もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

独りよがりの裁判官

2015年04月14日 | 社会・政治問題

 「TVタックル」で裁判員制度批判の元裁判官の意見を聞いた。

 論旨は、裁判員裁判での量刑を最高裁が減刑したことから、裁判員制度は不要との発言であった。量刑に国民感情を反映させることに加え「世間知らずの裁判官の排除、国民感情から乖離した司法改革」のために採用された制度を否定する発言で、裁判官の権威と既得権確保と懐古の情からの発言でしかないと思われるものであった。3審制度下において下級審の量刑を上級審が変更することは、1審が全て裁判官裁判であった時代も数多くあり、審理不十分や事実誤認を理由に差し戻されたことすら茶飯事であったことを思えば、最高裁の減刑をもって裁判員制度不要との論旨は成立しないと思う。さらに裁判員制度を続けて欲しいのは、裁判員裁判が犯罪の内容と量刑に対する国民感情をストレートに伝えられる方法であるからである。裁判員制度が無い時代に司法との乖離を解決するためには、複数回の国政選挙を通じてようやく立法措置が行われるという迂遠な方法しかなかったし、ようやくなった立法措置も既に時代遅れの感があるという鼬ごっこであったからである。

 裁判員に指定された市民の負担は多いと思うが、司法を国民の物とするために頑張って欲しいし、裁判員制度を続けて欲しいものと考える。


キューバについて

2015年04月13日 | 社会・政治問題

 米国とキューバの関係修復が秒読みの段階にある。

 世界的な社会主義の凋落によってキューバが西欧経済圏に屈した感が強く、カストロとゲバラのカリスマ性に支えられたキューバ共産革命も、時代の波に飲み込まれてしまった感がある。ソ連の崩壊、反(嫌)アメリカで結束していた中南米諸国の足並みの乱れ、チャベス大統領の強権で続けられていたベネズエラからの支援途絶、等の相次ぐ親星・衛星諸国の喪失によっていまや最貧国に成り果てたキューバにとっては当然の帰結かもしれない。米国との関係修復はアジア情勢にも影響することは必至で、北朝鮮は武器の迂回入手先の一つを失い、中国は西欧圏の経済制裁の結果を目の当たりにしたからである。欧米の経済制裁によって停滞しているロシアの現状を併せて考えれば、中国がアジアインフラ整備銀行の設立に固執するのは、衛星国として南北朝鮮しか持たない現状では欧米の経済制裁に抗しえないと考え、その保険として自由主義国の経済政策の一端に食い込もうとする行動であるかもしれない。

 米国とキューバの関係修復は、社会主義体制一国の終焉にとどまらず、新たな冷戦到来の兆しかもしれないと考える。


任那日本府

2015年04月12日 | 社会・政治問題

 義務教育の歴史教科書が、我々世代とは様変わりしている。

 「変」と「乱」の用法が微妙に変化し、安藤広重が歌川広重に変わり、大化の改新は蘇我氏滅亡後の天皇親政を示す事となり馬子暗殺は乙巳の変と呼称されている。近隣諸国への配慮だろうか自分がかって見た教科書には、任那日本府と広開土王の碑文、白村江の戦いについては記述されていなかった。一昨日韓国の首相が『任那日本府の存在を教科書に載せるのはけしからん』と発言したことで、近頃の教科書は徐々に改善されていたのかと安堵した次第である。ところで、韓国には歴史学者や歴史を学ぶ学生は存在しないのだろうか。それとも古代史は資料を研究するものでなく、現在の感情や思惑に従属するものであろうか。あまりに資料を偏重する日本史学会についても問題があるが、飼料を全く無視する韓国の古代史研究については疑問を感じるものである。朝鮮にはフビライの日本侵攻の先兵となった史実や、清朝から属国扱いされた不名誉な史実もありるとともに、朝鮮が曲がりなりにも存立し得たのは「朝鮮は列強にとって領有する魅力がない国であった」というのは定説となっているのに。

 正しい歴史認識を求めている韓国が、史実に基づかない歴史を標榜する愚を嗤うのみである。


フェルメールが、コローが

2015年04月10日 | 社会・政治問題

 国立新美術館で開催中の「ルーヴル展」を見た。

 今回の目玉であるフェルメールの「天文学者」と、長年見たかったコローの「身づくろいをする若い女」を鑑賞できて、感動もひとしおであった。また、同館で開催中の「創元展」も併せて鑑賞したが、毎度のことながら自分の未熟さと才能のなさを再認識させられる1日であった。美術館を訪れて不思議に思うのは、企画展示室と所蔵品展示室が暗いことと展示品撮影の禁止である。欧米の美術館に比べて展示室が暗いのは展示物の保護と聞いたことがあるが、スポットライトによる局所照明が使用されていることを考えれば、あまり説得力がない。絵画が制作された時代の雰囲気を出しているのかとも思うのだが、中世の人はおそらく現代に数倍する視力を持っていたと思うので鑑賞条件を再現することなど無理ではないだろうか。写真撮影については、欧米の美術館は許可しているところが多い。著作権が存在する現代美術についてはうなづけるが、100年以上経った名画にはどうだろうか。また、日本の美術館のHPでは、所蔵品の写真はサムネイルが一般的であるが、海外の美術館では相当に鮮明な画像で紹介している。オリンピックの東京開催を機に積極的に日本文化を紹介・発信しようとする今、公立施設の所蔵品目録の紹介写真は、是非改善して欲しいと思うものである。

 写真を見て実物を見たいという欲求はなお高まるし、明るい証明の下で画家の筆致を鮮明に見たいと思うのだが。


陛下のパラオ御訪問

2015年04月09日 | 社会・政治問題

 天皇陛下が、パラオ共和国を御訪問中である。

 パラオと聞いてまず思い浮かぶのが、ペリリュウ島の戦闘である。『1日遅くとも3日で攻略』と豪語する米軍上陸部隊に対し、海空の支援が得られない帝国陸海軍守備隊が2か月間に亘って激烈な戦闘を展開した先頭である。日本軍守備隊は中川州男陸軍大佐が指揮する陸海軍併せて約1万名、一方米軍は、圧倒的な物量と海空の支援に支えられた約5万人の兵力であった。それ以前の日本軍の島嶼防衛戦は、火砲等によって敵の上陸を阻止することとされていたが、中川大佐はグァム・サイパン戦において当該方法が無力であることを知り徹底的な水際防御による打撃と縦深陣地による長期的なゲリラ戦で敵兵力を漸減させる策を採った。この作戦は、後の硫黄島、沖縄戦に引き継がれるとともに、ベトナム戦争の地下トンネルにも影響している。中川大佐やその後の島嶼防衛指揮官は、局地戦で米軍に勝利することは不可能で、米軍の進攻を遅らせて本土防衛と和平に要する時間を稼ごうとしたものと考えられている。しかしながら、日本軍は玉砕(帰還者約250名)、米軍は2個師団が壊滅、戦死傷者は約5万人を数える戦闘となった。しかしながら中川大佐に特筆すべきは、卓越した戦闘指揮以上に、島民を強制疎開させて民間人の被害を局限し得たことであり、硫黄島でも採用された教訓である。

 現地指揮官の英断によって親日感情が保たれた地に、陛下が訪問されていることを再認識しようではありませんか。