改憲に対する立民の見解が報じられた。
泉健太代表は、昨日のNHKの番組で「今の憲法の決定的な問題点は何か。今の憲法を変えなければ国民生活に支障のあるものは何かと逆に問いたい」と述べ、憲法論議を拒否する姿勢を見せたが、政治家としてはいかがなものであろうか。
自分が考える国政・政治家とは、国家の現状を安寧に保つこと以上に、近い将来に起こり得る事態に備えるとともに次世代に複数選択可能なシステムを渡す責務を負っていると思っている。
憲法改正といえば、第9条の改正と短絡的に結び付けられるが、現状においては9条以外にも憲法条文を恣意的に読み替え・拡大解釈して法制化する「憲法無視」が随所にみられる。
「高校教育の無償化」や「私学助成」については、義務教育の定義と教育への国家関与についての憲法規定を見直す必要があり、国家として保証する人権の定義・区分が不明確であるために、武蔵野市長のように「国民」を「短期滞在の住民」にまで拡大することが正義という混乱が起きている。さらに社会問題化している「同性婚」「LGBT保護」「家族別姓」については民法以前の「性」と「姓」の概念を明確にすることも求められている。コロナ禍では「緊急時における国会議員の任期」や「緊急事態の政府権限の脆弱性」についても問題が提起された。
政治に素人の自分でも、現行憲法の問題点が時代にそぐわなくなっていることを知っているが、国会における一方の旗頭である泉健太代表が「逆に問いたい」とは情けない。
百歩譲って、泉代表が「現憲法は完全無欠・一点の瑕疵もない」と考えているとしても、国民の過半数が「何らかの改正」を望み、「国会(憲法審査会)での議論」を望んでいることを知っているならば、公党代表として少なくとも改正意見に耳を傾け、国会論議には応じる責任があると思う。
泉代表は就任にあたって提案型政党への脱皮を力強く宣言したが、国会質疑では西村幹事長や小川政調会長の「反対・糾弾」が突出し、文通費提案では国民・維新の後塵を拝している。さらに今回の憲法認識の体たらくを見ると、「枝野院政」は健在で立憲民主党は「枝野私党」の域を脱していないように思える。