ゴエモンのつぶやき

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籾井NHK会長、また不適切発言 民主・維新の会議で

2016年03月11日 02時08分31秒 | 障害者の自立

 NHKの籾井勝人会長が9日、民主党維新の党統一会派による総務・地域主権合同部門会議での答弁で、先月と同じ聴覚障害者の蔑称を使い、発言を取り消す場面があった。

 会議では新年度のNHK予算が話し合われた。「クローズアップ現代」の放送時間やキャスターの変更について、議員の一人が放送総局長の板野裕爾・専務理事に対して、会長に相談したかどうかを尋ねた際、籾井会長が「つんぼ桟敷で」と発言。すぐに謝罪し、発言内容を取り消したいと申し出た。

 籾井会長は2月23日の衆院総務委員会の答弁でも、別の話題の中で同じ発言をして撤回している。部門会議に出席した別の議員は「先日委員会で謝罪したのはうそだったんですか」と批判した。

2016年3月9日    朝日新聞デジタル


【震災5年】福島「光洋愛成園」の高崎避難生活、5月に終了 

2016年03月11日 02時01分49秒 | 障害者の自立

 故郷から300キロ離れた高崎市寺尾町の「国立のぞみの園」。平成23年4月、ここで始まった福島県富岡町の知的障害者施設「光洋愛成園」の避難生活が5月に終わる。「群馬の皆様-ありがとうございました」と書かれ、利用者の笑顔の写真が貼られた紙の前で愛成園施設長、寺島利文さん(62)は「これがゴールではない」と帰還を前に表情を引き締める。(久保まりな)

                   ◇

 愛成園は東電福島第1原発から南約10キロにあった。

 「原発が危ない!。すぐ逃げて」。震災翌日の23年3月12日、消防からの通告で、マイクロバス2台と乗用車5台で慌てて町を離れた。愛成園を含めた施設を運営する「友愛会」の利用者と職員計約80人が、50キロほど離れた三春町の施設に約1カ月身を寄せた。が、避難生活は続けられず、二次避難先として落ち着いたのが、高崎市だった。

 「すぐに帰れるという気持ちの一方で、いつ帰れるのか、将来どうなるのかと不安も膨らんだ」

 寺島さんは、知らない土地で生活するストレスも抱えた5年だった、と打ち明ける。

 町名と同じ富岡製糸場には親しみを感じ、震災翌年から製糸場の桜を使った染め物を始めた。昨春からストールなどを製糸場内の売店で販売している。

 「何不自由なく生活させてもらった。けれど、ただ地元に帰り、自分たちの建物で過ごしたい。その思いだけ。理由なんてない」

 富岡町周辺は居住制限区域にあたるため、原発から20キロほど離れた富岡と同じ双葉郡の広野町に移転先を決め、昨年2月ごろ、新たな施設建設が始まった。

 一方で帰還準備を進める中、職員の3分の1が「高崎に残る」と回答した。5年は長い。ミルクを飲んでいた子が、今や小学校入学を控えている。「学校や高崎に慣れた状況を考えると…」という声もあった。これも5年の現実だ。新たに面接を行い、17人の新卒者をそろえて必要な職員数を確保し、5月から利用者68人と職員36人で新たなスタートを切る。

 「施設利用者が過ごしやすいようにすること。それがわれわれのゴール」と寺島さんは強調する。帰還しても水道水が汚染していないか、17人から内定辞退が出ないか…。「過ごしやすさ」への不安は消えない。

 それでも、寺島さんは「私たちのような100人を超す団体の帰還というのは珍しい。だから広野に戻ることで、双葉郡の基盤となり、復興の起爆剤として他の人たちの励みになればいい」と力を込める。

 「原発の事故さえなければ…」の思いは消えないが、「東電を責めてばかりいても仕方ない。良い前例を作る」と前を向く。製糸場の桜を使った染め物は帰還後も続けるという。

 東日本大震災から5年となる11日を前に、被災者、被災地と群馬をつなぐ思いをたどった。

2016.3.10      産経ニュース


寝たきり・外出困難者をサポート

2016年03月11日 01時55分39秒 | 障害者の自立

在宅訪問リハビリ・鍼灸・マッサージ

 寝たきりの人や、歩行の難しい人が、自宅や施設で施術を受けられる訪問リハビリ・鍼灸・マッサージ。たまプラーザを拠点にする「在宅訪問マッサージ・ふたば」では、区内と近隣エリアの訪問に対応している。

 「高齢者や障害のある方、入浴・着替えが難しい方の支えになれば」と小野代表。

 マッサージは医療目的で、各種健康保険・障害者受給者証等が適用される。医師の同意書が必要で、手続き上のサポートも行っている。

 施術は国家資格保持者。利用の際は電話相談の後、施術者が訪問してくれるのでマッサージを試し、同意の上、手続き後開始される。

「一歩ずつ進んでいきましょう」

2016年3月10日      タウンニュース


救急現場でも手話を 石狩消防署が職員研修

2016年03月11日 01時51分04秒 | 障害者の自立

 【石狩】石狩消防署は8日、職員27人を対象に手話研修会を開いた。職員たちは基本的なあいさつをはじめ、「どこが痛いですか」など救急現場で使える手話を学んだ。

 石狩聴力障害者協会の杉本五郎会長(68)が講師を務め、聴覚障害者とのコミュニケーションには、手話以外にも、身ぶり手ぶりや筆談、指文字などがあることを紹介。「こんにちは」「ありがとう」などの手話を教えた。

