「英語でノーウェア(no where)といえば、どこにもいないという意味です。ところが、アルファベットの区切りを1文字ずらすだけで、ナウ・ヒヤー(now here)、今ここにいるよ、という意味になります。何だか深いものを感じませんか」
本紙生活面で「みつえばあちゃんとボク」を連載中の漫画家岡野雄一さん(62)=長崎市=にこんな話を伺った。漫画のモデルは母のみつえさん。89歳で重度の認知症を患っている。岡野さんは週に2日、花を携えて、みつえさんが暮らすグループホームを訪ねる。
「母ちゃん、来たよ。雄一ばい」。そう呼び掛けても、うつろな目のみつえさんだが、岡野さんが帽子を取って立派なペコロス頭(髪のない頭)を差し出すと表情が変わる。その頭をさすったり、たたいたり、引っかいたり。額をくっつけて押し合いごっこをやりだすと言葉も出てくる。
岡野さんにとっては、自分がどこにいるのかもよく分からない母に頭を差し出すことが、あなたの息子が今ここにいるよ、とのメッセージになっているのだ。
この幸せな光景ができるだけ長く続けばと願いながら、ふと思い至った。福祉の本質とは、今ここにいる人々の幸せではないかと。それを実現するのは国であり、政治家だ。憲法25条にはこうある。「国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
そんな観点から、福祉関係者に政治への要望を聞いてみた。
福岡県介護福祉士会の因利恵(いんとしえ)会長は「福祉分野では、受けたサービスに応じて対価を支払う応益負担でなく、収入や蓄えに応じて対価を支払う応能負担に転換してほしい」と訴える。因さんは20年、ホームヘルパーとして数々の高齢者や障害者10+ 件の世帯を見てきた。介護サービスの1割負担ができずサービスを我慢する世帯が増えている。せっかくの制度が本当に必要な人に届いていないのだ。「食べ物を切り詰めるのは当たり前。真冬もやかん1杯のお湯だけで入浴を済ます人もいる」と心配する。
「今回の衆院選では足元のことが忘れられている」と指摘するのは、福岡市南区の障がい者支援施設「かしはらホーム」の古賀知夫施設長(59)。ホームでは58人の障害者10+ 件が陶芸やふきん作りなどに励む。給料は月四、五千円。「もっと出してあげたいがこれが精いっぱい」と打ち明ける。古賀さんは毎月、福島県南相馬市の施設にも支援に通う。福島第1原発の30キロ圏内で、逃げようにも行き場がない障害者たちを支えるためだ。「経済的基盤が弱い社会的弱者にこそ目を向けてほしい。支え合える社会の仕組みづくりが必要だ」
福岡市博多区の千鳥橋病院で、医療ソーシャルワーカーの荒木弘幸さん(56)は生活困窮者を対象にした無料低額診療制度のあっせんを続けている。この制度は昭和30年代、福岡県内の病院が連携して、閉山した炭鉱の失業者や家族のために創設した。時を経るにつれて、対象者はホームレスなどに変遷し、今は年金生活者が多くを占める。
「2008年のリーマン・ショック以降、タクシー運転手の利用が増えた」と荒木さん。背景にはタクシー事業の規制緩和があるとみる。「公共事業が減って仕事がなくなった日雇い労働者が、低賃金のタクシー運転手に流れている」
高齢女性の生活困窮も目立つ。無料診療を利用するある女性(65)の年金は月約4万円。痛む膝に注射を打ってもらってトイレ掃除のパートを続ける。手すりや壁に片手でつかまりながら、もう一つの手で便器を磨く。膝が痛むため、作業は2時間が限度。得られるパート代は月約4万円だ。
女性は2年前に1度、生活保護の申請をしようとしたことがある。ところが、窓口で「お孫さんの高校にも事実関係を照会します」と言われ、申請を諦めた。「孫に恥ずかしい思いはさせられない」。そんな女性の窮状を救ったのは、国でも自治体でもなく、病院の無料診療制度だった。
荒木さんは「諸悪の根源は貧困にある」と憤る。「もっと早く診察すれば、人工透析にならなかった人や人工肛門をつけないで済んだ人がたくさんいる。人は憲法25条が保障した最低限の生活をするために生まれてきたのではない。誰もが人間らしい生活をするために生まれてきたはずだ」
選挙前に民主、自民、公明の3党は社会保障と税の一体改革に合意した。消費税を10%に上げて年金など社会保障の財源とし、持続可能な社会を実現するという。加速度的な高齢化に対応する狙いだが、年金や生活保護が抑制に向かうのは間違いないだろう。
原発や消費税など大争点がめじろ押しの今回の衆院選だが、この国の姿を長い目で考えてみたい。高福祉高負担の北欧型か、競争主義で低負担の米国型か。今ここにいる人たちの幸せが問われている選挙ではなかろうか。
