子育て支援給付金の支給が、実質的な10万円一括給付で活着した。
岸田総理の信条の一つは、かっての著書に記された「聞く力の体得」と理解しているが、就任以来の言動を観る限り、「聞く力」の重視は、多様な異見に逡巡して判断を先送りすることで憶測の乱立を呼びこんで結果的に混乱を増幅することにしか寄与しないように感じられる。
当初の配分計画では、5万円をクーポン給付するとされていたために、前回の定額給付金の支給遅れ批判の矢面に立たされた自治体は、印刷物の先行手配等に踏み切ったケースも有るとされる。
一部識者の分析では、先の定額給付金の多くは消費に回されることなく貯蓄に回されたので、クーポン配布の方が多様な消費行動に使用されて経済効果は大きいとされるが、そのような本来議論よりも事務経費の多寡に議論が集中してしまった。この1000億円近い事務経費も、最終的には印刷・運輸通信業者や地方公務員(臨時雇用者を含む)の手に渡るので、経済支援の一部に捉えられる公費支出であるが、一様に税金の無駄と切り捨てられた。
公明党の発議以来半月近くも岸田総理が決断できなかった一連の顛末を眺めると、岸田総理が偏に「異見に耳を傾け過ぎた」結果であるように思える。
全額現金支給と半額クーポン支給には一長一短があり、いずれかの方策が効果的であるかは誰でも断定できないが、全ての国民が満足・賛成する国策などあり得ないことは歴史も証明していることで、賛否拮抗の場合は指導者が断を下すことは全ての国で行われている。
もう一つ気懸りであるの、対オミクロン水際対策として国交省が「日本人の入国禁止」を航空会社と旅行業者に通告したケースである。この事象は単なる国交省の暴走であり、岸田総理が翌々日に撤回を指示したことで混乱は最小限に抑えられたが、禁止通告を官僚が専行したことについては疑念を持つものである。
トップにある程度の専権事項を定めたタスクフォースであれば許容できる程度のものであるが、通常編成の官僚機構で起きたことは、官僚上層部に「岸田総理は官僚の判断を承認、若しくは否定しない」との認識があるのではないだろうか。官僚上層部が、国務大臣時代に示した判断などから、政治(岸田総理)軽視の風潮を持っているのではと危惧している。
今になれば愚策と評価されている「アベノマスク」政策であるが、当時の狂乱世相を思い起こせば「何か有効な手段は?」という模索の結果から政治指導でなされたもので、結果論としては否定されても無作為の愚には優るように思う。
「政治家は後世の被告席に立つ覚悟」が信条の中曽根氏の言を俟つまでもなく、岸田総理には、異見に耳を傾ける以上に、拙速であっても「スピードを」、「官僚へのコントロール強化」を求めるものである。
独りごと《高市総理であれば3日で決断したろう。》
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