ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

富士見 ふれあい喫茶10年

2010年06月05日 00時58分24秒 | 障害者の自立
障害者 働きながら交流

 富士見町のJR信濃境駅そばにある喫茶店「夢屋」は、2000年6月のオープン以来、「障害者と健常者が共に生きる社会」づくりを目指して、様々な障害を抱える人たちに働く場を提供してきた。放火に遭う試練も乗り越え、10周年。5日には、関係者を集めてささやかなパーティーを開く。

■作業所を併設

 夢屋は、同町に住む手話通訳士の中山靖子さん(68)がスーパーだった建物を借りて開店。喫茶だけでなく、障害者が作るクッキーやケーキを店頭で販売してきた。04年には店の近くに作業所を建てて、紙すきや機織り、ミシン縫いができるようにして、座布団やカバン、はがきなども売るようになった。

 作業所には、諏訪市や茅野市、富士見町に住む20~80歳代の障害者13人がそれぞれ週に3、4日通う。ミシン縫いを担当する聴覚障害者の青木靖子さん(67)(富士見町)は「作業だけでなく、みんなで花見をしたり、いろんな人と交流できて楽しい」と話す。

 中山さんは27歳の時、右ヒザ下に骨腫瘍を患った。4回の手術を経て、人工関節をつけることに成功。リハビリをして、つえなしで歩けるようになるまでに約10年かかった。入院中、片脚を切断する人など多くの障害者を見て、「それでも前向きな彼らから生きる励みをもらった」という。

 そんな経験もあって、手話を学びはじめ、1995年には、知的・聴覚障害者と健常者でつくるボランティアグループ「みんなの手」を設立。リースやピクルスなどを作って、バザーで販売した。「みんなの手」は発展的に解消し、今の店につながった。

■放火乗り越え

 開店以来、中山さんにとって最も悲しかったのは、06年5月、店に放火され、テーブルやイス、食器類まですべてを失ったこと。あまりのショックで放心状態になったが、駆けつけた知人から「またやるんだよね?」と声をかけられ、「はい」と返事をしていた。焼けた店にかけてあった保険金がおり、大家の協力もあって店は新築され、同年9月に再オープンした。

 「悲しいことが9割、喜びは1割だったけど、喜びの方が大きいわね」と、中山さんは10年を振り返る。そして「『共に生きる』とは、障害者を理解することでなく、あるがままを受け入れること。面倒を見てあげようというつもりはない。こういう店があちこちにできて、障害者が当たり前に健常者と生きていける社会になってほしい」と願っている。

(2010年6月4日 読売新聞)

富士見 ふれあい喫茶10年

2010年06月05日 00時56分00秒 | 障害者の自立
障害者 働きながら交流

 富士見町のJR信濃境駅そばにある喫茶店「夢屋」は、2000年6月のオープン以来、「障害者と健常者が共に生きる社会」づくりを目指して、様々な障害を抱える人たちに働く場を提供してきた。放火に遭う試練も乗り越え、10周年。5日には、関係者を集めてささやかなパーティーを開く。

■作業所を併設

 夢屋は、同町に住む手話通訳士の中山靖子さん(68)がスーパーだった建物を借りて開店。喫茶だけでなく、障害者が作るクッキーやケーキを店頭で販売してきた。04年には店の近くに作業所を建てて、紙すきや機織り、ミシン縫いができるようにして、座布団やカバン、はがきなども売るようになった。

 作業所には、諏訪市や茅野市、富士見町に住む20~80歳代の障害者13人がそれぞれ週に3、4日通う。ミシン縫いを担当する聴覚障害者の青木靖子さん(67)(富士見町)は「作業だけでなく、みんなで花見をしたり、いろんな人と交流できて楽しい」と話す。

 中山さんは27歳の時、右ヒザ下に骨腫瘍を患った。4回の手術を経て、人工関節をつけることに成功。リハビリをして、つえなしで歩けるようになるまでに約10年かかった。入院中、片脚を切断する人など多くの障害者を見て、「それでも前向きな彼らから生きる励みをもらった」という。

 そんな経験もあって、手話を学びはじめ、1995年には、知的・聴覚障害者と健常者でつくるボランティアグループ「みんなの手」を設立。リースやピクルスなどを作って、バザーで販売した。「みんなの手」は発展的に解消し、今の店につながった。

■放火乗り越え

 開店以来、中山さんにとって最も悲しかったのは、06年5月、店に放火され、テーブルやイス、食器類まですべてを失ったこと。あまりのショックで放心状態になったが、駆けつけた知人から「またやるんだよね?」と声をかけられ、「はい」と返事をしていた。焼けた店にかけてあった保険金がおり、大家の協力もあって店は新築され、同年9月に再オープンした。

 「悲しいことが9割、喜びは1割だったけど、喜びの方が大きいわね」と、中山さんは10年を振り返る。そして「『共に生きる』とは、障害者を理解することでなく、あるがままを受け入れること。面倒を見てあげようというつもりはない。こういう店があちこちにできて、障害者が当たり前に健常者と生きていける社会になってほしい」と願っている。

(2010年6月4日 読売新聞)

立体コピー 視覚障害者に好評 倉敷・観光ガイド連絡会作製

2010年06月05日 00時53分45秒 | 障害者の自立
 目の不自由な人に倉敷美観地区を分かりやすく―。倉敷地区ウエルカム観光ガイド連絡会(38人)の作った「立体コピー」が、「手触りで観光名所の姿がよく分かる」と視覚障害者らに好評だ。

 立体コピーは、写真を専用の機械で取り込み、輪郭を浮き上がらせて印刷した紙。美観地区主要部のマップ、代表的な町家建築の特徴である倉敷格子、虫籠窓(むしこまど)、大原美術館前に架かる今橋の龍の彫刻の4種類がある。

 同連絡会が昨年秋、視覚障害者グループから観光案内を頼まれた際、「より分かりやすく伝え、観光を楽しんでもらいたい」と作った。案内された倉敷市視覚障害者協会の片岡美佐子会長(57)=同市老松町=は「ガイドさんの声の案内に合わせて立体コピーを触ると、イメージが浮かび、楽しめた」と話す。

 同連絡会によると、障害者をガイドする機会は年々増えている。今後、美観地区の本瓦ぶき屋根に自生するツメレンゲなど、立体コピーの種類を増やしていく方針。

山陽新聞