会社や同僚にとってのメリットとは?
「合理的配慮」とはどのようなものか
働く人、個人個人の事情に合わせた「合理的配慮」とはどのようなものだろうか? 2016年4月施行の「障害者差別解消法」により、一人ひとりの困りごとに合わせた「合理的配慮」の提供が行政・事業者に義務化された。こうして、雇用者が働く人になすべき「合理的配慮」はまず、障害者雇用に際して行われることになった。
筆者はリハビリテーション科専門医として、多くの障害のある人の社会復帰に携わってきた。私の専門領域は、脳の病気やケガによって頭の働きが悪くなってしまう障害(高次脳機能障害)である。
健常だった人が、ある日突然、交通事故などによって脳に損傷を負い、記憶力や注意力、感情をコントロールする能力などの頭の働きが悪くなる。これらが永続する後遺症となれば、それが高次脳機能障害だ。
高次脳機能障害は、労務能力などの、社会生活能力が低下することにつながる。彼らが社会復帰するうえで、「合理的配慮」は欠かせない。社会的リハビリテーションには、後遺障害をもつ人が働くために必要な「合理的配慮」を見極め、彼らが属する社会にこの「合理的配慮」を導入するという、重要な役割がある。
一般にリハビリというと、骨折に対して行われるような“運動療法”をイメージする人が多いと思う。しかし、リハビリにはもっと広い意味がある。リハビリテーションの語源はラテン語で、re(再び)+ habilis(適した)であり、「再び適した状態になること」や「本来あるべき状態への回復」などの意味を持つ。それには当然、後遺障害を持つ人に必要な合理的配慮の見極めと導入も含まれる。
リハビリテーション医には、後遺障害のある人と企業・事業者の間を取り持つネゴシエーターのような役割があるのだ。筆者はこの交渉を、「合理的配慮」の提供が義務化されるずっと前からやってきた。
法的に義務化される以前は、雇用者サイドに「合理的配慮」の必要性について説明すると、必ずといってよいほど、「企業・事業者にとってどのように合理的なのか?」と尋ねられた。そして、この質問の意図の多くは、「企業・事業者にどのようなメリットがあるのか?」という旨だった。その考えは納得できる。“合理的”というと、患者にとっても、企業にとっても「win-winな関係」を作るための配慮に聞こえる。
たとえば、注意力が障害された人は、まとまった時間に連続して作業するより、細切れの時間で休み休み作業をしたほうが、結果的に同じ時間でたくさんの作業ができる。午前中の3時間を連続して作業した場合よりも、45分働いて15分休む事を3回繰り返したほうが作業量を多く保てるなら、休み休み作業させたほうが障害のある人にとっても企業にとっても得である。
このように、障害のある人にとっても雇用者にとっても負担がなく、よい結果をもたらすwin-winな関係につながるワークスタイルを導入するように、私は指導してきた。ここで例を挙げたような「互恵的配慮」が合理的であることには、誰も異存がないだろう。
「互恵的配慮」は人間が生まれもったもの
近年、互恵(reciprocity)は、人間が生まれもった基本的道徳感の1つと考えられるようになってきた。互恵は聞きなれないかもしれないが、ギブ&テイクの一種と言うとわかりやすいだろう。生物学では、あとで見返りがあると期待されるために、ある個体がほかの個体の利益になる行為を即座の見返りなしで取る行動を「互恵的利他行動」と言ったりする。
自然界における互恵的利他行動の例でわかりやすいのは、チスイコウモリの血液のやりとりである。チスイコウモリは洞穴などで集団行動をする生物で、夜にほかの生物の血を吸いにいっせいに飛んで行く様をテレビなどで見たことがある人も多いだろう。
実は彼らは満腹の状態からでも、3日も血を吸えなければ餓死してしまう。しかし群れの中の何割かは、巣に戻るまでにまったく血を吸うことができない。このまま血を吸えなければ明後日にも餓死してしまうわけだが、実際はそうはならない。血をまったく吸えなかったコウモリは、血を十分に吸ったコウモリに血を分けてもらえるからだ。
血を与えたコウモリが失う残り時間よりも血をもらったコウモリが得る残り時間のほうが長いため、血を分け合ったほうがお互いの生存に有利である。そしてチスイコウモリは、仲間の誰が自分に血を分けてくれたか、また、自分が誰に血を分けたかをちゃんと覚えていて、お返しをしない個体は次から血を分けてもらえなくなるという「しっぺ返し」を受ける。
餓死するまでの猶予が数日しかない彼らが生き残ってこられたのは、このお互いに血を分け合う「互恵的配慮」のおかげであると言えるだろう。互恵的配慮は群れで行動する生物全般に見られ、自然の掟の1つであると言っても過言ではなさそうである。
朝日新聞