年01月22日 | カープ・スポーツ
 カープ黄金時代をエースとして支えた北別府学氏の番組を観て久々に涙を流した。
 改めて紹介するまでもなく、北別府氏はカープ一筋で200勝を挙げた唯一の選手であるが、白血病で3年間の闘病生活の末に2023年6月に65歳で亡くなられた。
 当時のカープのお歴々が語る彼の人柄は、物静かで優しい反面、闘争心は旺盛で何より練習熱心であったとされる。特に、入団1年目19歳のキャンプで自分の球速ではプロの世界に通用しないと見極めて、制球力に活路を見出した判断力と制球力獲得のための練習量は、猛練習が基本とされるカープにあっても突出していたという。こうして得た制球力をもって世上は氏を「精密機械」と称えた。
 エース=完投とする北別府氏にあっては、マウンドで交代を打診するコーチに、「次は誰が投げるん」「そいつだったら俺が投げ続ける」と公言する程であったが、優勝が決まる試合の5点リードで8回を投げ終えてベンチに帰った氏は山本浩二監督に「津田(恒美)に変えてくれ」と願い出たそうである。優勝投手の栄誉を誰よりも知っており、加えて完投を勲章とする北別府氏が完投という勲章を捨て、栄誉を1年間クローザーを続けた津田恒美氏に譲ったとの秘話には泣かされた。番組に出演されていた女優でカープファンの東ちづるさんはこの秘話をご存じであったらしいが、自分は初めて耳にした。野球チームのガバナンスでは、自分の次の投手を指名することはあってはならないだろうが、この場面では北別府氏の行為は感涙に値するものではないだろうか。
 北別府氏闘病の3年間は過酷なものであったらしいが、周囲に弱音を一言も漏らさなかったと長女が語っていた。
 北別府氏ほどの覚悟は当然に持ち合わせていない自分であるが、最後まで弱音を漏らさないようにしたいものである。弱音を吐く暇の無いピンコロであって欲しいが、現状を考えると苦闘は若干長引きそうなので北別府氏の最期を思いながら闘病して旅立ちたいものである。