医師になった人の多くは、医学部への進路を決める時に、人を助ける仕事をしたいという明確な動機を持ちます。しかし、臨床医学の実践をするうちにその心は変質していくのではないかと、私は常々感じています。
それは、臨床医学が疾患をどう診断し、いかなる治療法があり、それをどう合理的に実現させるかということに軸足が置かれることで、患者の自覚症状や、付随する生活状況を正面からみる機会が、いつの間にか失われていくからだと思います。
「病気なのだから、当たり前」というごく浅い感覚にいつの間にかなってしまうのでしょう。
前回取り上げた、重症筋無力症(MG)の眼筋型は軽症だから、難病法の適応から除外しようとする考えは、神経内科の学会が作成した分類に基づいています。
その分類は、医学的観点からは当を得たものです。ただ、神経内科にとっては、「眼筋型」は全身の中のひとつの項目に過ぎませんから、その影響が実感としてはわからないのです。
神経内科ではもちろん眼位や両眼視機能の検査は行われません。つまり、眼筋型の中にもさまざまなタイプや、重症度があることははじめから考慮されていないのです。
そもそも、医学的分類が福祉政策と連動して使われるとは、医学的分類を作った当の学会としては想定外のことでしょう。
日本の視覚障害基準には、眼球運動の制限や異常が含まれないという大きな欠点があることは以前、「なぜ?日本で軽視されている視覚障害者」で触れました。つまり、障害による患者の不都合を無視した基準が、大手を振ってまかり通っており、ここに眼筋型MGが軽症だと誤認してしまう土壌が隠されているのだと思います。
もし適切な重症度の基準を作るとすれば、MG患者会などを通して実態を調査し、意見を聞くべきだと思います。先に記したように、医師の診察室ではそこまで気が回らないからです。
そういう動きが出てくれば、私が現在理事長を務めている日本神経眼科学会としても、大いに協力したいと思います。
ところで、医療の世界の外には、障害などを持つ患者当事者自身の声を聞くことを重視する、注目すべき動きがあります。
NHKで福祉番組などのチーフディレクターをしている川村雄次氏は、論文の中で認知症当事者研究、運動を取り上げています。これは当然、問題を外からではなく、内から見ることによって、この社会で「弱者」が生きていくための方略を探る目的です。しかし、当事者から「意見、提案、要望」が出ても、それらは単なる「思い、願い」に矮小わいしょう化されがちな現実も指摘しています。
肢体不自由学を専門としている東北大学の鈴鴨よしみ氏らは、医療のアウトカム(成果)の評価には医師の判断だけでなく、患者の反応、すなわち患者報告アウトカムが必需であることを述べています。
福祉政策においては、医師たちの意見も大切ですが、やはり当事者の実情がそれを上回って重んじられるべきでしょう。当事者の声を取り上げなくては、そこはわからないからです。
若倉雅登(わかくら まさと)
井上眼科病院(東京・御茶ノ水)名誉院長
1949年東京生まれ。北里大学医学研究科博士課程修了。グラスゴー大学シニア研究員、北里大学助教授、井上眼科病院副院長を経て、2002年から同病院院長。12年4月から現職。北里大学医学部客員教授、日本神経眼科学会理事長などを兼務し、15年4月にNPO法人「目と心の健康相談室」を立ち上げ、副理事長に就任。「医者で苦労する人、しない人---心療眼科医が本音で伝える患者学」(春秋社)、「健康は眼に聞け」(同)、「目の異常、そのとき」(人間と歴史社)、医療小説「高津川 日本初の女性眼科医 右田アサ」(青志社)など著書多数。専門は、神経眼科、心療眼科。予約数を制限して1人あたりの診療時間を確保する特別外来を週前半に担当し、週後半には講演・執筆活動のほか、NPO法人などのボランティア活動に取り組む。
(2016年3月10日 読売新聞)