もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

船村徹氏・男の友情

2022年01月26日 | 芸能

 船村演歌の信奉者として、氏の略歴・エピソードを眺めてみた。

 栃木県生まれの船村徹氏(1932年(昭和7)年-2017年(平成29)年)は、日本歌謡(演歌)界の巨星で、5000曲以上を作曲、作曲家協会会長、音楽著作権会長等を歴任し、2016(平成28)年には歌謡曲作曲家として初めて(作曲家としては山田耕筰氏に次いで2人目)文化勲章を受章されている。
 船村氏は、東洋音楽学校(現:東京音楽大学)在学中から2歳年上で作詞家の高野公男氏と組んで音楽活動を始めたが、船村氏が「流し」等で糊口を凌ぐ日々であったものの、高野氏が「お前は栃木弁で曲を作れ、俺は茨木弁で詩を書く」とお互いに意気軒昂であったとされる。
 1955(昭和30)年12月、春日八郎に売り込んだ「別れの一本杉」が大ヒットして春日八郎をスターに押し上げるとともに、船村・高野は一躍ゴールデンコンビとなり、矢継ぎ早に「あの娘が泣いてる波止場(三橋美智也)」「三味線マドロス(美空ひばり)」「早く帰ってコ(青木光一)」とヒットを飛ばしたが、高野公男が肺結核に罹って茨木で療養することを余儀なくされ、別れの一本杉ヒットの翌年(昭和31年)には高野が26歳の若さで亡くなってしまう。自身の闘病の無念さと船村との紐帯を詩にした高野の「男の友情(曲:船村徹)」は後日発売され、多くの歌手に歌われるることになる。
 船村にとっても高野公男との邂逅・別離は特別であったようで、テレビでも高野公男の話題になるとカメラの前でも涙することが度々であった。
 自分が「男の友情」を知ったのは、1973(昭和48)年に小笠原の父島勤務時に、現地採用の20代技官の持つ北島三郎のカセットテープであった。当時、小笠原の平均的な20代といえば、日本語の合間に英語が混じる「父島語」を話し、極めてアメリカナイズされていたが、日本演歌の神髄ともいえる「男の友情」はアメリカンの彼にとっても心に響くものであったのだろう。

 船村氏にとっての歌手は、美空ひばり、北島三郎、ちあきなおみであったらしく、元々「ちあきなおみ」に提供した「矢切の渡し」が競作となって、結果的には細川たかしの歌ったものが大ヒットしたものの、「美声ではあるが細川君の歌い方は一本調子な感じで、ちあき君は観賞用で細部まできっちりと聴かせる。正直に言うと細川盤は、楽曲の難しい部分を省略しているので『何だ、これならオレにも歌える』と世間に思わせる歌」と分析・評価している。
 また、歌謡界から完全引退した「ちあきなおみ」に対して、復帰をラブコールする傍ら、何時ちあきが復帰してもいいように楽曲を準備されていたとされている。


ウクライナでも傍観か

2022年01月24日 | アメリカ

 バイデン政権が、在ウクライナ大使館員家族の帰国を命じ、民間人に対しても自主的に民間機で出国するようう勧告した。

 ウクライナ大統領は過剰反応と反発しているが、バイデン大統領としてはアフガン撤退の不手際の再来を避けたい思惑によってであろうと推測している。
 伝えられるアメリカメディアの論調は、先日のカザフスタン騒擾を傍観して、トランプ政権が戦略的パートナーとした資源大国でロシアの裏庭と云う地勢的要衝であるカザフスタンをロシアに押しやったことに加えて、ウクライナ支援にも及び腰(2億ドルの軍需品支援のみ)であることから、バイデン氏の教条的・原理的価値観外交の限界という厳しいものであるらしい。
 価値観外交とは「普遍的価値(自由、民主主義、基本的人権、法治、市場原理)を共有する国家との関係強化を目指す外交」とされ、バイデン氏のみならず、日本を含めて多くの国で採用されているが、バイデン氏以外は価値観外交を、単に防御的に使用せずに攻撃的にも使用しており、中国の孔子学院や一帯一路構想も、中国的価値観の輸出・伝播を狙った価値観外交と呼んでも差し支えないものと思う。
 価値観外交はもともとはアメリカで新保守主義の立場から提唱されたものであるが、バイデン氏のような弱い指導者が退嬰的に採用すれば、単なる傍観・抗議(口議?)の言い訳にしか機能しない。ミャンマーに始まり、アフガン・カザフ・ウクライナ・北朝鮮と傍観・遺憾表明が続く現状を見ると、バイデン氏の傍観は明日の台湾・尖閣にも及ぶ危険性が十分である。
 また、バイデン氏には、「危機の弧(又は不安定の弧)」と称され、アメリカ自身が「米軍基地や中継施設の密度が他の地域と比べて低い」と認識しているバルカン半島~中東~東南アジア~朝鮮半島に至る帯状の紛争多発地域の防衛に対する認識が低いように思える。いや、それ以上に、不安定の弧での紛争はアメリカの国益に大きく影響しないので関心がないのではないだろうか。

