ゴエモンのつぶやき

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補聴援助機器の使い方を学ぶ 徳島・徳島市で研修会

2016年03月21日 02時39分42秒 | 障害者の自立

 難聴者の支援について理解を深める研修会が19日、徳島市の県立障がい者交流プラザであり、県内の福祉関係者ら約60人が補聴援助機器の使い方や効果を学んだ。

 補聴援助機器メーカーの担当者らが、音声磁場を発生させて補聴器利用者らの聞き取りを補助する「磁気ループ」や、音の広がりを制限して難聴者が感知しやすい明瞭な音に変えるスピーカーといった機器の仕組みを説明。参加者は設置方法や使い方を熱心に質問しながら効果を確認していた。

 参加した県男女共同参画・人権課の内海三枝子係長は「機器が普及すれば難聴者への理解も深まると思う。催しで活用したい」と話した。

 研修会は障害者差別解消法が4月に施行されるのを前に、同プラザ視聴覚障がい者支援センターなどが初めて開いた。センターは機器の無料貸与も行っている。

【写真説明】メーカーの担当者から磁気ループの仕組みについて学ぶ参加者=徳島市の県立障がい者交流プラザ
 
 2016/3/20     徳島新聞

灘の酒をカップケーキに 神戸で21日先行販売

2016年03月21日 02時32分35秒 | 障害者の自立

 神戸・灘の日本酒を使い、障害者らが手作りするカップケーキ「Japanese SAKE cake“cup style”」が完成した。ユズと黒豆の風味がきいた2種類を用意。21日、神戸ハーバーランドの特設2会場で計約300個を先行販売する。

 障害者が製造する商品の品質を高めて一般流通を目指そうと、県中小企業団体中央会などが2014年度に始めたプロジェクトの一環。初年度は純米酒「灘の生一本」を使ったパウンドケーキなど2種類を販売し、累計2千個を売り上げた。

 第2弾の15年度は、食べきりサイズにしたカップケーキを企画。前回と同様、剣菱酒造(神戸市東灘区)と、洋菓子店を運営するシンケールス(同市中央区)などが協力し、純米酒「瑞穂黒松剣菱」の風味を生かしたレシピ2種類を開発した。

 ドリーム&YUME作業所(同市兵庫区)は「柚子」を担当。しっとりとした生地とユズの皮のさわやかな香りが特徴という。「黒豆」はむぎのめ作業所(川西市)が手がけ、素材の優しい甘さが上品な味わいに仕上がったという。

 各300円(税別)。先行販売の2会場はumieセンターストリート(午前10時~午後3時)と、イズミヤ神戸ハーバーランド店地下1階催事場(同~午後6時)。22日以降、同店などで販売する。NPO法人「兵庫セルプセンター」TEL078・414・7311

兵庫県内の企業と障害福祉事業所が協力して商品化したカップケーキ

2016/3/20   神戸新聞NEXT


成年後見人支援C開設を要望 諏訪地方8団体

2016年03月21日 02時28分31秒 | 障害者の自立

諏訪地域障がい福祉自立支援協議会、諏訪ブロック社会福祉協議会など関係8団体は18日、成年後見人支援センターを諏訪地域に設立する要望書を諏訪広域連合長の金子ゆかり諏訪市長に提出した。同日中に諏訪6市町村長にも提出し、障害などで判断能力が不十分な住民の法人後見人となり、金銭など管理する同センターの早期設置を求めた。

成年後見人は、認知症や精神障害者などの金銭や財産管理を法律的に保護する制度。介護保険制度と同じ2000年に成立し、家庭裁判所が親族、弁護士や司法書士などの専門家を選任する。扱う権利が多岐で個人的なつながりで難しい場合は、組織的に対応できる法人支援の必要性が高まっている。

県内では2011年から広域や市町が設置主体となり、社協運営の形で開設が進み、大北地域が4月設置に向け準備中で、10圏域でセンターがないのは諏訪と木曽。資力の無い人の受任など、行政の財政支援が必要となり、諏訪は各市町村の温度差があり、開設は保留状態だ。

諏訪地域では、判断力が低下した住民に、日常生活自立支援事業として154人を支援。うち43人が成年後見人の類型として対応し、今後も制度を必要とする件数が見込まれる。センターを設置することで親族間の紛争事案への対応、障害者の長期支援、身寄りや財産がない後見にも対応が可能で、制度の普及や啓発、相談窓口対応もでき、サービス向上が図られる。

金子連合長は「組織でバックアップできるので安心。広域でやる方がいい」と設置に理解を示した。諏訪地域障がい福祉自立支援協議会の原田正男会長らは、障害者自身、世話をする家族も将来を不安視する声があると話し「等しく後見人を選任してもらい、安心して生活してもらいたい」と願っていた。

