義務教育の歴史教科書が、我々世代とは様変わりしている。
「変」と「乱」の用法が微妙に変化し、安藤広重が歌川広重に変わり、大化の改新は蘇我氏滅亡後の天皇親政を示す事となり馬子暗殺は乙巳の変と呼称されている。近隣諸国への配慮だろうか自分がかって見た教科書には、任那日本府と広開土王の碑文、白村江の戦いについては記述されていなかった。一昨日韓国の首相が『任那日本府の存在を教科書に載せるのはけしからん』と発言したことで、近頃の教科書は徐々に改善されていたのかと安堵した次第である。ところで、韓国には歴史学者や歴史を学ぶ学生は存在しないのだろうか。それとも古代史は資料を研究するものでなく、現在の感情や思惑に従属するものであろうか。あまりに資料を偏重する日本史学会についても問題があるが、飼料を全く無視する韓国の古代史研究については疑問を感じるものである。朝鮮にはフビライの日本侵攻の先兵となった史実や、清朝から属国扱いされた不名誉な史実もありるとともに、朝鮮が曲がりなりにも存立し得たのは「朝鮮は列強にとって領有する魅力がない国であった」というのは定説となっているのに。
正しい歴史認識を求めている韓国が、史実に基づかない歴史を標榜する愚を嗤うのみである。