 現在のバイデン外交を見る限り、ニューディール政策に因って世界大戦を招いたころのアメリカに酷似している。
 バイデン氏が、「自分の限られた視界内が世界」で「伝えられる情報は異次元の出来事」とする老人特有の視野狭窄に陥っていないことを切に望むところである。


高市早苗氏と吉野友子氏

2022年01月23日 | 与党

 高市・吉野氏の正論が受け入れられない世情を憂慮している。

 自民党の高市政調会長は、今国会での採択が確実視されている「中国による人権抑圧非難決議」が明確に中国を名指し非難するよう求めたが、自民党(政府)と立民の合意案では、中国を名指しすることを避け、一般論としての人権擁護決議となる模様と報じられている。「ではの守」を承知であるが、既に西側の多くの国で中国非難決議が行われ、直近でも20日にはフランス下院が「中国が新疆ウイグル自治区でジェノサイドを犯していることを政府が公式に認定・非難するよう求めた決議案」を採択している。直接選挙で元首を選ぶ国の国会と議員内閣制の国会では当然政府に対する態度は異なるが、西側主要国の全ての議会で「中国を明確に名指し非難決議」する一方で、政府がジェノサイドにまでは踏み込まないと云う聊かの政治的忖度を以って北京五輪の外交的ボイコットを表明している現状を考えれば、日本でも、国会では明確に中国を名指し非難する決議を採択すべきで、決議を受けた官房長官が「ある程度、非難を塩梅した声明」を出すのが、国際的に見て妥当であろうと思う。
 議会と政府が一体となって中国擁護に回れば、「百日の説法屁一つ」よろしく、これまで営々として築いてきた西側諸国の一員としての地歩を一挙に失いかねない。
 高市政調会長にあっては、議会(立法府)と行政府の権能区分が建確であるために、政調会長では「中国の人権弾圧を敵視・糾弾」するものの、もし総理であっても「経済を加味した頃合いの避難」外交をする判断力・政治力をお持ちであろうと推測する。

 連合の吉野友子会長は、「共産党との共闘は、共産主義社会実現のための(共産党の)手段」との認識に立って、来る参院選では「共産党と共闘する候補者は支援しない」と明言した。共産党や独裁者が勢力拡大のために既成勢力を宿主として寄生・増殖して、宿主を食い尽くして目的を達成することは歴史が証明している。中国共産党の国共合作・ヒットラーのナチ党入党、ホメイニ師のイラン反国王デモ利用など、大方の国民の希望とは懸け離れた結末を迎えた例は枚挙に事欠かない。それ以上に、吉野氏にあっては、立憲君主制と共和制、護憲と憲法全面改正、・・・等々、目的において「水と油」の関係にある両党が手を組むことの不条理は、民主主義の根幹を揺るがすとの危機感からであろうと推測する。

 岸田総理、河野太郎氏、枝野幸男氏、福山哲郎氏、馬淵澄夫氏・・・。
 男尊女卑論者の自分であるが、国家観も怪しげな男性政治家が破綻した論理を弄ぶ現在、彼等には、政治思想は異なるものの正論を述べ、健確な品性を示す高市・吉野両氏の爪の垢を煎じて飲ませたいと感じている。