=2012/12/12付 西日本新聞朝刊=
本紙生活面で「みつえばあちゃんとボク」を連載中の漫画家岡野雄一さん(62)=長崎市=にこんな話を伺った。漫画のモデルは母のみつえさん。89歳で重度の認知症を患っている。岡野さんは週に2日、花を携えて、みつえさんが暮らすグループホームを訪ねる。
「母ちゃん、来たよ。雄一ばい」。そう呼び掛けても、うつろな目のみつえさんだが、岡野さんが帽子を取って立派なペコロス頭(髪のない頭)を差し出すと表情が変わる。その頭をさすったり、たたいたり、引っかいたり。額をくっつけて押し合いごっこをやりだすと言葉も出てくる。
岡野さんにとっては、自分がどこにいるのかもよく分からない母に頭を差し出すことが、あなたの息子が今ここにいるよ、とのメッセージになっているのだ。
この幸せな光景ができるだけ長く続けばと願いながら、ふと思い至った。福祉の本質とは、今ここにいる人々の幸せではないかと。それを実現するのは国であり、政治家だ。憲法25条にはこうある。「国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
そんな観点から、福祉関係者に政治への要望を聞いてみた。
福岡県介護福祉士会の因利恵(いんとしえ)会長は「福祉分野では、受けたサービスに応じて対価を支払う応益負担でなく、収入や蓄えに応じて対価を支払う応能負担に転換してほしい」と訴える。因さんは20年、ホームヘルパーとして数々の高齢者や障害者10+ 件の世帯を見てきた。介護サービスの1割負担ができずサービスを我慢する世帯が増えている。せっかくの制度が本当に必要な人に届いていないのだ。「食べ物を切り詰めるのは当たり前。真冬もやかん1杯のお湯だけで入浴を済ます人もいる」と心配する。
「今回の衆院選では足元のことが忘れられている」と指摘するのは、福岡市南区の障がい者支援施設「かしはらホーム」の古賀知夫施設長(59)。ホームでは58人の障害者10+ 件が陶芸やふきん作りなどに励む。給料は月四、五千円。「もっと出してあげたいがこれが精いっぱい」と打ち明ける。古賀さんは毎月、福島県南相馬市の施設にも支援に通う。福島第1原発の30キロ圏内で、逃げようにも行き場がない障害者たちを支えるためだ。「経済的基盤が弱い社会的弱者にこそ目を向けてほしい。支え合える社会の仕組みづくりが必要だ」
福岡市博多区の千鳥橋病院で、医療ソーシャルワーカーの荒木弘幸さん(56)は生活困窮者を対象にした無料低額診療制度のあっせんを続けている。この制度は昭和30年代、福岡県内の病院が連携して、閉山した炭鉱の失業者や家族のために創設した。時を経るにつれて、対象者はホームレスなどに変遷し、今は年金生活者が多くを占める。
「2008年のリーマン・ショック以降、タクシー運転手の利用が増えた」と荒木さん。背景にはタクシー事業の規制緩和があるとみる。「公共事業が減って仕事がなくなった日雇い労働者が、低賃金のタクシー運転手に流れている」
高齢女性の生活困窮も目立つ。無料診療を利用するある女性(65)の年金は月約4万円。痛む膝に注射を打ってもらってトイレ掃除のパートを続ける。手すりや壁に片手でつかまりながら、もう一つの手で便器を磨く。膝が痛むため、作業は2時間が限度。得られるパート代は月約4万円だ。
女性は2年前に1度、生活保護の申請をしようとしたことがある。ところが、窓口で「お孫さんの高校にも事実関係を照会します」と言われ、申請を諦めた。「孫に恥ずかしい思いはさせられない」。そんな女性の窮状を救ったのは、国でも自治体でもなく、病院の無料診療制度だった。
荒木さんは「諸悪の根源は貧困にある」と憤る。「もっと早く診察すれば、人工透析にならなかった人や人工肛門をつけないで済んだ人がたくさんいる。人は憲法25条が保障した最低限の生活をするために生まれてきたのではない。誰もが人間らしい生活をするために生まれてきたはずだ」
選挙前に民主、自民、公明の3党は社会保障と税の一体改革に合意した。消費税を10%に上げて年金など社会保障の財源とし、持続可能な社会を実現するという。加速度的な高齢化に対応する狙いだが、年金や生活保護が抑制に向かうのは間違いないだろう。
原発や消費税など大争点がめじろ押しの今回の衆院選だが、この国の姿を長い目で考えてみたい。高福祉高負担の北欧型か、競争主義で低負担の米国型か。今ここにいる人たちの幸せが問われている選挙ではなかろうか。
=2012/12/12付 西日本新聞朝刊=