障害者が求める自立生活
衆院選公示日前日。高山市内に住む20代後半の車椅子の青年に会った。原発の存続や消費税増税の是非など国の行く末を左右する大論議をよそに、彼のたっての望みは、「自分の行きたいところに行ける自由が欲しい」だった。彼は仕事に就き、自立生活を送りたいと考えている。
高山市は「福祉観光都市」を標榜(ひょうぼう)。中心部は歩道と車道に段差がなく、障害者20+ 件が使えるトイレもあちこちに置かれている。道路の傷みやカラー舗装のでこぼこはあるものの、普通の町に比べればバリアフリー度は高い。
車椅子のまま乗れるノンステップバスは定期運行していないが、予約すればその人のために車両を代えてくれる。福祉タクシーなどの割引制度もある。
車椅子でもときどき出向いて買い物をしたりするには至極便利な町なのだ。だが、毎日通勤するとなると厳しい。
公共交通の問題だけでなく、大都市と違って、同じような障害のある人たちや、ボランティアに加わり共生を志す若者や学生の絶対数が地方には少ないことも自立生活の「障害」だろう。単発ではなく継続を可能にする、町や人、モノなどの「地域の厚み」が必要だ。その厚みが足りなければ、当事者や地域が主体となった「運動」が必要となる。
バリアフリー法が整備され、公共施設にエレベーターが備えられるようになったのは平成12年以降。それほど古い話ではない。それも、障害者や支援者の粘り強い活動があってこそだ。障害者20+ 件が普通に生きる=ノーマライゼーションの実現は、豊かで成熟した社会の義務であるべきだが、残念ながらまだ当事者の努力によって何とか行使できる権利でしかない。
30年ほど前、岐阜や大垣で重度障害者20+ 件の公的介助を求める運動が始まった。その結果、自立生活を始めるその運動のメンバーが少しずつだが生まれている。
衆院選公示日前日。高山市内に住む20代後半の車椅子の青年に会った。原発の存続や消費税増税の是非など国の行く末を左右する大論議をよそに、彼のたっての望みは、「自分の行きたいところに行ける自由が欲しい」だった。彼は仕事に就き、自立生活を送りたいと考えている。
高山市は「福祉観光都市」を標榜(ひょうぼう)。中心部は歩道と車道に段差がなく、障害者20+ 件が使えるトイレもあちこちに置かれている。道路の傷みやカラー舗装のでこぼこはあるものの、普通の町に比べればバリアフリー度は高い。
車椅子のまま乗れるノンステップバスは定期運行していないが、予約すればその人のために車両を代えてくれる。福祉タクシーなどの割引制度もある。
車椅子でもときどき出向いて買い物をしたりするには至極便利な町なのだ。だが、毎日通勤するとなると厳しい。
公共交通の問題だけでなく、大都市と違って、同じような障害のある人たちや、ボランティアに加わり共生を志す若者や学生の絶対数が地方には少ないことも自立生活の「障害」だろう。単発ではなく継続を可能にする、町や人、モノなどの「地域の厚み」が必要だ。その厚みが足りなければ、当事者や地域が主体となった「運動」が必要となる。
バリアフリー法が整備され、公共施設にエレベーターが備えられるようになったのは平成12年以降。それほど古い話ではない。それも、障害者や支援者の粘り強い活動があってこそだ。障害者20+ 件が普通に生きる=ノーマライゼーションの実現は、豊かで成熟した社会の義務であるべきだが、残念ながらまだ当事者の努力によって何とか行使できる権利でしかない。
30年ほど前、岐阜や大垣で重度障害者20+ 件の公的介助を求める運動が始まった。その結果、自立生活を始めるその運動のメンバーが少しずつだが生まれている。