ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

大震災から5年 私たちの「備え」は

2016年03月07日 01時15分48秒 | 障害者の自立

 「一にも二にも訓練。とっさに行動できるよう体で覚えておかないと」。大分県の南端に近い佐伯市蒲江の丸市尾(まるいちび)地区。区長の児玉和康さん(67)は津波避難の心掛けを強調した。南海トラフ巨大地震が発生した場合、同地区には最大で高さ13メートル超の津波が襲うと予想されている。集落を囲む山には避難場所を計6カ所整備。さらに高速道路の建設残土を積み上げ、高さ20メートル余りの人工高台も造られた。
 津波の第1波は地震発生から26分後に到達するとされる。昨年11月の訓練では、約110人の参加者全員が避難場所まで20分以内に移動を終えた。家を出る際に黄色い小旗を玄関などに立てるように決め、避難が遅れて中に残っている人がいないかを確認する時間が短縮できたという。
 ただ、地区はほぼ2人に1人が高齢者。児玉さんは不安を抱く。「対応できるか、本当のところは起きてみないと分からない」
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 県内で津波被害が予想されるのは南海トラフ地震に限らない。県中部を大津波が襲う「別府湾地震」、県北部を中心に被災する「周防灘地震」。沿岸部はどこも津波の危険性を抱える。
 県が2013年度に策定した「地震・津波対策アクションプラン」では、津波の浸水が想定される沿岸12市町村の619地区全てで、住民の避難行動計画の作成と避難地・避難路の整備、確保をするとした。県防災対策室などによると、今月末までには全地区で避難計画がまとまる見通しだ。
 一方、災害時に避難が難しい高齢者や障害者を手助けする「個別計画」の作成は遅れている。県地域福祉推進室によると、県内18市町村のうち、姫島村のみが今月末までに完了する見込み。5市町はまだ着手もできていない(2月末時点)。同室は「プライバシーの問題に加え、手助けする人を探すのも苦労する」と困難な実情を説明する。
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 津波対策の先駆的な取り組みで知られる佐伯市米水津の宮野浦地区。避難場所の整備と併せ、住民の意識啓発に力を入れてきた。区長の宮脇茂俊さん(70)は「ここまで来れば生き延びられる、という意識がだいぶ定着した」と話す。
 手助けが必要な人の「ひなん支援プラン」作成は、米水津の全地域が取り組んでいる。消防団員が毎年3月に消火器の点検で全戸を回るのに合わせ、援助の希望者、協力者を確認。情報を更新している。
 東日本大震災では岩手、宮城、福島3県の死者1万5823人のうち、60歳以上が1万398人に上った(昨年8月末時点、警察庁調べ)。避難行動の意識付けと併せ、災害弱者の命をどう守るか。普段からの地域の防災活動が鍵を握る。

人工高台から海に面した集落を見る児玉和康区長。南海トラフ巨大地震では最大13メートル超の津波が襲う恐れがある=2日、佐伯市蒲江の丸市尾地区

人工高台から海に面した集落を見る児玉和康区長。南海トラフ巨大地震では最大13メートル超の津波が襲う恐れがある=2日、佐伯市蒲江の丸市尾地区

※この記事は、3月6日大分合同新聞朝刊1ページに掲載されています。


1万日イベントで出会った素敵な女性

2016年03月07日 01時01分01秒 | 障害者の自立

 野球殿堂原稿が続いているこのブログですが、久しぶりに心温まる出会いがあったので更新します。3月5日、富士通スタジアム川崎で開催された「川崎球場10.19~あれから10,000日~に行ってきました。

