もし絵が描けたらエスペラント文で絵本を作りたいといのが若い頃からの私の願いでした。さて誰の作品を絵本にしましょうか。
30数年前エスぺランティストである秋田雨雀の童話を古本屋で購入しました。でも彼の作品は啓蒙的でした。弱者が差別されていた頃、その差別を人々に気付かせようという感じのものが多いのです。多くの人に受け入れられるのは人間が持つ根源的な感情、喜び・悲しみ、時には羨望から生まれる意地悪も含めた共感を呼ぶ心の動きを描いたものではないかと私は思っています。
最近、優しい絵を描く人と出会いました。もし彼女が協力してくれたら私の願いは実現するかもしれません。お金と云うものは努力次第でついてくるような気がするのです。
ブログ友達のみみなり通信のブログに行けなくなりました。かれは新見南吉の作品が好きだと幾度も書いています。私の手元にも南吉の作品‘ごんぎつね'があります。‘てぶくろをかいに’も好きでしたがどちらかと云えば挿絵に魅せられていました。みみなりさんが引きつけられる作者の作品にどんなものがあるのか調べようとしたら、新見南吉の作品は著作権が切れていて、青空文庫にかなり収録されています。その中で驚いたのは‘赤いろうそく'が彼の作品だったことです。中学生の頃読んだのですが、アンデルセンの人魚姫を読んだ時と同じ感情が湧いた作品なのです。
時間が持てるようになったら、少し読みこんでみたいなと思っています。
30数年前エスぺランティストである秋田雨雀の童話を古本屋で購入しました。でも彼の作品は啓蒙的でした。弱者が差別されていた頃、その差別を人々に気付かせようという感じのものが多いのです。多くの人に受け入れられるのは人間が持つ根源的な感情、喜び・悲しみ、時には羨望から生まれる意地悪も含めた共感を呼ぶ心の動きを描いたものではないかと私は思っています。
最近、優しい絵を描く人と出会いました。もし彼女が協力してくれたら私の願いは実現するかもしれません。お金と云うものは努力次第でついてくるような気がするのです。
ブログ友達のみみなり通信のブログに行けなくなりました。かれは新見南吉の作品が好きだと幾度も書いています。私の手元にも南吉の作品‘ごんぎつね'があります。‘てぶくろをかいに’も好きでしたがどちらかと云えば挿絵に魅せられていました。みみなりさんが引きつけられる作者の作品にどんなものがあるのか調べようとしたら、新見南吉の作品は著作権が切れていて、青空文庫にかなり収録されています。その中で驚いたのは‘赤いろうそく'が彼の作品だったことです。中学生の頃読んだのですが、アンデルセンの人魚姫を読んだ時と同じ感情が湧いた作品なのです。
時間が持てるようになったら、少し読みこんでみたいなと思っています。
「赤とんぼ」は訳しました。日本語の表現をエス訳するのは結構神経がすり減ります。
例えば「行水」同じ様な行為でも、こちらでは「バス(入浴)」です。ベルギーでは浴室が無く台所に飼い葉桶の様な金属製の桶をおいて入浴するのでしたが、日本なら絶対「行水」と言うと思うのです。
話は違いますが、ウワミズザクラの蜂蜜と言うものがあるそうです。香りが良いと松田さんが瓶の写真も見せてくれました。フェースブックへ言ってみて下さい。
娘の一人が絵をかいてお話を作るのが大好きで、自分でコピーして冊子にしてクラスの仲間に配布していました。
それが高じて、1000部くらいは売れるようになって結構ファンもできたみたい。もう20年近く前の話です。
まとまった部数を印刷しないとコスト割れになるから、出版は大変です。
>お金と云うものは努力次第でついてくるような気がするのです。<
適切な形の努力でないと、人はお金を支払ってくれません。ボランティアと違い、そんな甘くはない、というのが実感です。
子どもの頃からどれだけ沢山の翻訳された児童文学を読んだでしょうか。日本語の創作作品でも良い本は沢山あるのに、日本の古典を別にすれば海外に紹介された話はあまり聞きません。以前ロシアの青年が日本語を学ぶ教材として昔物語を読んでいました。確かに現在コミックを通して日本に興味を持つ若者もいるようですが童話には、日本文化の原点があるように感じるのです。海外にとくにエスペラントを話す人たちに紹介したいと夢見るのが悪いこととは私は思わないのです。
お金に関して「金は天下の廻りもの」について「本当よ、使えば入って来るの」と言った人が居ました。誰にも同じ様に行くとは思えないけれど、この人には確かにそのように事は動いていた様でした。
次の夢を見ても良いかなと思っています。後何年生きられるか先は見えませんが・・・。 公言しておくとその夢を次に他の人が担ってくれることもあると思っています。
息子たちは送料無料で私の手元に送らせ私が送っているくらいです。
エスペラントの本だから、何も日本で売らなくても、、ですが。