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生きること:過去と未来とエスペラントと

訃報

2016-05-24 07:06:02 | 家族・友人・私
 もう2週間も前のことでしょうか。ある方の訃報を聞きました。親しく話したこともないし、ただ顔を知っていて、相手が何者か認識できるので、目があったら会釈するくらいの間柄です。ですが、同じ世代の属する方の訃報はやはり身にしみます。 
 いつも一緒に本を読んでいる友人の一人はひどく死を恐れていて、時々怖くないですかと聞いて来ます。「片付けて置かなくっちゃね!」といつも言いますが、片付けたと云う話はいまだに聞いたことがありません。こんなものが(食器とか、本となど)あるけれどどうしたらいいでしょうと聞いて来ます。私の答えはいつも「まとめたら、声をかけて!リサイクルショップに持って行ってみましょう!」。でもまとまったと云う連絡は入りません。

 私自身死ぬ覚悟をしているわけではないのですが、その時がきたら否が応でも受け入れることになると云う心積りはしています。自殺者以外は死を覚悟して死んでゆく方はいないのかもと思っています。

 旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる

 いまこの句が分かるような気がします。他の人から見ればもう最後ではと思われる時でも、本人はまだこの世でしたいことを夢見ているのではないかなどと・・・。人生は旅。人は旅人。たとえ家にいても私たちもまた、旅を続けている仲間なのです。

 同世代の方の訃報に接して感じたことを書きました。亡くなられてお気の毒という感じよりも、明日は我が身という気持ちが強いのです。
 『合掌』
コメント (1)
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