中国で人民陪審員法が成立して、裁判に陪審員制度が導入されることが報じられた。
中国は公民(?)が裁判に参加することにより、司法の民主化と信頼を高めるとしており、陪審員の選定条件として「18歳以上、高卒以上、公正でまじめ」な人物であることが必要ともされている。陪審員裁判の詳細は不明であるが、中国の裁判と言えば、文化大革命時の人民裁判で犯罪の事実と犯意すら不確かな人間を総括と称して吊し上げ、自己批判を迫って有罪・処断する光景が思い出される。現在にあっても、理由すら明らかにされないままに拘束され安否すら不明な複数の反体制活動家の存在が伝えられている。このことと陪審員の資格条件を合わせて考えるならば、共産党員や共産党予備軍による人民裁判を制度化しようとする意図は明白である。なぜならば、中国の法律と恣意的な解釈によっても立証困難な反体制活動に対して、微小な罪科で起訴さえすれば民意という名のもとに有罪とできるからであり、今まで以上に司法を共産党指揮下に取り込む試みと思わざるを得ない。また、少数民族の統治・抑圧にも、陪審員裁判は有効に利用できると思われる。少数民族居留地からの移動制限、土地の不法収用、漢民族経営者の起こした環境破壊等がニュースで取り上げられるが、訴訟に至っても裁判官の多くはおそらく漢民族であろうし、漢民族裁判官の下した判決は少数民族の感情とは乖離しており不満の温床になっていることと思われる。その場合にあっても漢民族に同化した「漢民族にとって公正な」少数民族陪審員の下した判断とすることで、少数民族の慰撫が期待できるとの思惑があるものと思う。
一党独裁下の社会にあっては三権分立の概念、特に司法の独立は夢物語であり、独裁存続のためにのみ司法は存在している。人民裁判の復活によって習近平独裁体制は益々強固になることだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます