glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

教育とは・・・失敗の恐さを教えること?

2007-03-09 13:25:16 | 家族・友人・私
 先日バザーの事を書きましたが、その時の友人との会話です。

 あなた勇気あるわね。自分で織った物を縫って着てくるなんて。私は鋏を入れる勇気が無いわ!

 私は貫頭衣風のベストを着ていました。筒状のベストに小さな袖をフレチ袖風に付けたものです。

 彼女は洋裁はプロ級の達人です。体の大きい方ですが、コートも手作り、いつもしゃきっとした着こなしをしています。布団屋さんと知り合いとかで、寝具の端布を貰い、ファースナー付きのポーチなどを作り、バザーに提供しています。

 こんなの簡単じゃない。織った生地を無駄にしない形はこれしかないもの。と私。

 私は洋裁好きだけれど、布を切る時はいつも緊張するのよ! はじめに入った学校では、型紙を取る時1ミリの狂いも許されなかった。はじめに教わったのは物を作る楽しみではなくて恐さだった。あなたは最初に作る楽しみを覚えたから、きっと大胆にやってのけるのね。と彼女。

 私に最初に着るものを縫わせたのは父でした。中学1年の夏休み、父は1枚の布を渡し、着れるようにしろと言ったのです。姉の本を見ながら何とか夏のブラウスを作ったのです。考えあぐねると父がここをこうすれば良いのではと助言してくれました。

 同じく冬には母に引導を渡されてセーターを編みました。子どもにとって上手下手が問題ではなく作り上げた達成感が大事なのだと思っていましたが、最初に作る恐さを知ったという彼女の言葉に愕然としました。

 失敗しながらでも目指す事を成し遂げさせると言うことが人を育てる教育であると思うのですが。

 エスペラントも然りですが、語学もちょっと文法的に違うと指摘される。学校では物笑いの種になるかも知れません。

 最初は誰でもが初心者。間違いや失敗は当然のこと。そういうおおらかさで初心者に接しないとが新しい事に挑戦する以前に怖気づく人も多いかも知れません。
コメント (6)
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