東京パラリンピックは来年8月に開幕が迫った。22競技540種目に史上最多4400人が出場を予定しており、日本は金メダルなしに終わったリオデジャネイロ大会の雪辱を期す。
中でも団体球技は選手団のムードを一気に活性化させる力がある。過去の団体球技の金メダルは、2012年ロンドン大会のゴールボール女子だけで、東京大会での飛躍が期待される
シッティングバレー 波田みか(17)
東京パラリンピックで初のメダルを狙うシッティングバレーのホープだ。10月のアジアパラ大会で日本は銅メダルを獲得したが、最終目標が東京大会でのメダルだけに悔しさばかりが募った。中国、イランに次ぐ3位に「銀メダル以上が目標だった。うれしさはない」と振り返る。
埼玉県川越市に生まれ、地元のバレーボールチームで活躍していた小学6年の時、右足に骨肉腫を発症した。目標を見失った。そんな時、父・実さん(42)が探してきてくれたのがシッティングバレーだった。
コートが小さく、ネットも低いため、近距離でボールが行き来する。「スピード感や『圧』がすごかった」。今までのバレーとは違う魅力を感じ、2015年から本格的に競技を始めると、16年3月のリオデジャネイロ・パラリンピック最終予選では、14歳で代表デビューを果たした。
現在は埼玉・朝霞西高の2年生。広い視野に柔らかいトス、正確なレシーブとサーブが持ち味だが、現行のルールでは、国際大会は障害の軽い選手は各チーム最大2人までで、コートに入れるのは1人だけだ。自身は障害の軽い方にクラス分けされたため、アジアパラ大会でも出場はかなわなかった。
代表争いは激しく、今年は勝負の年となる。「20年まであと1年。世界のレベルも上がってきている。世界に通用する選手になるために、自分の強みをつくりたい」。その先に、大舞台が待っている。
東京パラリンピックは来年8月に開幕が迫った。22競技540種目に史上最多4400人が出場を予定しており、日本は金メダルなしに終わったリオデジャネイロ大会の雪辱を期す。
中でも団体球技は選手団のムードを一気に活性化させる力がある。過去の団体球技の金メダルは、2012年ロンドン大会のゴールボール女子だけで、東京大会での飛躍が期待される
シッティングバレー 波田みか(17)
東京パラリンピックで初のメダルを狙うシッティングバレーのホープだ。10月のアジアパラ大会で日本は銅メダルを獲得したが、最終目標が東京大会でのメダルだけに悔しさばかりが募った。中国、イランに次ぐ3位に「銀メダル以上が目標だった。うれしさはない」と振り返る。
埼玉県川越市に生まれ、地元のバレーボールチームで活躍していた小学6年の時、右足に骨肉腫を発症した。目標を見失った。そんな時、父・実さん(42)が探してきてくれたのがシッティングバレーだった。
コートが小さく、ネットも低いため、近距離でボールが行き来する。「スピード感や『圧』がすごかった」。今までのバレーとは違う魅力を感じ、2015年から本格的に競技を始めると、16年3月のリオデジャネイロ・パラリンピック最終予選では、14歳で代表デビューを果たした。
現在は埼玉・朝霞西高の2年生。広い視野に柔らかいトス、正確なレシーブとサーブが持ち味だが、現行のルールでは、国際大会は障害の軽い選手は各チーム最大2人までで、コートに入れるのは1人だけだ。自身は障害の軽い方にクラス分けされたため、アジアパラ大会でも出場はかなわなかった。
代表争いは激しく、今年は勝負の年となる。「20年まであと1年。世界のレベルも上がってきている。世界に通用する選手になるために、自分の強みをつくりたい」。その先に、大舞台が待っている。【高橋秀明】
車いすラグビー 倉橋香衣(28)
ガチャンという大きな音が体育館に響く。競技を知らない人が居合わせたら「何か重い物でも落ちたのか」と驚く迫力だ。「車いすをぶつけてもいいんだ」。車いすラグビーの「非日常」の世界にいざなわれた。
神戸市に生まれ、小学校から高校までは体操に打ち込んだ。トランポリン部に所属していた大学3年の4月、大会のウオーミングアップ中に頭から落ち、頸椎(けいつい)を骨折。鎖骨から下の感覚をほぼ失った。リハビリを重ねて社会復帰を目指していた2013年、国立障害者リハビリテーションセンター(埼玉)で車いすラグビーに出合い、のめり込んだ。
車いすラグビーは男女混合競技。17年、女子選手として初の日本代表入りを果たした。「日本代表の選手たちはすごい。自分も頑張らなければいけない」。刺激を受け、自宅での自主トレーニングの量も増やした。
貴重な戦力となって昨年8月、世界選手権(シドニー)に出場し、リオデジャネイロ・パラリンピック覇者のオーストラリアを決勝で破って初優勝した。今年10月には東京体育館で国際大会「ワールドチャレンジ」が開かれる。東京パラリンピックの前哨戦とも位置付けられ、負けられない戦いが続く。
4歳の時に阪神大震災も経験している。好きな言葉は「楽」。「いつも楽しく。つらい時があっても肩の力を抜いて気楽に行こうと思っている」。常に前向きに、新しい年も駆け抜ける。