ジャムを作る

2022年01月22日 | 社会・政治問題

 リタイヤして数日後、朝食が突然パン食に変わった。

 パン嫌いの身であるが、「妻の定年退職」「働かざる者・・・」と潔く順応することとした。
 以来、妻の塗ってくれたバター・マーガリンのみのトーストを食べていた。妻は、いろいろと付け足しをしているが、味覚音痴・腹が膨れれば十分の自分としては、素トーストで十分の思いであったが、いかなる風の吹き回しであったか思い出せないが、フト「オリジナルジャム」を作ろうと思い立った。クックパッドで調べると、大した手間と技は要らないようであった。
 以下、手順は省略するが、オリジナル?と思う作業を抜き出し。
・剥いたリンゴの皮と取り除いた芯を煮て、煮汁に利用
・レシピにはリンゴは5㎜角の賽の目切りで後でつぶすと書いてあるので、最初から「リンゴ下し」で時短
・クックパッド御推薦の「レモン汁」が無かったので、すし酢とオレンジで代用
・レシピに無い「シナモンパウダ」と「赤ワイン」を投入
 完成品は、よく目にする「リンゴジャム」とは聊か趣が違うものの、☆1つは確実に貰えそうな味であった。
 試食した妻の評価は、「ジャムでは無いジャム風リンゴペースト」であったが、これぞオリジナルの所以であり、真骨頂と自賛している。
 妻曰く「今度イチゴを買ってあげるからレシピ通りに作ったら」。しかしながら、イチゴに申し訳ないので丁重にお断りした。

 パン食に変わって1か月ほどのこと。外出の帰りにスーパーで食パンを買ってくるよう命じられた。食卓で見慣れた包装のパンを買って意気揚々と帰宅したら、「何ョ、8枚切りなんか買って。何時も食べてるのに」と叱られた。後日スーパーの売り場で確認すると、4・6・8枚切りとあり「ヘェ~!」
 昨日の艦内集団給食の後日談とも云えるお粗末で終演。


自衛艦の食生活

2022年01月21日 | 自衛隊

 18歳から55歳までの多くを集団給食で過ごしたためか、食事に対して好き嫌いもない代わりに関心も薄い。

 「艦内生活の楽しみの一つが食事である」とはよく聞くが、乗員はさほど食事に関心を持っていない。
 現在では大きく改善されたが、それでも食堂は狭く・椅子も少ないために、1時間強の間に200人近い乗員の食器を準備し、食事し、後片付けを済ますためには、一人に許容される喫食時間は10分程度であり、さらには立直者との食事交代などの理由から数分間で食事しなければならない場合もあって、とても食事を楽しめる雰囲気ではない。そのため、海軍以来の伝統「早飯・早○○ 芸のうち」は今も受け継がれているように思う。
 そんな慌しい食事であるが、集団調理・集団喫食には「好き嫌いを治す」という素晴らしい一面がある。陸上部隊の食事では嫌いなメニューには売店や営舎外居住者用の有料食堂で腹を満たすことが可能であるが、艦船には代替の食事を得る方法がない。かって、カレーと鶏肉が食べられない同僚がいた。陸上部隊での新隊員教育では売店等の活用で凌いでいたが、艦船ではそんな手段もなく、不満を訴えても別メニューを与えてくれる「優しいお母さん」はおらず、周囲からも「アッ!そう」の冷ややかな反応が返ってくるだけである。やむなく本人は「おかずなしの白飯」で我慢していたが、2・3か月後には嫌いであった物の全てが食べられるようになった。
 思うに、好き嫌いは「習慣病」「贅沢病」に近いもので、選択が許される環境でのみ存在し得るものであるように思える。好き嫌いではなくアレルギーが原因で「食べたいけれども食べられない」というケースもあるが、自分の経験では「鯖」を我慢していた隊員を2名知っていただけで、その2名に対しては優しいお母さんに代わる調理員から「鯵の干物」や「卵焼き」の特別メニューが支給されていた。

 現在は、生鮮食品の調達を容易にするとともに緊急補給にも便なるように各定係港ごとに標準献立が決められており、在泊艦艇は「ほぼ同じメニュー」の食事を摂っているが、かっては献立も艦が独自に作成して食材を請求していたために、決められた経費の枠内であっても「艦ごとの食事の良し悪し」が顕著であった。昔ほどではないが標準献立の現在でも、食材を遣り繰りして1品加えたり、調理法に1工夫したりと調理員の努力に応じて各艦の評価が取り沙汰され、特に海軍カレーではルーの仕込みや隠し味に艦(調理員)の特色があり、調理員の転勤によってはA艦の味がB艦の味になることも多い。
 ともあれ、自分が現在でも生き永らえているのは集団給食による栄養管理の恩恵でもあるのかもしれないと感謝しているが、切羽詰まった動機からであっても、好き嫌いや偏食の悪弊を正して貰えたOBも多いのではないだろうか。