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生きること:過去と未来とエスペラントと

編み物の話

2024-11-07 12:44:10 | rememoro: 思い出
 前回のブログにお天気ママさんから、3足目❣、手仕事がはやい\(^o^)/というコメントを頂いたので編み物についての私の歴史を書こうと思います。
 多くの方はご存じと思いますが、棒針には二つの方法があります。フランス式とアメリカ式です。
 フランス式は右利きの場合ですが、右手にはこれから編んで行く棒を持ちます。左手には編まれる方です。編み糸は小指で固定し、人差し指に掛けます。すると、糸をこれから編む編み目の近くに置くことができます。右手の棒を編み目に入れてそのまま棒に糸をかけて引き抜き、編み進みます。
  アメリカ式は左手にはこれから編まれる編み目のかかった編み棒だけを持ちます。そして、右手の棒の次の編み目の目の中に入れたら、また右手を使って、その棒に糸をかけて引き抜きます。アメリカ式は初心者もすぐにできる編み方ですが、フランス式より一目編むのに作業が多いのでスピードが落ちます。私が母に仕込まれたのはフランス式なのでアメリカ式の人より少し早く編むことができます。
 ネットで探したら、両方式とも説明がありましたので、編み物はしないけれど興味があると言いう方はご覧ください。

 私が編み棒を持たされたのは1941年戦争が終わった翌年、小学1年生の時でした。姉二人はとても器用ですが私は不器用で、注意力散漫、教えるのに苦労したようです。

 初めに編んだのはガーター編みでした。10数センチの幅で長さが50~60センチでした。糸がすくえなくて苦労し、何度も目を外し、その度に母がほどき、私に編み直しさせました。その作品を母は着物襟に縫い付けて、私の編んだ襟カバーは暖かいと私に言い聞かせました。小学生の頃は作品を仕上げることはありませんでした。例えば、手袋の手首の部分だけ編むなどなど。

 かぎ針編みもさせれたのは同じ年です。当時の履物の主流は下駄で、足には靴下ではなく足袋を履いていました。足袋は親指とその他4本指が入るようにつま先は二つに分かれています。私が編むのはいつも親指部分でした。10人家族でしたので足袋カバーを一人1足づつ編むとしても親指だけで20個必要ですから、同じことを繰り返し、させられました。外は雪。ストーブの前に座ってぎこちなく編んでいたと思います。

 戦後は毛糸などなく、戦前に家族が来ていたセーターなどをほどき、再生し、最終処分となるべき糸で足袋カバーを編んでいました。弱くなった糸は木綿糸と一緒に編みました。
 
 下手の横好きと言う言葉がありますが、下手の横好きで良いと思うのです。特に子どもたちは!
 下手の横好きを繰り返しているうちに、’好きこそものの上手なれ!’に変わることだってあるのです。子ども達にはいろいろなことを経験させたいといつも考えていました。
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