もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

貴ノ岩関引退劇に見る報道と世論

2018年12月09日 | 報道

 貴ノ岩関が付き人に対する暴行によって角界(相撲界)を去ることとなった。

 云うまでもなく貴ノ岩関は、横綱日馬富士に暴行を受けた関取であり、ために日馬富士関は刑事罰を受けるとともに引退を余儀なくされた事件の一方の当事者である。本ブログで自分は、総スカン覚悟で”殴られた方にもそれなりの理由があるはず”、”喧嘩両成敗の精神で処すべき”と主張したが、報道は日馬富士関叩き一色で、報道に誘導された世論も”貴ノ岩には一片の非も無く、日馬富士の一方的かつ理不尽な暴行”に傾いていった。しかしながら今回事件では貴ノ岩の人間性や素行について疑問有りとする報道が引きも切らない状態である。日馬富士問題を取材した報道陣や角界関係者にとって貴ノ岩の素行については周知の事実であったと思われるが、一切報道されることは無かった。一般社会(日馬富士問題)をなぞれば、いかに私的な飲み会の席であっても社長(横綱白鵬)が話しているときに、課長(貴ノ岩)が携帯をいじるなど、おおよそ考えられないことで社会通念上も許されないマナー違反と思う。それに対して専務(日馬富士)が社長の人望維持のために社長になり変わって注意したものであり、暴行という事実さえなければ普段よく見かける図式である。貴ノ岩の素行やマナー違反等が冷静に報道されていたならば、日馬富士問題は違った展開となり、貴ノ岩へのお灸ともなって今回の事案も防ぎ得たかもしれない。騒擾報道と相乗的は狂乱世論によって出された結論が、後になって冷静さを欠いた結論と否定されても、時計の針を戻すことはできない。さらに、今回の報道を見ても日馬富士報道の行き過ぎを自省するマスコミが見当たらないことも、マスコミの思い上がりと感じるものであるが。

 古人は「泥棒にも3分の理」といい、近代刑法では”3分の理”を情状酌量という形で量刑に反映させている。しかしながらマスコミの報道姿勢は”3分の理”には敢て目をつぶり、”溺れる犬を棒で叩く”ことに徹している。この報道姿勢は極めて危険なもので、形を変えた全体主義であり、ポピュリズムへの加担に他ならないと考える。個人的判断をマスコミ報道に依存しなかればならない我々は、良識を忘れたマスコミの過熱報道に同調することなく、一定の距離を置いた冷めた目を以て、報道の裏に隠されているであろう事実を汲み取る努力が求められるのではないだろうか。日韓関係を累卵の危うきに陥らせたのは、朝日新聞の偽報道を主因とするが、迂闊にも偽報道を信じて同調・増幅させた読者側も責任の一端を担うべきと考える。


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