 また「耳が不自由な人は手話であいさつしてもらえるだけで、とても温かい気持ちになる。自信を持って声を掛けて」と手話で呼び掛けた。

 参加した消防士の松島好孝さん(22)は「現場でも積極的に使っていきたい」と話していた。

 同署は、全国の市町村で初めて手話条例を制定した2014年以降、全職員の簡単な手話習得を目指して研修を行ってきた。9日も25人が受講予定で、全120人の研修が修了する。

03/09     北海道新聞


医師の判断だけでなく、患者の立場で重症度の判断を

2016年03月11日 01時37分30秒 | 障害者の自立

 医師になった人の多くは、医学部への進路を決める時に、人を助ける仕事をしたいという明確な動機を持ちます。しかし、臨床医学の実践をするうちにその心は変質していくのではないかと、私は常々感じています。

 それは、臨床医学が疾患をどう診断し、いかなる治療法があり、それをどう合理的に実現させるかということに軸足が置かれることで、患者の自覚症状や、付随する生活状況を正面からみる機会が、いつの間にか失われていくからだと思います。

 「病気なのだから、当たり前」というごく浅い感覚にいつの間にかなってしまうのでしょう。

 前回取り上げた、重症筋無力症(MG)の眼筋型は軽症だから、難病法の適応から除外しようとする考えは、神経内科の学会が作成した分類に基づいています。

 その分類は、医学的観点からは当を得たものです。ただ、神経内科にとっては、「眼筋型」は全身の中のひとつの項目に過ぎませんから、その影響が実感としてはわからないのです。

 神経内科ではもちろん眼位や両眼視機能の検査は行われません。つまり、眼筋型の中にもさまざまなタイプや、重症度があることははじめから考慮されていないのです。

そもそも、医学的分類が福祉政策と連動して使われるとは、医学的分類を作った当の学会としては想定外のことでしょう。

 日本の視覚障害基準には、眼球運動の制限や異常が含まれないという大きな欠点があることは以前、「なぜ?日本で軽視されている視覚障害者」で触れました。つまり、障害による患者の不都合を無視した基準が、大手を振ってまかり通っており、ここに眼筋型MGが軽症だと誤認してしまう土壌が隠されているのだと思います。

 もし適切な重症度の基準を作るとすれば、MG患者会などを通して実態を調査し、意見を聞くべきだと思います。先に記したように、医師の診察室ではそこまで気が回らないからです。

 そういう動きが出てくれば、私が現在理事長を務めている日本神経眼科学会としても、大いに協力したいと思います。

 ところで、医療の世界の外には、障害などを持つ患者当事者自身の声を聞くことを重視する、注目すべき動きがあります。

 NHKで福祉番組などのチーフディレクターをしている川村雄次氏は、論文の中で認知症当事者研究、運動を取り上げています。これは当然、問題を外からではなく、内から見ることによって、この社会で「弱者」が生きていくための方略を探る目的です。しかし、当事者から「意見、提案、要望」が出ても、それらは単なる「思い、願い」に矮小わいしょう化されがちな現実も指摘しています。

 肢体不自由学を専門としている東北大学の鈴鴨よしみ氏らは、医療のアウトカム(成果)の評価には医師の判断だけでなく、患者の反応、すなわち患者報告アウトカムが必需であることを述べています。

 福祉政策においては、医師たちの意見も大切ですが、やはり当事者の実情がそれを上回って重んじられるべきでしょう。当事者の声を取り上げなくては、そこはわからないからです。

    若倉雅登(わかくら まさと)

井上眼科病院(東京・御茶ノ水)名誉院長
1949年東京生まれ。北里大学医学研究科博士課程修了。グラスゴー大学シニア研究員、北里大学助教授、井上眼科病院副院長を経て、2002年から同病院院長。12年4月から現職。北里大学医学部客員教授、日本神経眼科学会理事長などを兼務し、15年4月にNPO法人「目と心の健康相談室」を立ち上げ、副理事長に就任。「医者で苦労する人、しない人---心療眼科医が本音で伝える患者学」(春秋社)、「健康は眼に聞け」(同)、「目の異常、そのとき」(人間と歴史社)、医療小説「高津川 日本初の女性眼科医 右田アサ」(青志社)など著書多数。専門は、神経眼科、心療眼科。予約数を制限して1人あたりの診療時間を確保する特別外来を週前半に担当し、週後半には講演・執筆活動のほか、NPO法人などのボランティア活動に取り組む。

2016年3月10日 読売新聞)