 2016年3月20日     長野日報


「おおさか維新は教育無償化」【各党に聞く福祉・若者政策】

2016年03月21日 02時21分42秒 | 障害者の自立

今年7月に実施される参院選。憲法改正の争点化や18歳選挙権などに注目が集まっているが、各党は福祉・若者世代向けの政策についてどのように考えているのだろうか。 

BLOGOS編集部では参院選に向け、主だった党の担当者にインタビューを実施。今回は、おおさか維新の会所属の浦野靖人衆議院議員に話を聞いた。

■高齢者からの理解も得られるようになってきた

ー多くの方にとって「おおさか維新の会」と言いますと、橋下さん・松井さんのイメージが強く、政策面でも「大阪都構想」に代表される、道州制・地方分権といったワードが連想されるのではないかと思います。 

一方で、綱領には「受益と負担の公平」「現役世代の活性化」「機会平等」という項目を立てて、「社会保障制度」「現役世代と女性の社会参画を支援」「教育と就労の機会の平等を保障」を謳っていますね。 

浦野:私たちが訴えている具体的な政策の中で他党にないものは、生まれてから大学までの学費を全て無償化する「教育無償化」なんです。今年の参院選の公約にもおそらく掲げることになるでしょう。 

ただ、「言うは易し」で、「財源をどうするのかと?」という疑問が出てくることと思います。行政に非常に大雑把に試算してもらったところ、現時点では3.7兆円あれば「教育無償化」は実現できるという答えが返ってきました。ここで私たちが訴えている、「地方分権」や「公務員改革給与改革」が出てくるのです。「将来のために、全国の公務員さんの給与2割カットしようね」ということが実現できれば、5兆円ほど捻出できるんです。
私たちは、「今あるお金の中から、若い世代への投資を増やしていきたい」という政党なのです。 

すでに大阪府では私学も含め「高校無償化」を実施していますが、その財源も、他の部分を削って振り分けるということで実現させましたが、このような考え方や政策に対して、年配の方々からはもちろん厳しいご批判をいただきました。「おおさか維新」と言ったら、何かうがった見方をされてしまうと言いますか(笑)。 

ー高齢者層からの理解は得られたのでしょうか? 

浦野:所得制限はもちろんかけていますが、お金の問題で勉強がしたくてもできないという子どもたちを減らしていきたい。自分たちで将来を選択できるようにしたいというのがおおさか維新の考え方なのです。このことを有権者の皆さんい丁寧に説明してきた結果、最近では年配の人から「子どもの世代、孫の世代にお金をちゃんと使っているね」「次の世代のために、誰かが我慢する、それはもう当然のことだね」という評価を頂けるようになってきました。 

ただ「聖域無く」ということで議論をスタートはしましたけれども、福祉分野の中で「これは切ってはダメでしょう」というものは残しています。障害者福祉等、真の弱者に対する予算などについては、大阪ではそんなには手をつけていないんですね。 

■教育無償化の効果は"一石多鳥"

ー女性の社会進出、少子化についてはいかがでしょうか。 

浦野:現状は、収入のプレッシャーで働かざるを得ないという方が非常に多いのではないかと思います。それが「女性の社会進出」に当たるのかと言えば、必ずしもそうとは言えないでしょう。やりたいこと、なしたいことがあって社会に出て行くことこそが「社会進出」だと思うんです。 

まさに、「教育無償化」がそこに繋がってくるんです。私たちは、専業主婦でなければいけない、という主張をしているわけではありませんが、お金のために働きに出なければならない、という生活も変わってくることで、少子化や子育てにも良い効果が出てくるのではないでしょうか。望めば自分のチャンスの選択肢も増えていきますから、子どもたちのためにもなる。 

生まれてから大学卒業まで、教育費に平均一千万円以上がかかっていますから、その分のお金を他のことに消費してもらえるということでもあります。個々の家庭で使えるお金が消費に回れば税収に回る。税収が上がるのであれば、さらに福祉に対するお金も回るようになります。"一石多鳥"の政策ではないでしょうか。 

■与党は切り込めない

ー政府与党では、そこまで大胆な政策を打ち出せないのだ、と。 

浦野:「幼児教育無償化」とか、少し言っていますけれども、それですら条件をつけようという及び腰ですから。「なんでできへんねん?」と聞かれると、「そういう党だから、としかよう返されへん」と言うのだけれど(笑)。 

もともと大阪に限らず、国も財源不足、もっと言えば借金だらけの異常な状態です。その中でどこを削るべきかと言ったら、一番手厚く税金を投入しているところからだろうということは、もちろん国民も気づいていると思います。でも選挙の事を考えると、他の党はそれを言いにくい。 

私ももともと自民党の大阪府議ですが、「"やるやる"言うてやれへん人たちの集まりや」「このままじゃ大阪あかんわ」と気づいたからこそ、若い世代の議員と一緒に大阪維新の会(当時)を立ち上げたんです。 

