◇障害者が安心して生活、自立できることが大切--下村勲さん(51)=守山市
守山市の障害児の親たちが既存の通所作業所が定員で入れなかったため、01年に作業所「ワークショップぷくぷく」(同市立田町)を設立し、資金不足で試行錯誤しながら運営して約7年。初代理事長で、現施設長の下村勲さん(51)は、知的障害がある娘(23)の育児体験を基に、昨年度から障害児を日中に一時預かりする事業を始めるなど、「弱い立場の人が安心して暮らせる社会」を目指す。これまでの取り組みと抱負などを聞いた。
--障害のある子どもをお持ちですが?
知的に障害があると分かったとき、衝撃と絶望感を感じました。私を含め親は子どもをふびんに思ったり、隠してしまう。これは障害がある事が悪いという思いがあること。親は夜眠れず、介助に追われる非日常的な生活をしています。大切なのは家族だけで悩まず、身近な人とつながることです。
私は小学校の教員でしたが、娘を持ち、教育観が変わりました。弱い立場の人が安心して生きることができない社会は、障害のない人にとっても生きにくい。そんな社会が間違っていると思えるようになったのは娘がいたから。我が子に障害が無ければ福祉や政治の分野に就いていないし、こんな充実した人生はありませんでした。
--設立経緯は?
知的障害のある子の13家族と支援者が15年ほど前、「子どもが大きくなったら行き場がなくなる」と、94年に「作業所をめざす会」を結成。リサイクルショップを開店し、バザーを開いて資金を集め、01年に民家を借りて「ワークショップぷくぷく」を開設し、通所者5人、職員1人で始めました。その後、各家庭が資金を出して03年に土地を購入し、自前の作業所を建設。私が理事長に推され、07年に27年間勤めた教員を辞めました。障害者自立支援法の成立で、無認可施設をなくし、事業拡大を求める動きを受け、昨年5月にNPO法人を取得。翌6月に国と県による福祉施設の補助制度に応募し、施設を拡充しました。現在、13人の通所者が木工製品作りや、箱詰め作業の下請けなどをしています。
--法の影響は?
サービスを自己選択できるようになったのは評価しますが、障害者も1割負担となる問題点も。障害の程度が高いほどサービスを必要としますが、そういう人ほど収入は無い。娘の場合、障害基礎年金の月額約8万円と作業所の収入が月額約9000円で、これでは生活できない。親がいればいいですが、いつかは1人になる。自立支援法は障害者の自立をうたっていますが、これでは自立は難しい。また、以前は通所者1人あたり幾らの制度でしたが、点数制になり、通所者が休むと、給付金が減り、運営が厳しくなりました。
--「ぷくぷく広場」とは?
障害のある子を養護学校や特別支援学級の放課後に、月-金曜の午後6時ごろまで預かります。私の妻も教員でしたが、娘が2歳のころ、辞めざるを得ませんでした。「子どもに障害があるなら、片方の親が付きっきりでなくては」という風潮がありましたが、今は仕事を続けたい女性もいる。また、精神的にもきついので、そういう親に余裕を持ってもらおうと始めました。
--目標は?
障害のある人と、そうでない人が共に生きていける地域社会の実現が目標です。将来、障害者が集団で住むグループホームの建設も考えています。親は確実に亡くなります。その時、障害のある人が自立できることが大切だと思っています。
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■提言
人は老いれば、誰でも何らかの障害を抱える可能性がある。機会があれば障害のある人たちに接してほしい。現時点でかかわると、自分が障害を負った時、かかわらない場合と比べ、ショックが大きくないと思う。
守山市の障害児の親たちが既存の通所作業所が定員で入れなかったため、01年に作業所「ワークショップぷくぷく」(同市立田町)を設立し、資金不足で試行錯誤しながら運営して約7年。初代理事長で、現施設長の下村勲さん(51)は、知的障害がある娘(23)の育児体験を基に、昨年度から障害児を日中に一時預かりする事業を始めるなど、「弱い立場の人が安心して暮らせる社会」を目指す。これまでの取り組みと抱負などを聞いた。
--障害のある子どもをお持ちですが?
知的に障害があると分かったとき、衝撃と絶望感を感じました。私を含め親は子どもをふびんに思ったり、隠してしまう。これは障害がある事が悪いという思いがあること。親は夜眠れず、介助に追われる非日常的な生活をしています。大切なのは家族だけで悩まず、身近な人とつながることです。
私は小学校の教員でしたが、娘を持ち、教育観が変わりました。弱い立場の人が安心して生きることができない社会は、障害のない人にとっても生きにくい。そんな社会が間違っていると思えるようになったのは娘がいたから。我が子に障害が無ければ福祉や政治の分野に就いていないし、こんな充実した人生はありませんでした。
--設立経緯は?
知的障害のある子の13家族と支援者が15年ほど前、「子どもが大きくなったら行き場がなくなる」と、94年に「作業所をめざす会」を結成。リサイクルショップを開店し、バザーを開いて資金を集め、01年に民家を借りて「ワークショップぷくぷく」を開設し、通所者5人、職員1人で始めました。その後、各家庭が資金を出して03年に土地を購入し、自前の作業所を建設。私が理事長に推され、07年に27年間勤めた教員を辞めました。障害者自立支援法の成立で、無認可施設をなくし、事業拡大を求める動きを受け、昨年5月にNPO法人を取得。翌6月に国と県による福祉施設の補助制度に応募し、施設を拡充しました。現在、13人の通所者が木工製品作りや、箱詰め作業の下請けなどをしています。
--法の影響は?
サービスを自己選択できるようになったのは評価しますが、障害者も1割負担となる問題点も。障害の程度が高いほどサービスを必要としますが、そういう人ほど収入は無い。娘の場合、障害基礎年金の月額約8万円と作業所の収入が月額約9000円で、これでは生活できない。親がいればいいですが、いつかは1人になる。自立支援法は障害者の自立をうたっていますが、これでは自立は難しい。また、以前は通所者1人あたり幾らの制度でしたが、点数制になり、通所者が休むと、給付金が減り、運営が厳しくなりました。
--「ぷくぷく広場」とは?
障害のある子を養護学校や特別支援学級の放課後に、月-金曜の午後6時ごろまで預かります。私の妻も教員でしたが、娘が2歳のころ、辞めざるを得ませんでした。「子どもに障害があるなら、片方の親が付きっきりでなくては」という風潮がありましたが、今は仕事を続けたい女性もいる。また、精神的にもきついので、そういう親に余裕を持ってもらおうと始めました。
--目標は?
障害のある人と、そうでない人が共に生きていける地域社会の実現が目標です。将来、障害者が集団で住むグループホームの建設も考えています。親は確実に亡くなります。その時、障害のある人が自立できることが大切だと思っています。
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■提言
人は老いれば、誰でも何らかの障害を抱える可能性がある。機会があれば障害のある人たちに接してほしい。現時点でかかわると、自分が障害を負った時、かかわらない場合と比べ、ショックが大きくないと思う。