 内勤が多い野球記者人生で川崎球場に行ったのはスピードガン担当だった1979年9月22日の1度きり。東海大3年生の原辰徳の打球スピードを測りにいったが、大東大戦で不発に終わった。そのため原稿はいらないな、と思っていたがエースの木下智裕(通算17勝無敗を引っさげて同年阪急ブレーブスの1位指名)が8回までノーヒット。慌ててデスクに連絡すると「40行頼むぞ」の指令。他社の記者からレクチャアを受けて準備。ところが、あと1人となった9回2アウトからヒットが出て快記録ならず。それでも、木下を取材し原稿を送った。会社に上がると「ご苦労さん、でも最終版は消えるからな」と冷たい一言。早版の原稿をチェックしただけだった。

 そんな37年前の事を思い出しながら向かった川崎駅。かつてうらぶれた印象(川崎市民の方、失礼)が、駅ビルに地下街。そして駅前ロータリーと見違えるようになっていた。歩いて15分くらいの場所にあるスタジアムもアメリカン・フットボール用に大幅改装。現在はJリーグの川崎フロンターレ・東急コミュニティー共同事業体が運営。ネーミングライツで、アメフトの強豪・富士通フロンティアーズのホームグラウンドとして「富士通スタジアム川崎」となっている。

 それでも軟式野球が出来るようにと、従来の川崎球場のダイヤモンドが人工芝に書かれている(写真)。そんなスタジアムで千葉ロッテマーンズの球団職員だった横山健一さんが、ホスト役としてスタジアムを案内。古き良き時代の川崎球場のトリビア的なお話を聞き、併せてスタジアムツアーも行うイベントだった。今でも照明灯など往事をしのぶものも残っており、横山さんのお話は楽しく、そしてパ・リーグの悲哀を思い出されることばかり。ギャラリーでは88年10月19日のビデオが流され、数々のグッズや新聞コピーなどが飾られていた。ちょうど1万日というイベントというより「川崎球場の思い出」の感がり、約200人ほど集まったファンは懐かしそうに聞き入り、見入っていた。

 

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 そして、私がこの日最も感銘を受けたのが、介助犬とともに車いすで参加した女性だった。佐藤京子さんという方で、稲尾和久監督時代に川崎球場でバットガールをしていた方。「懐かしくて来させていただきました」。小さいときから大好きだった野球を続けていたが高校時代に頸椎(けいつい)を痛め下半身まひとなった。それでも生来の負けん気で一念発起。アテネパラリンピックでは円盤投げで銀メダル。砲丸投げでも4位に入賞した経験を持つ。障害者に対するイベントで講演。今年夏には心理カウンセラーとして独立したいという。また、米国でメジャー観戦もしており、障害者に対する野球場を初めとして日米の考え方の違いも熱く語ってくれた。今年はリオデジャネイロでオリンピックと併せてパラリンピックも行われる。昨年から一緒に行動している介助犬ニコル君とどこにでも出かけられるという。野球だけでなく、障害者のスポーツに関して彼女の活躍に期待したい。

  【注】パラリンピック銀メダルの佐藤京子さんと介助犬ニコル。アメフトのゴールポストの手前には川崎球場のホームプレートとバッターボックスのある富士通スタジアム川崎

スポーツ報知    2016年3月 5日


13作業所 個性派焼き菓子

2016年03月07日 00時58分03秒 | 障害者の自立

◆9、10日 浦和で販売

 障害者による手作りの焼き菓子を販売する「クッキーバザール2016」が9、10日、JR浦和駅西口前の商業施設「浦和コルソ」1階で開かれる。「プレゼントしたくなるクッキー」を合言葉に、プロのシェフや商品デザイナーらの手ほどきを受けて完成させた自慢の商品が並ぶ。

 県内の福祉施設職員や会社員らがメンバーの「クッキープロジェクト」が、小規模作業所で手がける焼き菓子をより魅力的にしようと開いているイベントで、8回目。さいたま、川口、深谷市などの13作業所が参加し、クッキーやマドレーヌなどを販売する。

 若尾明子・同プロジェクト事務局長(41)は「年々レベルが上がり、どれも個性的な商品ばかり」と話す。

2016年03月06日 Copyright © The Yomiuri Shimbun