我々がなんで説得力があるか、と言えば、大阪で22議席の議員定数の削減、議員報酬の3割削減も実現させたからだと思います。あのとき、大阪では大きく報道はされましたけれども、自民党をはじめとした、大阪維新以外の議員たちが全員でバリケード築いて議場を封鎖して、議長が議長室から出られないように、力で排除しようとしたんです。そんな中、なんとか自分たちで削れるものを削ったからこそ、皆さんにもお願いできる。自分たちはぬくぬくしたところで「身を切る改革」と言っても説得力はありません。「自民党がようしてくれんかった議員の削減やりおった、言うたこと、ちゃんとやりよる」という印象を持って頂けていると思います。 

今、特に「世代間格差との戦いや」と。それをなんとかしようという思いがあります。大阪で示したように、国政でも実績を示してしていけば、全国でも信頼を勝ち取って行けると考えています。 

(うらの やすと)1973年生まれ。大学卒業後、天美保育園へ保育士として勤務。平成22年、大阪府議会議員選挙3期目当選。平成24年、衆議院議員選挙大阪15区にて当選(現在2期目)幼稚園教諭第一種免許、保育士資格も持つ。 



「宅急便の父」が密かに抱えた「家庭の敗北」の衝撃

2016年03月21日 02時12分16秒 | 障害者の自立

森健(もり・けん):1968年東京都生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学法学部卒業。『「つなみ」の子どもたち』、『つなみ 被災地の子どもたちの作文集』(ともに文藝春秋)で第43回大宅壮一ノンフィクション賞、本作で第22回小学館ノンフィクション大賞。

【評者】鈴木洋史(ノンフィクションライター)

 優れたノンフィクションはしばしばミステリーの形を取る。人々が疑問を抱かずに受け入れてきた通説の中に謎を嗅ぎ取り、丁寧な取材によって事実を拾い集め、柔らかな想像力によって薄いベールを一枚一枚捲り、語られなかった真実へとついに辿り着く。ヤマト運輸の元社長・会長で「宅急便」の創設者として知られる故小倉昌男。その評伝である本書はそんな作品であり、既存のものとはまったく異なる。

 従来のメディアで語られてきた小倉像に、著者はどこか引っ掛かりを感じていたという。経営の第一線から身を引いてから46億円もの私財を投じて障害者福祉に取り組んだが、その明確な動機がいまひとつ伝わってこない。

「名経営者」「闘士」が通り相場だったが、一度だけインタビューしたことのある実物は哲学者のような風貌でぼそぼそと喋り、「闘士」からは程遠かった。最晩年、ガンに蝕まれ、長時間の旅行にはリスクが伴ったにもかかわらず、娘一家が住むアメリカに渡った行動にも疑問を覚えた。もしかしたら〈まだ語られていない言葉や背景〉があるのではないか。だとしたら〈本当の小倉昌男〉はどんな人物だったのか……。著者の探訪は始まった。

 生前、小倉が関わった福祉関係者や今も命日に小倉を偲んで集まるヤマト関係者らの取材を進めるうちに、次第にこれまで語られてこなかった小倉像が見えてきた。小倉は宅急便事業で同業他社との競争に勝利し、訴訟まで起こして霞が関の規制と闘って勝利した。だが、著者はこう書くのだ。〈この期間、小倉はもう一つ大変な闘いを抱えていた。そして、そちらでは小倉は勝った例がなかった。戦場となっていたのは家庭だった〉。

 具体的に言えば、親のコントロールの効かない娘の行動を巡って妻と娘が対立し、「娘を教育できていない」と周囲から非難された妻はアルコール依存症になるまで悩みを深め、しかし小倉はふたりの間で板挟みになって狼狽するばかりだった。

 やがて娘は小倉家が受け入れがたい相手との交際を進めていく。その頃、クリスチャンだった小倉と妻はその交際をやめさせようと、2年もの間ほとんど毎日早朝の礼拝に通い、祈り続けた。だが、願いはかなわず、しかも妻は59歳の若さで急死する。それに直面した小倉は、それまで見せたことのないほど動揺した。そこから浮かび上がってくるのは、祈りに頼るしかないほどの深い葛藤を抱えた弱い人間の姿である。

 著者の取材はさらに森の奥深くへと分け入り、ある衝撃的な事実を掴み、娘へと辿り着く。そこに至って初めて、通説の中に嗅ぎ取った謎がすべて氷解する。衝撃的な事実が何であるか、もちろんここで明かすわけにはいかないが、下種な暴露話にならず、衝撃はやがて静かな感動へと変わり、救いのある読後感になっていることだけは書いておきたい。

 そうなった理由のひとつは誇張や虚飾のない文章が象徴する著者の誠実な取材姿勢にあり、もうひとつは、小倉の生前には小倉にとってアキレス腱だった娘が魂の救済と再生の道を歩み始めていることにある。著者が小倉についての取材を始めたとき、娘がそうした段階に入っていたことはたまたまの幸運であるに違いない。だが、成功したノンフィクションはしばしば幸運に恵まれる。近年出色の、祝福された作品である。(文中敬称略)

2016.03.20