glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

日本の伝統

2010-03-19 09:11:12 | 家族・友人・私
  久しぶりに友人たちと上京しました。日暮里で千葉からやってきた友人と合流し谷中墓地を抜けて『谷中木楽庵』で開催されている江戸指物展に行きました。

 品のある素晴らしい作品が並んでいました。どんなに素晴らしくても我が家には似合いませんし、値段が高くて手も届きません。
 友人の娘さんが指物師になり、彼女の作品も展示販売されているという事で、『枯れ木も花の賑わい』的発想で出かけたのです。
 それに谷中も懐かしかったのです。50余年前姉が谷中に住んでいました。姉と甥と一緒に谷中の墓地を散歩したり上野へ行ったりしました。あの頃はまだ五重の塔が健在で、塔を囲んで広場があったような気がしたのですが、5重の塔跡という標識を見つけましたが跡地そのものはわかりませんでした。立派な墓が乱立し、地区を示す標識が立っています。この標識が無ければ目指すお墓も見つからないかもしれません。昼食後、羽二重だんごの喫茶店に入りよもやま話、身の上話に花を咲かせました。

 たわいもない事をこんなにおしゃべりしたのは久しぶりの事でした。友人達と往復の車中も入れると8時間も一緒にいたのですが、良く話が尽きなかったものです。

 指物師になった娘さんの写真が、もうすぐ発売のNHKのテキストに載っていると彼女が受けとったテキストを見せてくれました。作品は買えませんがこのテキストは買う事にしましょう!

 写真は記念に頂いた手ぬぐいとパンフレットです。
 手ぬぐいも日本の伝統です。いつかテレビで手ぬぐい職人が言っていました。手ぬぐいも10年20年と使うと水を良く吸うようになり快適になるのだと。色も変化し、落ち着いた味わいになると。

 使う人が大切に使ってくれることを信じ丁寧に手をかけて作品を作るのが職人なのでしょう。

 消費することがが良いことという風潮がありますが、このような不況が続くと考え直す人もいるかもしれません。

 素晴らし品を大切に使い保存するというのは生活の土台を豊かにしてゆくことだという事はわかるのですが、良い物を子孫に残ほど生活に余裕が無いというのが実情です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする